坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

実習ネタ

2013年05月05日 | 南無阿弥陀仏の結婚式
 映画『さようならCP』を観ながら昔の職場を思い出す。ちなみに昔の職場は『ポッポ』というパン屋さん。某先輩の名前を検索していら出てきた

『共同体運動・コミューン運動』
http://www.arsvi.com/d/c23.htm

にも出てきます。リバティー大阪にもパネルがあったりします。

 立岩 真也『共同連のやろうとしていることはなぜ難しいのか、をすこし含む広告』
http://www.arsvi.com/ts/2004020.htm

 にも紹介されていますが、『障害者』と『健常者』の給与が以前は同じでした。私が入る時に、あまりにも低賃金すぎて「こら、あかん。人が来んわ」という事で、確か『障害者』の給与を1~2万(忘れた)減らして、その分を『健常者』に廻す事でようやく私がやって来たと。まあ、私は単に専修学院後の就職先でタマタマ見つけただけだったのだが。
 『障害者』には行政から障害年金が出るので、私よりも月の収入が多く、私が『障害者』に缶ジュースを奢ろうとした時に「あんたより金持ちに奢ってどうするねん(笑)」という様な所(笑)そういや、今の寺から住職として受け取っている年収って、当時よりも少なかったりして…。代表役員(私)、住職(私を低賃金でコキ使い過ぎやな。まあ、「家賃タダやねんし、経費で本買えるから我慢せえ!」と。

 引越の多い私は物持ちが悪く、昨夜も「あれ?あのオイルライターどこに行ったかなぁ…」と、何となくエジプトっぽい18ぐらいの時にフリマで買ったライターを探したけど見つからなかった。まあ、無難に捨てたのだろう。本も服もCD等も大量に捨てまくり。
 でも、何点か宝物があって、その中の一つが、『ポッポ』時代に代表から貰った給料袋。ただし、一枚だけ。

 代表もCP(脳性麻痺)だった、と思う。「思う」と書いたのは病名(?)を聞いた事がないし。ただ、私からすると不自由な手で『吉田さん』と書いた給料袋が捨てられない。大切な宝物。

 教学研修院での法話実習のネタは『幽霊→迷信が迷信でなく本当だったら→焚焼仙経帰楽邦』から大きく路線変更して、『青い芝→焚焼仙経帰楽邦』に。結局『焚焼仙経帰楽邦』だったりするのだが(笑)その他、『三上寛・ピストル魔の少年→張偉→焚焼仙経帰楽邦』、左派向けに『美しい日本→焚焼仙経帰楽邦』と、各種の焚焼仙経帰楽邦(笑)


 ポッポの代表と青い芝について喋った事はあったっけ?仕事も、プライベートも、坊さんとしての活動もクソ忙しかった時期なので忘れたが。

 青い芝には茨城県かすみがうら市上志筑の閑居山願成寺住職・大仏空(おさらぎ・あきら)氏という天台宗僧侶が関わっていた。あの辺りは原始親鸞教団の地域だからだろうか?歎異抄を読まれてたらしく、青い芝の中心メンバーと共に学んでおられたらしい。




【このような強烈な自己主張は今までの障害者運動にも生活態度にもみられなかったことである。このような運動のバックボーンをなすものに、青い芝の行動綱領とも言うべき四原則がある。それを次に示そう。
 一 われらは自らがCP者であることを自覚する。
 われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。
 一 われらは強烈な自己主張を行なう。
 われらがCP者であることを自覚したとき、そこに起こるのは自らを守ろうとする意思である。われらは強烈な自己主張こそそれを成し得る唯一の路であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは愛と正義を否定する。
 われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは問題解決の路を選ばない。
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。 
 われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我らの行い得る運動であると信じ、且つ行動する。
 この思想は突如として障害者運動の中に現われ、今やそれが運動の中核になろうとしているが、この考えは一体どこから出てきたのであろうか。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるに世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいわんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるに似たれども……」
 これは、鎌倉時代にかかれた歎異抄の一節である。歎異抄は浄土真宗の開祖である親鸞上人の教えを弟子が書き記したものであるが、その真髄は悪人正機、つまり「悪人こそまず救われるべきである」というのである。親鸞のいう悪人――うみかはにあみをひき、つりをして世をわたるものも、野やまにしゝをかり、とりをとりていのちをつぐともがら――は自分が悪人だということを知っており、なおかつ悪業をしなければ生きていけない悲しみを知っている。それに対して善人は「善行」(心身も修行を行い勉学にいそしみ他人に施しなどをすること)ができる、いわば恵まれた人達なのである。親鸞は当時修行勉学する機会に恵まれた人達だけが救われるとする旧宗派を捨て、庶民―その時代の底辺をなす人々―の中で生きた人といえよう。
 現代において、人は無意識のうちに善い行ないをすれば善いことがあり、幸せになれると思い、善い行ないとは究極のところよく働くことだと率直に信じこんでいる。

「一生懸命働き、世界の役に立ち、金を残し、自分の家を建て、良い家庭を築く、このようなことが善人の手本であり幸せの見本とされているけれど、このようなことができない人達はどうなるのかね。それは『不幸な人』すなわち悪とされる。しかし歎異抄の『悪人』という言葉を障害者という言葉に置き換えてごらん」
 これはマハラバ村(サンスクリットで大きな叫びの意)のリーダーであった大仏空師の言葉であり、私と大仏氏、歎異抄との出会いでもあった。父から常々働くことは人間としての資格なのだといい聞かされ、現実の自分と比べ肩身の狭い思いをしながら、それに反芻する論理的拠り所を知らなかった私にとって、この言葉は衝撃であった。そもそもマハラバ村とは昭和三九年茨城県石岡市郊外、小高い山の中腹に立つ閑居山願成寺という古寺を中心に作られた脳性マヒ者の共同体であり、この寺の住職が大仏師であった。
 「人は誰でも罪深いものである。知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている。いや迷惑をかけ犯罪を犯さなければ生きていけないのが人間である。それを償おうとすればまた一つ二つと悪いことをしてしまう。そんな罪深い自分に気がついた時に『助けてくれ』と叫ばなければならないだろう。その叫びを親鸞は念仏といったのだ。そして念仏を叫ばなければいられなくなった時、必ず阿弥陀様が救って下さるというのだ。障害者は被差別者であり、すぐ被害者づらをするが、同時に自分も加害者であることに少しも気づこうとはしない。つまり、皆もっと自己を凝視し、そこから自己を主張する必要がある。そうでないと自分達を差別しているものが何であるのかがわからずに過ぎてしまう」
「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」
 このような話を数年間にわたって大仏師より聞かされ、また討論してきたのである。とはいっても有難い法話を聞き、経典の勉強などにいそしんだというのではない。障害者特有の社会性のなさ、お互いのエゴのぶつけ合い、社会で差別され、こずき回されてきた故の人間不信と妙な甘え、家に閉じ込められていたが為の気のきかなさ、男女関係のもつれ等が渦巻き、それは壮烈なまでの人間ドラマであった。だからこそ歎異抄の世界を地で行ったといえよう。】
(横塚晃一『ある障害者運動の目指すもの』。ただし、生活書院『母よ!殺すな』2010年1月10日・第二版第一刷109頁~114頁より)

 
 特に私は上記引用文にある横塚晃一氏の『所留耳底(みみのそこにとどまるところ』である大仏空氏の言葉

【「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」】

 に注目したい。
 この「背を向けていこうではないか」という言葉は『健全者社会に迎合しない』という風に読めばいいのか?勉強不足&酔っぱらい。

 大仏空氏は天台宗の僧侶であるが故に(?)天台本覚思想が背景にある。

『「おのれの地獄を見きわめよ」―CP(脳性マヒ)者とともに生きて』
http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html


に『三十四箇事書』の


【草木はただ草木にして、生界・仏界の徳なしと。一向にただ非常にして、有情にあらずと。故に、これを破す。一家の意は、草木非情といえども、非情ながら有情の徳を施す。非情を改めて有情と云ふにはあらず。故に成仏と云えば、人々、非情を転じて有情に成ると思ふ。全くしからず。ただ非情ながら、しかも有情なえり。よくよく、これを思うべし。】(日本思想体系9『天台本覚論』167頁より)

を原文で引用し

【つまり、「非情は非情のままでけっこうなんだ。草木が人間のように成仏することができない。悪いものは悪いままでけっこうなんだ。悪いということで、すでにいいことなんだ。とくに、いいことになるなんて思う必要がない」。それが、ここに述べられている。「草木国土悉皆成仏」を下手に理解すると、皆一つになってしまう。だから、脳性マヒなら脳性マヒで、それですでにいいのだという考え方なんです。脳性マヒ者が「健全者」に近づいてよくなるなんて考える必要がないというわけです。脳性マヒは脳性マヒで、健全者は健全者で、それでいいわけです。別々でいて、それで一律なんだという考え方がないと、「草木国土悉皆成仏」がまちがって理解されるが、この考え方は、比叡山にちゃんとあったんです。】
(http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html)

と。

 そろそろ寝ないといけないし、酔いも深まって来た(文字が打てない…)ので、まとめに入るが、本覚思想は一部の真面目なインテリ仏教徒に非情に評判が悪く、それこそ「本覚思想は仏教ではない!」という意見もあったりするが、しかし、『青い芝』という活き活きとした念佛者の叫びの根拠に天台本覚思想があった事実を真面目なインテリ仏教徒はどう考えるのか?

 だいたい、『本覚思想』といっても、私(たち)凡夫にはハードルが高いのではないのか?流転する縁起的存在の自他を「そのまま」引き受ける事がどれ程難しい事かぐらいは、多少、自分の人生について悩んだ事がある人には実感出来るのではないのか?『苦』の語源は『思い通りにならない』ではなかったのか?『一切皆苦』はどこに消えた。
 また、今日もまだ残る障害者差別=優生思想の現状はどう考えるのだ?「役に立つ」「役に立たない」、「都合がイイ」「都合が悪い」、老少善悪を問わないのが真宗であるが、それは老少善悪を「えらび・きらい・みすてる」現実があるからである。

 あ、焚焼仙経帰楽邦。



【菩提流支との出会いによる曇鸞の回心の物語はあまりにも有名であるが、『続高僧伝』には、この「梵焼仙経帰楽邦」といわれるできごとが何であったのかを簡潔に述べる記事がある。曇鸞の臨終を述べるくだりである。むしろこの記述の方が重要であると思う。

 魏の興和四年を以って、疾に因って平遥の山寺に卒す。春秋六十有七。

 魏の興和四年(五四二)に、老齢のためであろうか、曇鸞は病気になって、平遥(現在の山西省)の山寺で亡くなった。六十七歳であった、という淡々とした記述である。深い感動を覚える記事である。
 曇鸞はかつて病気になった時、「命は惟れ危脆にして、其の常を定めず」と、生死するいのちのはかなさに愕然として、不老長寿の法を求めた。外道に迷ったのである。その曇鸞が念仏に帰して、年をとえい、病気になって、そして一老人として死んだ。あれほど健康で長生きをすることを求めていた曇鸞が、平々凡々としたひとりの人間としての生涯を終えていった。生死するいのちのままに、生かされ、そしていのちを終えた。
 真宗には現世利益がないといわれるが、そういうことはない。与えられたいのちを尊び、そのいのちを完結していく。苦労の多い人生であっても、それを自分の人生としてまっとうする。そのような真実の人生を見いだすこと以外に、どこに現世利益があろうか。仏教が説く最大の利益は真実に生きる道が見つかったということである。
 曇鸞は外道に迷ったことを通して仏教に目覚めた。仏陀釈尊が八十年の生涯をもって示したように、曇鸞も六十七年の生死するいのちを完結していった。老い、病み、死すという、平凡であるけれども地に足のついた、人の一生を示して、それがそのまま真実に生きる道であることを教えた。曇鸞はみずからの生涯をもって、念仏往生の道の何であるかを教え示したといえる。】
(狐野秀存先生『釈尊から親鸞へ』七祖の伝統 107頁~108頁より)


 
 曇鸞を『障害者』と置き換えてみると、『健全者』に憧れ『健全者』になろうとしていた曇鸞が念仏に帰依し、平々凡々とした一人の『障害者=人間』として立ち上がり、人生を全うする事が出来た。
 それを私に置き換えると、若い頃は悪魔に魂を売ってでも有名になりたかった。世間的な名誉が欲しかった。「ありのままの私」が大キライだった。でも、そういう私に対して、無条件に尊敬し、引き受けてくれる方々が信仰して居られる本願念仏の教えを私も学ぶ事によって、今も「生きている」事が出来ている、という奇跡がある。


 ポッポのパン屋時代に、ポッポが属している障害者団体のイベントにヘルパーとして参加した。基本はあくまでも「障害者による障害者の為のイベント」。ヘルパーの私や、本を売りに来てた月刊地域闘争の人はオマケ(笑)
 そのイベントで、若い頃に青い芝に触れた方が、「あんたら自分が障害者やということを忘れたらあかんで。忘れそうになったら鏡をみたらエエ。どっからどうみても障害者やろ」と。
 その時の感動は今にして思えば

『あなたは、あなたに成ればいい~あなたはあなたで在ればいい』(渡辺尚子)

と、いう言葉だったのだろう。

 

 『青い芝と原始親鸞教団』についても書きたい気分だが、寝る。

 あと、
多分、これを15分の法話原稿に仕立て上げて話すにはかなり無理がある、というか、火曜日にレジメ的なものを提出して、その後も諸々勉強して、かつ、深めて、言葉にして、引用その他を端折りまくって、15分ぐらいにしよ。
 基本は自己紹介です(笑)

映画『さようならCP』を観て

2013年05月05日 | 坊主の家計簿
 映画『さようならCP』を観ながら昔の職場を思い出す。ちなみに昔の職場は『ポッポ』というパン屋さん。某先輩の名前を検索していら出てきた

『共同体運動・コミューン運動』
http://www.arsvi.com/d/c23.htm

にも出てきます。リバティー大阪にもパネルがあったりします。

 立岩 真也『共同連のやろうとしていることはなぜ難しいのか、をすこし含む広告』
http://www.arsvi.com/ts/2004020.htm

 にも紹介されていますが、『障害者』と『健常者』の給与が以前は同じでした。私が入る時に、あまりにも低賃金すぎて「こら、あかん。人が来んわ」という事で、確か『障害者』の給与を1~2万(忘れた)減らして、その分を『健常者』に廻す事でようやく私がやって来たと。まあ、私は単に専修学院後の就職先でタマタマ見つけただけだったのだが。
 『障害者』には行政から障害年金が出るので、私よりも月の収入が多く、私が『障害者』に缶ジュースを奢ろうとした時に「あんたより金持ちに奢ってどうするねん(笑)」という様な所(笑)そういや、今の寺から住職として受け取っている年収って、当時よりも少なかったりして…。代表役員(私)、住職(私を低賃金でコキ使い過ぎやな。まあ、「家賃タダやねんし、経費で本買えるから我慢せえ!」と。

 引越の多い私は物持ちが悪く、昨夜も「あれ?あのオイルライターどこに行ったかなぁ…」と、何となくエジプトっぽい18ぐらいの時にフリマで買ったライターを探したけど見つからなかった。まあ、無難に捨てたのだろう。本も服もCD等も大量に捨てまくり。
 でも、何点か宝物があって、その中の一つが、『ポッポ』時代に代表から貰った給料袋。ただし、一枚だけ。

 代表もCP(脳性麻痺)だった、と思う。「思う」と書いたのは病名(?)を聞いた事がないし。ただ、私からすると不自由な手で『吉田さん』と書いた給料袋が捨てられない。大切な宝物。

 教学研修院での法話実習のネタは『幽霊→迷信が迷信でなく本当だったら→焚焼仙経帰楽邦』から大きく路線変更して、『青い芝→焚焼仙経帰楽邦』に。結局『焚焼仙経帰楽邦』だったりするのだが(笑)その他、『三上寛・ピストル魔の少年→張偉→焚焼仙経帰楽邦』、左派向けに『美しい日本→焚焼仙経帰楽邦』と、各種の焚焼仙経帰楽邦(笑)


 ポッポの代表と青い芝について喋った事はあったっけ?仕事も、プライベートも、坊さんとしての活動もクソ忙しかった時期なので忘れたが。

 青い芝には茨城県かすみがうら市上志筑の閑居山願成寺住職・大仏空(おさらぎ・あきら)氏という天台宗僧侶が関わっていた。あの辺りは原始親鸞教団の地域だからだろうか?歎異抄を読まれてたらしく、青い芝の中心メンバーと共に学んでおられたらしい。




【このような強烈な自己主張は今までの障害者運動にも生活態度にもみられなかったことである。このような運動のバックボーンをなすものに、青い芝の行動綱領とも言うべき四原則がある。それを次に示そう。
 一 われらは自らがCP者であることを自覚する。
 われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。
 一 われらは強烈な自己主張を行なう。
 われらがCP者であることを自覚したとき、そこに起こるのは自らを守ろうとする意思である。われらは強烈な自己主張こそそれを成し得る唯一の路であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは愛と正義を否定する。
 われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは問題解決の路を選ばない。
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。 
 われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我らの行い得る運動であると信じ、且つ行動する。
 この思想は突如として障害者運動の中に現われ、今やそれが運動の中核になろうとしているが、この考えは一体どこから出てきたのであろうか。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるに世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいわんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるに似たれども……」
 これは、鎌倉時代にかかれた歎異抄の一節である。歎異抄は浄土真宗の開祖である親鸞上人の教えを弟子が書き記したものであるが、その真髄は悪人正機、つまり「悪人こそまず救われるべきである」というのである。親鸞のいう悪人――うみかはにあみをひき、つりをして世をわたるものも、野やまにしゝをかり、とりをとりていのちをつぐともがら――は自分が悪人だということを知っており、なおかつ悪業をしなければ生きていけない悲しみを知っている。それに対して善人は「善行」(心身も修行を行い勉学にいそしみ他人に施しなどをすること)ができる、いわば恵まれた人達なのである。親鸞は当時修行勉学する機会に恵まれた人達だけが救われるとする旧宗派を捨て、庶民―その時代の底辺をなす人々―の中で生きた人といえよう。
 現代において、人は無意識のうちに善い行ないをすれば善いことがあり、幸せになれると思い、善い行ないとは究極のところよく働くことだと率直に信じこんでいる。

「一生懸命働き、世界の役に立ち、金を残し、自分の家を建て、良い家庭を築く、このようなことが善人の手本であり幸せの見本とされているけれど、このようなことができない人達はどうなるのかね。それは『不幸な人』すなわち悪とされる。しかし歎異抄の『悪人』という言葉を障害者という言葉に置き換えてごらん」
 これはマハラバ村(サンスクリットで大きな叫びの意)のリーダーであった大仏空師の言葉であり、私と大仏氏、歎異抄との出会いでもあった。父から常々働くことは人間としての資格なのだといい聞かされ、現実の自分と比べ肩身の狭い思いをしながら、それに反芻する論理的拠り所を知らなかった私にとって、この言葉は衝撃であった。そもそもマハラバ村とは昭和三九年茨城県石岡市郊外、小高い山の中腹に立つ閑居山願成寺という古寺を中心に作られた脳性マヒ者の共同体であり、この寺の住職が大仏師であった。
 「人は誰でも罪深いものである。知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている。いや迷惑をかけ犯罪を犯さなければ生きていけないのが人間である。それを償おうとすればまた一つ二つと悪いことをしてしまう。そんな罪深い自分に気がついた時に『助けてくれ』と叫ばなければならないだろう。その叫びを親鸞は念仏といったのだ。そして念仏を叫ばなければいられなくなった時、必ず阿弥陀様が救って下さるというのだ。障害者は被差別者であり、すぐ被害者づらをするが、同時に自分も加害者であることに少しも気づこうとはしない。つまり、皆もっと自己を凝視し、そこから自己を主張する必要がある。そうでないと自分達を差別しているものが何であるのかがわからずに過ぎてしまう」
「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」
 このような話を数年間にわたって大仏師より聞かされ、また討論してきたのである。とはいっても有難い法話を聞き、経典の勉強などにいそしんだというのではない。障害者特有の社会性のなさ、お互いのエゴのぶつけ合い、社会で差別され、こずき回されてきた故の人間不信と妙な甘え、家に閉じ込められていたが為の気のきかなさ、男女関係のもつれ等が渦巻き、それは壮烈なまでの人間ドラマであった。だからこそ歎異抄の世界を地で行ったといえよう。】
(横塚晃一『ある障害者運動の目指すもの』。ただし、生活書院『母よ!殺すな』2010年1月10日・第二版第一刷109頁~114頁より)

 
 特に私は上記引用文にある横塚晃一氏の『所留耳底(みみのそこにとどまるところ』である大仏空氏の言葉

【「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」】

 に注目したい。
 この「背を向けていこうではないか」という言葉は『健全者社会に迎合しない』という風に読めばいいのか?勉強不足&酔っぱらい。

 大仏空氏は天台宗の僧侶であるが故に(?)天台本覚思想が背景にある。

『「おのれの地獄を見きわめよ」―CP(脳性マヒ)者とともに生きて』
http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html


に『三十四箇事書』の


【草木はただ草木にして、生界・仏界の徳なしと。一向にただ非常にして、有情にあらずと。故に、これを破す。一家の意は、草木非情といえども、非情ながら有情の徳を施す。非情を改めて有情と云ふにはあらず。故に成仏と云えば、人々、非情を転じて有情に成ると思ふ。全くしからず。ただ非情ながら、しかも有情なえり。よくよく、これを思うべし。】(日本思想体系9『天台本覚論』167頁より)

を原文で引用し

【つまり、「非情は非情のままでけっこうなんだ。草木が人間のように成仏することができない。悪いものは悪いままでけっこうなんだ。悪いということで、すでにいいことなんだ。とくに、いいことになるなんて思う必要がない」。それが、ここに述べられている。「草木国土悉皆成仏」を下手に理解すると、皆一つになってしまう。だから、脳性マヒなら脳性マヒで、それですでにいいのだという考え方なんです。脳性マヒ者が「健全者」に近づいてよくなるなんて考える必要がないというわけです。脳性マヒは脳性マヒで、健全者は健全者で、それでいいわけです。別々でいて、それで一律なんだという考え方がないと、「草木国土悉皆成仏」がまちがって理解されるが、この考え方は、比叡山にちゃんとあったんです。】
(http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html)

と。

 そろそろ寝ないといけないし、酔いも深まって来た(文字が打てない…)ので、まとめに入るが、本覚思想は一部の真面目なインテリ仏教徒に非情に評判が悪く、それこそ「本覚思想は仏教ではない!」という意見もあったりするが、しかし、『青い芝』という活き活きとした念佛者の叫びの根拠に天台本覚思想があった事実を真面目なインテリ仏教徒はどう考えるのか?

 だいたい、『本覚思想』といっても、私(たち)凡夫にはハードルが高いのではないのか?流転する縁起的存在の自他を「そのまま」引き受ける事がどれ程難しい事かぐらいは、多少、自分の人生について悩んだ事がある人には実感出来るのではないのか?『苦』の語源は『思い通りにならない』ではなかったのか?『一切皆苦』はどこに消えた。
 また、今日もまだ残る障害者差別=優生思想の現状はどう考えるのだ?「役に立つ」「役に立たない」、「都合がイイ」「都合が悪い」、老少善悪を問わないのが真宗であるが、それは老少善悪を「えらび・きらい・みすてる」現実があるからである。

 あ、焚焼仙経帰楽邦。



【菩提流支との出会いによる曇鸞の回心の物語はあまりにも有名であるが、『続高僧伝』には、この「梵焼仙経帰楽邦」といわれるできごとが何であったのかを簡潔に述べる記事がある。曇鸞の臨終を述べるくだりである。むしろこの記述の方が重要であると思う。

 魏の興和四年を以って、疾に因って平遥の山寺に卒す。春秋六十有七。

 魏の興和四年(五四二)に、老齢のためであろうか、曇鸞は病気になって、平遥(現在の山西省)の山寺で亡くなった。六十七歳であった、という淡々とした記述である。深い感動を覚える記事である。
 曇鸞はかつて病気になった時、「命は惟れ危脆にして、其の常を定めず」と、生死するいのちのはかなさに愕然として、不老長寿の法を求めた。外道に迷ったのである。その曇鸞が念仏に帰して、年をとえい、病気になって、そして一老人として死んだ。あれほど健康で長生きをすることを求めていた曇鸞が、平々凡々としたひとりの人間としての生涯を終えていった。生死するいのちのままに、生かされ、そしていのちを終えた。
 真宗には現世利益がないといわれるが、そういうことはない。与えられたいのちを尊び、そのいのちを完結していく。苦労の多い人生であっても、それを自分の人生としてまっとうする。そのような真実の人生を見いだすこと以外に、どこに現世利益があろうか。仏教が説く最大の利益は真実に生きる道が見つかったということである。
 曇鸞は外道に迷ったことを通して仏教に目覚めた。仏陀釈尊が八十年の生涯をもって示したように、曇鸞も六十七年の生死するいのちを完結していった。老い、病み、死すという、平凡であるけれども地に足のついた、人の一生を示して、それがそのまま真実に生きる道であることを教えた。曇鸞はみずからの生涯をもって、念仏往生の道の何であるかを教え示したといえる。】
(狐野秀存先生『釈尊から親鸞へ』七祖の伝統 107頁~108頁より)


 
 曇鸞を『障害者』と置き換えてみると、『健全者』に憧れ『健全者』になろうとしていた曇鸞が念仏に帰依し、平々凡々とした一人の『障害者=人間』として立ち上がり、人生を全うする事が出来た。
 それを私に置き換えると、若い頃は悪魔に魂を売ってでも有名になりたかった。世間的な名誉が欲しかった。「ありのままの私」が大キライだった。でも、そういう私に対して、無条件に尊敬し、引き受けてくれる方々が信仰して居られる本願念仏の教えを私も学ぶ事によって、今も「生きている」事が出来ている、という奇跡がある。


 ポッポのパン屋時代に、ポッポが属している障害者団体のイベントにヘルパーとして参加した。基本はあくまでも「障害者による障害者の為のイベント」。ヘルパーの私や、本を売りに来てた月刊地域闘争の人はオマケ(笑)
 そのイベントで、若い頃に青い芝に触れた方が、「あんたら自分が障害者やということを忘れたらあかんで。忘れそうになったら鏡をみたらエエ。どっからどうみても障害者やろ」と。
 その時の感動は今にして思えば

『あなたは、あなたに成ればいい~あなたはあなたで在ればいい』(渡辺尚子)

と、いう言葉だったのだろう。

 

 『青い芝と原始親鸞教団』についても書きたい気分だが、寝る。

 あと、
多分、これを15分の法話原稿に仕立て上げて話すにはかなり無理がある、というか、火曜日にレジメ的なものを提出して、その後も諸々勉強して、かつ、深めて、言葉にして、引用その他を端折りまくって、15分ぐらいにしよ。
 基本は自己紹介です(笑)