聖天さんに隣接する高麗神社。
ここでもチャンスンがお出迎え。天下大将軍と地下女将軍。
日本でも村の入口などで守り神の役割をする道祖神は男女神で表されることが多い。
自転車を停めているとなにやらにぎやかな音楽が流れてきた。
リューダ祭というらしい。
「東にホージョ」「西に大地」「南に竜蛇すめば」「北に我らはじける」
4つののぼり周囲に置き、その中で子どもたちが踊っている。
彼らの動きは非常に躍動的で、秩序だった混沌を思わせる。なにか根源的な力を表現しよう、そんな意図を感じる。
踊りがクライマックスに達すると竜が現れる。
竜はすべての始まりであると同時に、水を支配する水神でもある。
好太王碑の模型。中では高麗神社の文化財を展示しており、神社の人の解説つきでこの碑のさまざまな拓本を見ることができる。
先ほどの祭もそうなのだけれど、この神社は人と人とを結びつけるその中心の場所になっている。ほかにも高句麗の衣装を展示していたり、神主の作法入門(無料)や一日巫女さん(昼食代500円)など、いろいろな活動を通じて神社と人が結び、その結果人と人とが結びつく、かつて村の鎮守がそうであったようなアクチュアルな場として生きている。
ぼくの行った2日前には狂言が奉納され、5日後には韓国の伝統音楽が披露されると言う。
神社が生きている。
裏山の偉容。
のちになって知ったのだが、やはり白髭神社はここの分社だった。だけれど、ぼくの知る限り白髭神社の祭神は猿田彦で高麗王若光を祀っているところはない。猿田彦かあ。太陽が沈む出雲で生まれ、太陽の昇る伊勢で死んだ神。ぼくは猿田彦は天照大神以前の太陽神なんじゃないかと思っているのだけれど、それと白髭神社とがどう結びつくのかわからない。
わからないことを一杯抱えているって、ある意味財産だよなあ。
昨日に続き、ノーベル賞。ル・クレジオがノーベル文学賞を受賞した、と。わお! そうかあ。やったあ、と。言葉や文明に対する鋭い感覚に啓発されることが多く、高校時代からよく読んでいた。やったね、ル・クレジオ。