そうそう、徳島から淡路に戻る前に行った神社を忘れていた。
大麻比古神社。
阿波一宮である。世の中には百名山巡りのように一宮巡りを趣味とされる方もいるらしい。何かのリストの端から端まで網羅するというのは人間の欲求の一つなのかもしれない。
さて、大麻比古神社。祭神は天日鷲命、明治以後は天太玉命(これに猿田彦が合祀されている)。いずれにしても阿波忌部氏の祖と言われる神である。
アマテラスの岩戸隠れの場面。オモイカネが鏡を使ってアマテラスをおびき寄せようという案を提案。この案をアメノコヤネと共に太占(ふとまに)で占ったのが天太玉命(アメノフトダマノミコト)である。アメノコヤネもアメノフトダマノミコトも共に、祭祀を司る神である。
ところで、日本書紀のくだりを読むと、アメノフトダマノミコトに比べ、アメノコヤネの活躍が目立つ。これはアメノコヤネが中臣氏の祖とされるためである。中臣氏と言えば、現代では細川護煕元首相にまでつながる家系(だよね? 藤原氏の末裔だよね、彼は)。鎌足以降(不比等以降)、中臣氏=藤原氏は忌部氏より大きな力を手に入れた。そのため、アメノフトダマノミコトは祭祀神の一人で、アメノコヤネは祭祀神をまとめる長の神とするものもある。
由縁来歴はさておき、この神社の特徴の一つが捕虜収容所があったところのすぐそばにある、ということだ。
第一次世界大戦、日本は連合国側に加わり、ドイツの租借地である中国のチンタオを攻略する。このときの捕虜を日本のいくつかの捕虜収容所に分けて拘留していたのだが、とくにこの徳島の捕虜収容所の人道的扱いは映画にもなったほどである(「バルトの楽園」)。
収容所内ではいくつかのオーケストラ、室内楽団が演奏し、新聞も発行された。捕虜たちは収容所の中だけでなく、広く地元の人びととも交流し、パンの焼き方やピアノを教えたりもした(ベートーヴェンの第九の日本初演はこの捕虜収容所)。太平洋戦争とは大きな違いである。
その交流の跡がこの神社にもある。
ドイツ人の優れた土木技術によって捕虜たちが建てた橋。
独逸橋。
さらにもう一つ眼鏡橋もある。
いつもだったら隅から隅まで歩きまわるのだが、この日はやめておいた。
だって、「マムシ注意」の看板があるんだもん。
さ、次は淡路島の2つの神社へ。