Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

法事と救える命

2015年02月04日 | 日記
今日は父の17回忌と母の3回忌の為に、わが家の菩提寺である阿蘇の明行寺へ行った。
行く途中の平地は時折雨がパラついていたが、二重の峠辺りに来ると
そこは雪が舞い、峠を過ぎると阿蘇の五岳の上の方は雪化粧をしていた。
お寺につくと、本堂の中はしんしんと冷え込み、ストーブをつけて頂いても
暫くは震えるほどだった。
暫くすると従兄の嫁さんに、叔母さんが娘を伴ってお参りに来てくれた。
やがて読経が始まり仏説阿弥陀経を上げて頂き、その足でお墓参りをした。

ご住職にお布施を渡すとそこそこに、熊本の市内の動物愛護センターへ
向かった。
と言うのは去年暮れに義母の柴犬(真理)が亡くなり、何かと物寂しい気がして
もう一度犬を飼いたいと思ったからだ。
自分も今年の3月で68歳に成る、子犬を飼い始めとして、犬の寿命は15年以上は
生きる、とすると自分は80歳を越えてしまい、正直なところ犬の面倒を
最後まで見届けられるかどうかは分からない。
従って、5~6歳位の犬であれば大丈夫だと思う。
とすれば、その位の年齢の犬は動物愛護センターで保護された犬達が良いだろう
結局彼らは引き取り手が無ければ、ガス室に送られ安楽死を迎えることに成るので
自分の考え方次第で、その犬を引き取れば救える命が有るのでは無いだろうか。
犬達は自分の意志で飼い主を選ぶことが出来ない、幸せな犬もいれば不幸にも
人間の都合に振り回され、途中で命を絶たれるものもいる。

犬の譲渡に当たっては、動物愛護センターの譲渡講習会を受けなければ成らない
講習会では、保護された犬達の運命のビデオが流される
犬達は自分たちの運命を知ってか知らずしてか、小刻みに震えている姿は
耐えがいものがありました。
彼らはガス室でその死を迎える時まで、その部屋の扉の外に再び出られる事は有りません。
彼らは飼う人達の身勝手な論理に翻弄される犠牲者なのかもしれません。

この後犬舎を案内して頂き、希望の犬はどれですかと聞かれ
少し小柄な柴犬を触らせて頂き、この子を頂きたいと申し出たところ
迷い犬らしく、問い合わせが来ているので、もう一週間待って頂きたいとのことで
今日は連れて帰ることは出来ませんでした。

今日は何かと命について考えさせられた一日でした。


コメント
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