神戸郵船ビル

2009-06-08 07:12:27 | 京都・兵庫






 曾禰・中条建築事務所の設計により日本郵船神戸支店として建設(大正7年築 1918)。 当初は正面の屋根にバロックドームを戴いた優美な姿をしていましたが、戦災によりドームや屋根の部分は焼失してしまいました。 戦後になって大改装(競技設計によって選ばれた安井武雄設計事務所による)が行われ、玄関両脇の円柱は角柱に姿を変え、窓や細部の装飾にもかなり手が加えられてしまっているような印象です。 平成6(1994)年に耐震補強工事が行われている事からも分かるように、古い建物が現代の基準に合わせて生き残っていくのは並大抵の事ではないのでしょう。  兵庫県神戸市中央区海岸通1-1-1  08年12月下旬

 ※参考 『近代名建築 コースガイド 神戸・兵庫版』  1996
     『神戸のハイカラ建築 むかしの絵葉書から』  2003 

旧旧制松山高等学校講堂

2009-06-05 07:18:47 | 愛媛・香川



 大正11(1922)年築。 正面にトスカナ式円柱で支えられた大きな車寄せを付け、その両脇を搭状に立ちあげて建物を権威づけています。 内部は吹き抜けになっていて、2階部分には正面のステージを囲むようにコの字型のギャラリーが廻っているそう。 1階と2階の窓の間に菱形の飾り(?)を付けるなど、小技もさりげなく効かせています。 現在は愛媛大学教育学部附属中学校・章光堂。  愛媛県松山市持田町1-5-22  07年01月上旬

 ※写真が一部大きくなります。

旧渡辺甚吉邸(旧スリランカ大使館邸)

2009-06-04 07:15:17 |  東京都






 美濃の大地主で銀行業を営むなど岐阜きっての名家・渡辺家の長男に生まれたのが渡辺甚吉。 大学卒業と同時に欧米に遊学し、その際に帰国後の住宅建設の為にと同郷出身の青年建築家・遠藤健三(後に大日本土木を創業)を誘って同行させ、およそ一年の歳月をかけた建物見聞の旅から戻ってきて建てたのがこの洋館(昭和9年築 1934)。 2人が出した結論はチューダー様式の建物を、という事になり、建物本体の設計は遠藤が担当。 照明器具などの細部装飾は遠藤の早稲田大学時代の恩師・今和次郎に依頼し、全体的な計画はあめりか屋技師長となった山本拙郎が行ったものだと云われます。
 
 今和次郎は「考現学」の提唱者としても知られる建築造形家ですが、実際に残した作品が少ない(無い?)事から幻の建築デザイナーとされ、その点からもこの洋館は貴重なものだそうです。 ちょっと前まではスリランカ大使館邸となっていましたが、現在はどこかの企業の所有となっているようでした。  東京都港区白金台4-19  09年03月中旬

 ※11年11月追記 渡辺甚吉氏の御子孫の方から『建物は現在も渡辺家の所有です』というお話を頂きました。 ここにお詫びして訂正致します。 

 ※参考 『総覧 日本の建築3 東京』 1987
     『日本タイル博物誌』 1991  内部写真が掲載されています



 山形県新庄市に残る 雪の里情報館(旧農林省積雪地方農村経済調査所 昭和8年築)。 今和次郎の設計作品(現存唯一? もう一つあるとも→福島・田村市の旧大越娯楽場)。

一宮市役所

2009-06-03 07:07:33 | 愛知・岐阜





 一宮市の市制10周年を記念して昭和5(1930)年に建てられたもの。 設計は元愛知県営繕課技師の松本善一郎によるもので、平面はロの字型で中庭に議場が突出しており、当初は左翼の端に火の見櫓として利用された25.5メートルの塔がありました。 繊維の街として栄えた一宮を端的に象徴する顔として新築された建物でしたが、なんでも建設工事費が予定を超過してしまった為に施工者が途中で工事を放棄してしまい、その時の現場管理人が私財を投げ打って建物の完成にこぎ着けた、というエピソードも残っているようです。 そんな歴史を背負った建物ですが、どうやら近々建て替えの計画があるようで、この建物を見られる期限は残り少ないものとなってきています。  愛知県一宮市本町2-5-6  09年03月上旬

 ※参考 『東海の近代建築』  1981

大日本報徳社公会堂(大講堂)

2009-06-02 07:20:28 |  静岡県











 報徳社の由来は以前に記述した通り。 この建物は明治36(1903)年に遠江国報徳社の掛川町第三館公会堂として建設されました(正門は明治42年築)。 入母屋造でお寺さんのような出で立ちですが、2階の窓はアーチになっていてコリント式もどき(?)の柱型が漆喰で表現されるなど和洋折衷になっています。 内部は81畳の大広間になっていて、2階には吊り下げ式の回廊がある面白い構造。 大人数が乗ったら構造的には不安ですが、高い場所から吹き抜けの空間を見下ろすのは何とも気分がいいものです。  静岡県掛川市掛川1176  08年07月上旬

旧近藤邸

2009-06-01 07:05:00 |  神奈川県













 実業家であり朝日石綿工業の社長でもあった近藤賢二氏により藤沢市辻堂東海岸に建てられた別荘(大正14年築 1925)。 ライトに師事した遠藤新(1889~1951)の設計で、水平線が強調されたスタイリッシュな外観とカクカクした(幾何学的な)細部のデザインが特徴的です。
 造りつけの椅子や棚が設けられた室内は機能的で、外観のシャープさから受ける印象よりも住み心地はずっと良さそうです。 個人的には大谷石製の暖炉のある居間と、続きになっている菱形窓のある和室が気に入りました。 大きなお宅ですが2階には和室が1室あるだけなのはちょっと意外な感じ。 建物は老朽化により一度は取り壊しが決まりましたが、保存運動のかいあって昭和56(1981)年に現在地に移築保存。 元は海まで数百メートルの広大な松林の中にありましたが、今は町の真ん中、コンクリートの建物に半ば囲まれてしまっています。 地所を見て自然と融合する建築を旨として建てられただけに、元の場所で保存出来なかったのはちょっぴり残念です(壊されるより遥かにマシですが)。  神奈川県藤沢市鵠沼東8-1  08年09月下旬