Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

値上がり

2012年12月20日 | 日記
先日九州電力の電気料金の値上げ申請の御理解と言う、パンフレットが届けられた。
最初は値上げ幅を小さくしてとか、コスト削減とかの字おどっている。
値上げが認可されれば4月1日からとある
なにせ独占企業だから、認可されれば有無を言わせない強引さが出ている。
確かに維持費に費用のかかる原子力発電を、使う事が出来ないし
天然ガスは全て輸入に頼っている現状では、致し方たの無いのかもしれない
輸入と言う手段は輸出国の言いなりに成ってしまう事を忘れては成らない。
未だ覚えていらっしゃるだろうか、世界の穀倉地帯の小麦の不作による値上がりだ
高くても買って食べれる人達は良い、殆どの食糧を輸入に頼ったら
不作に成ったら、輸入する事も出来ない。
その為にも、国策で自給率を上げて行かなければならない。
燃料、食料の殆どを輸入に頼ると言う事は、輸出国に戦略物資として首根っこを掴まれていると言う事に他ならない。
江戸時代の、「武士は喰わねど高楊枝」と言う具合には行かないのだ。
原子力発電所は東北大震災で破壊され、放射能汚染を引き起こした事は誰でも
再稼働に対して、二の足を踏む事には躊躇せざるを得ない。
がしかし、「人間は考える葦である」
例えば自動車教習所で人身事故を起こしたから、運転を習うのを止めると同様な
思考では、科学の発展は望めない
確かに起こした事故は甚大な取り返しのつかない事故であったかも知れない
しかし、いかにしたら事故を防げるかを、知恵をしぼり考え実行して行く事が大切では
無いだろうか、解決が付くまで原発は停止させて、電気料金が上がっても我慢出来るのではないだろうか。
止めれば、それで終わってしまう。
脱原発、卒原発、言葉の遊びを、言葉を枯らして叫んでも
何かむなしさが漂うのは私だけだろうか。


あっ、そう言えば、今回からピアノのレッスン料が\4,725-にも値上がった
これは、年間57,000-だ、年金生活者には厳しい。