大正8(1919)年に倉敷銀行・天満屋銀行・倉敷商業銀行・鴨方倉庫銀行・茶屋町銀行・日笠銀行の6行合併により創設された第一合同銀行(初代頭取・大原孫三郎)の倉敷支店として大正11(1922)年に建設。 構造は混構造になっていて主要な部分はRC造、一部2階の東側部分は木造で壁はレンガと石で出来ています。 設計の薬師寺主計(やくしじ・かずえ 1884~1965)は現在の岡山県総社市で生まれ東京帝国大学の建築科を卒業、大学の先輩であった河合浩蔵(1856~1934)の建築事務所に1年弱ほど勤めたのち陸軍省に建築技師として入省し、この建物を設計した時は大原家の建築顧問も兼任してました。 岡山県倉敷市本町3-1 11年10月上旬他
※参考『アールデコの建築家 薬師寺主計』 2003
『岡山県の近代化遺産』 2005
『都市の記憶 美しいまちへ』 2002
現在の有隣荘(大原家別宅)の裏側、かつては倉敷銀行の本店があった場所に契約金9万2千円(当時)で発注され10ヶ月の工期で完成。 大原孫三郎が度々訪れては現場監督(施工・藤木工務店)に直接の指示を与え、異例の短期間で完成したという。
正面にはドリス式オーダーを簡略化したといわれる柱が6本並び、銀行建築らしさを出しています。
半円窓にはステンドグラス。 木内真太郎の作品。
ドーマー(屋根窓)は開閉出来ないので意匠的な側面が強いものと思われます。
外壁は洗い出し仕上げで腰の部分は北木島(岡山県笠間市)産の御影石を貼っているようです。
先細りの煙突。
北東側から撮影。
有隣荘の向かいには大原美術館本館(昭和5年築)。 こちらも大原・薬師寺・藤木正一(藤木工務店創設者)の3人の連携により完成したもの。 町の発展を考えて資金を出す人、それを形として表す人、そして実際に建物を作り上げる人。 倉敷のまちづくりはこの3人により進められた事が大きな特徴になっています。
倉敷の建築については大原と薬師寺の関係は良く紹介されているのですが、
施工の藤木正一(藤木工務店)との繋がりについては今回調べてみて初めて知りました。
藤木は日銀の岡山支店(設計・長野宇平治)の施工で薬師寺に認められ、
この第一合同銀行倉敷市店の施工によって大原の信頼も勝ち取ったようですね。
ここから大原家関連の建築を一手に引き受け、薬師寺と歩調を合わせながら
倉敷のまちづくりを進めていったエピソードは読み応えがありました。
勿論、富の社会への還元を図り、銀行や図書館、病院や学校といった
都市施設の拡充を自ら行った大原の存在が何よりも大きく感じます。
3人の連携がこの建物から始まったのかと思うと本当に感慨深いものがありますね。
これはなかなか良い設計の建物ですね。やはり
お施主さんと言うのは大事ですね。建築主、設
計者、施工者、の三者のうち誰かが独善だった
り、突出したり、突っ走ったりしても建物と言
うのは上手く行かないみたいです。そういう意
味でも、この建物はなかなか良いバランスの建
物のように思えます。