中條精一郎(1868~1936)の設計により大正元(1912)年に完成した個人医院。 今なお医院として現役の建物です。 当時の吉池家の当主が山形県米沢市出身であり、中條とは同郷の同級生だった事から設計依頼をしたものだったと伝わっています。 山形県山形市十日町 08年08月中旬ほか
※現役の医院です。 敷地内での撮影・立ち入りは不可とのお話でしたので見学の際はご配慮願います。
中條は先輩の曾禰達蔵(1853~1937)と共に「曾禰中條建築事務所」を開設するなど主に中央で活躍した建築家。 しかし山形出身という事もあり、後に(旧)山形県庁舎と(旧)山形県会議事堂の建設にも設計顧問として参加しています。 この建物とは窓や屋根、天窓といった所に共通点があるそうです。
木造2階建てで塔屋付き。
堂々とした立派な門構え。 緊張感が走りますね。
以前はこちら側の敷地に別の建物が建っていました。 それが解体され駐車場になったので現在は南面も見えるようになっています。
大正5(1916)年完成の旧山形県庁舎(現・文翔館)。 中條の下で実施設計は東京出身の山形県工師・田原新之助(1876~1916)が担当しています。
田原は鹿鳴館の設計でも知られるお雇い外国人・コンドルの内弟子として13歳で設計を学び始め、曾禰中條建築事務所にも入所していた時期があるようです。
こちらは旧県庁舎と共に建てられた旧山形県会議事堂。 やはり中條・田原のコンビによる作品になります。
田原は県庁舎と県会議事堂が完成した2か月後に山形で病没。 まるで建物の完成を見届けたような散り際です。 コンドル~曾禰中條と当時の建築界の王道を歩んだ才能の早過ぎる死が惜しまれてなりません。
昨日の午前中は正に御徒町に居りましたが、松坂屋の店内散策でテンションが上がりYデパートには全く気付きませんでした(笑)。
箱根のY旅館に登録文化財の旧岩崎家別邸があるとは私も知りませんでしたね。
もう少し暖かくなったら箱根には建築散策に行こうと思っているのですが、
地震や山体膨張が伝えられているのでちょっぴり不安です。
不安といえば大中国の大気汚染ですが、午後に神保町の本屋で立ち読みしていて外に出たら
件の煙霧に巻き込まれ大変嫌な思いをさせられました。
周りの通行人たちは口々に中国の黄砂だと騒いでいましたが今回ばかりは濡れ衣だったようで…。