毎日が観光

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京都旅行2 鞍馬1

2005年07月30日 13時14分15秒 | 観光
 三千院で人間の業について考えさせられたぼくは、京都博物館でちょっと一休みしたあと、叡山電鉄で鞍馬へ向かった。
 去年鞍馬のそばで電車が警笛を鳴らしながら急停車したことがあった。いったいなんだろうと思ったら、線路の上に「え、なんかあったの?」とキョトンとした顔の鹿がいた。向こうもびっくりしていたが、こっちもびっくりした。
 その去年も真夏にやって来て大汗かきながら貴船まで歩いたのだ。今年は貴船に行くつもりはない。あの木の根道自体は楽しかったのだが、貴船神社から駅まで、車でごったがえした狭い舗装路を歩くのはもういやだから。
 さあ、鞍馬に着いた。1年前と同じ天狗がお出迎え。

 去年来たときはケーブルであがってしまったので、今年は歩いて登る。
 ほどなく、吉鞍社に着く。

 社殿にかけられた額は2つある。一つは「吉鞍稲荷大明神」、もう一つは「 茶枳尼天尊」。横の石碑にはこうある。

 稲荷の総本社伏見稲荷は、もともと豪族秦氏の氏神である。空海が東寺を与えられたとき、そこの稲荷神を勧請して東寺の鎮守神とした。そして真言宗の全国的な広まりとともに、稲荷信仰も広まっていったのだ。しかし、その当時稲荷神は狐の姿をしているわけではない。少なくとも、空海の時代の稲荷神とは稲を荷なった老人の姿として考えられていたのだ。
 さらに東寺においては茶枳尼天と習合する。この真言密教における茶枳尼修法は強烈である(実は、鞍馬に登った次の日、ぼくは高野山に登ったのだ。茶枳尼天についてはそのときに)。
 しかし、稲荷と茶枳尼天、何もわざわざ分けて祀ることはない。
 なぜ? 
 と思った瞬間、「神仏分離」だ、とピンときた。鞍馬もまた神仏分離に苦しんだ寺だったのだ。もちろん鞍馬を襲ったのは神仏分離だけではない。度重なる大火によって、多くの建物が焼けた。鞍馬の宝は、建物ではない。この山そのものだ。

つづく
コメント
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