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広島の平和記念公園に残る被爆建物。 元安橋を渡ったこの辺りはかつての繁華街・中島本町であり、この建物は対岸から移転してきた呉服店の新店舗として昭和4(1929)年に建設されました。 しかし戦局(第二次大戦)の激化に伴って経済の統制が進み、呉服店は閉鎖されて県燃料配給統制組合に接収された建物は燃料会館となりました。 そして昭和20(1945)年8月6日の原爆投下により、地下室を除いて建物は全焼。 爆心地から170メートル、およそ580メートル上空で炸裂した原爆の衝撃は、当日出勤していた37名のうち、たまたま地下室に下りていた1名を除いた全ての人の命を奪うという凄まじいものでした。 戦後、広島市に買収された建物は東部復興事務所となり、昭和57(1982)年にはレストハウスとして再整備されました。
今や観光客の為の案内所や土産物店となっている建物には被爆時の痕跡は全く見当たりませんが、地下室だけは当時のまま保存されているそうです。 館内には欧米からと思われる観光客の姿も数多く見られましたが、この事を知っているのは日本人を含めていったいどれ程の人数なのでしょう・・・ 広島県広島市中区中島町1-1 08年05月上旬
※参考 『ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物』 2006
広島市内には一度行ったきりですが、夏が来ればいつも心の片隅では注意が向けられています。
「はだしのゲン」、小学校の時に転校してきたアオ○君がいつも学校に漫画を持ってきていて、
それを見せてもらっているうちに友達になった事を思い出します。
15年くらい前に別の友人と神宮にヤクルト戦を見に行く時に偶然町でア○キ君と再会、
そのまま3人で野球を見に行って帰りにラーメンを食べて別れた記憶で時が止まったまま。
将来はマッドサイエンティストになりたいと訳の分からぬ事を真顔で言っていた○オキ君、
今頃どうしているのでしょうか。。。