Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

罪の意識

2005年09月27日 | 日記
世の中が経済的に恵まれた状況にあって、物事の論理や仕組みが分かってくると、人は利口にに成り、合理性を追求し中間の過程をカットし結果のみを追い求めることに陥る者も少なくない。
そして宗教における束縛から解き放たれた小人は不善を為す事と成る。
(小人とは小柄な人を指すものでは有りません、器量の小さい事を指します)

今日の車からの狙撃も、なぜ?、どうして?
この様な犯罪を起す者の心理を、多くの人々は理解し得ない。
ただカアーッと成ったとか、腹がたったとか
自分の行動をじゃまする者は排除する。
まさに社会生活を営む資格の無い、身勝手な考えから来ている。
わがままに育ち自分の思いは全て親がかなえてくれた、所が社会に出るとそうは行かない。
思うように行かないうっぷん晴らしが罪の意識が無い犯罪へとかき立てる。
目には目を歯には歯を持って・・・と有るように、日本にもそろそろこの様な法が必要かと思う今日この頃です。
己の犯した罪はこの様なものだと分からせる為に、被害者とその遺族に取っては必要と思われる時も有るのではないだろうか。

コメント
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