【単純化した形で一つの例を述べますと、学校の試験の点数についてですが、百点をとった者が偉いように見えているが、もし全員が百点をとればそのようには言えないのであるから、むしろ得点の低い出来ない人がいるからこそ、百点をとった人が偉く見えているのであって、「出来ること」の成り立つのは、「出来ないこと」がその根拠となっているということでしょう。二十点とか・三十点をとっている人が百点をとる人を支えているわけです。だから、二十点しかとれない人はもっと胸を張って、悠々と「僕のおかげで君は、偉く見えているのだから感謝してもらいましょう」ぐらいのことが言えてもよいと思うのです。
縁起の道理に基づいて自由な発想が出来る。それが、決して無茶でも無理でもなく、ひがみでも抑圧でもなく、明るく開けた心で出来るのですね。】
(真宗大谷派大阪教区仏教青年連盟発行・児玉暁洋先生『一人からの出発』より)
勝ち組、負け組。つか、支援される側・する側でも同じか。
縁起の道理に基づいて自由な発想が出来る。それが、決して無茶でも無理でもなく、ひがみでも抑圧でもなく、明るく開けた心で出来るのですね。】
(真宗大谷派大阪教区仏教青年連盟発行・児玉暁洋先生『一人からの出発』より)
勝ち組、負け組。つか、支援される側・する側でも同じか。