毎日が観光

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高麗の聖天さん

2008年10月07日 09時45分06秒 | 観光
 時は7世紀。朝鮮半島では新羅の力が増大し、百済、高句麗は相次いで滅ぼされ、日本に半島を脱出した多くの渡来人がやって来る。そのうち、高句麗王族の高麗若光は一族を率いてこの地を開いたんだそうだ。
 彼が亡くなると一族は高麗神社を建立し、若光の子孫が代々宮司を継いでいる。で、若光の子どもの一人が聖天を祀ったのがここ、聖天院なのである。まあ、ここも明治の神仏分離という愚策の波をかぶっているわけ(聖天院と高麗神社は隣同士)。


 聖天さん、正式には高麗山勝楽寺。
 朝鮮半島のチャンスンが建っている。
 東京の人間からすると聖天さんというと待乳山。また群馬との県境にある妻沼の聖天さんもぼくには楽しいところだった。
 この日はぼくのほかにも自転車でやって来た人たちが結構いて、そのうちの一人としばらく話したりしてた。来る途中、知らない人と引っ張り合ったり、自転車を媒介にすると人はつきあいやすいのかもしれない。


 多くの寺院では仁王が祀ってあるんだけど、ここには風神・雷神がお出迎え。ぼくは韓国や北朝鮮に行ったことがないからわからないが、向こうでは割と見られることなのだろうか。


 高麗王廟。若光の墓とされる石柱。
 若光は年老いて白い髭が生え、白髭様と呼ばれたらしいが、白髭神社とはまた別物の筈。


 この上の部分を拝観するには拝観料300円が必要。関東の寺社で拝観料を取るところは割と珍しい。鐘をつくのは100円だそうだ。こないだの達磨寺とは大違い。


 石灰岩の露頭。雪山と呼ばれているらしい。
 秩父からこのあたりは石灰岩が偏在している。


 在日韓民族無縁仏慰霊塔。
 東京からわずかな距離で異国を思う。関東大震災や第二次世界大戦では日本人のみならず多くの朝鮮人も亡くなった。中には震災後のデマで殺された人たちもいた。同じ場所にいる者としてその人たちを思うのだ。


 寺の境内に咲いていた白い曼珠沙華。
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