Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

お別れに行って来た

2015年08月12日 | 日記

先般から日記に書いている知り合いの和尚がホスピスで亡くなられたので、住職をされていたお寺へ行ってきました。
○○○村と言う所の、あるお寺の住職として
生前お勤めをされていた方でした。
ここのお寺の有る辺りは昔からの旧道で、バイパスが出来るまではメインの通りとして賑わっていたと思う。
ずいぶん昔にこの通りの白水水源に来たことが有るが、その後はパッタリ行ってないので
余り勝手が分かりません、頼みの綱の「風」さんにお寺の場所を電話をして聞きやっと見当が付いた。
お寺に付くと誰も入ず、隣の庫裏のチャイムを押すと女性の方(多分坊守さん?)が見えて、応対していただいた。
暫く(坊守さん?)と住職の思い出話をしました。
思い出話と言っても、私は住職とは顔を合わせてお話したことは二回しかありませんが、ブログに良く出ていらっしゃったので、気風は存じ上げていました。
住職は本当に一期一会を地で行く様な感じで、住職は私の疑問に真剣且つ丁寧に答えて頂、私の人生でお会いした中で最も印象深い方でした。
住職は病気が進行しているのを感じながらも、病院へ行くことをしなかったのです。
何故なら病名を告げられたら自分の人生が終わってしまうとか、何とか考えられたらしいと言う事を伝え聞きました。
でも結局告げられて人生の幕引きを早めてしまった。
なんと勿体ないことを・・・
住職とお話をしているとき、住職は病院へ早く行かなかったことを後悔ばかりしていると。
昼間は見舞客が来るので死が訪れる恐怖から逃れられるが、夜は一睡も出来ないほど考えてしまうと話しておられた。
やがては自分にもその様な訪れが来ることだろう、悔いが少しでも少なくなるように
今の内にやれることはやっておこう。