坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

容疑者Xの人間交差点

2011年01月11日 | 坊主の家計簿
 たまに、というか、結構あるのだが、睡眠時間調整を失敗すると私は止まる。
 今日だったら、出来れば帰って来て少し仮眠したかったのだが、仕損なったので、止まる。
 『止まる』とは、本当に止まるのだ。
 体が動かない。かと行って寝る事も出来ない。風呂に入る事、シャワーを浴びる事さえも困難になる。
 コタツで止まってる最中に「ああ、うつ病って、こんな感じなのかな?」と思ったりする。

 今日は、気に入ったテレビもなく、映画。録画していた映画を観る。
 一本目は『少年メリケンサック』。宮凬あおいチャンの魅力満載の映画だった。
 二本目は何回目かの『容疑者Xの献身』。何回目なんだろうか?でも、なんとなく、この止まっている状態で観たかったので、深夜、ネットでの買い物を済ませた後に観る。

 娘は今日は御機嫌ナナメ。何時もより泣き、何時もより甘えたモード。

 観なかったけど、今日は『スポーツ人間交差点』という番組をやっていたらしい。
 漫画の『人間交差点』は大好きな漫画。
 何のストーリーか忘れたが、公園のベンチで犯人が子どもの手を握るシーンがあった。暖かい手。

 娘とママが一緒に遊んだり、ママが娘と一緒に食事してたりするのを見てると「奇跡」と思ったりする。娘とママが今も隣の部屋で寝てたりする事も。

 『有り難い』=『有る事難し』。

 『容疑者Xの献身』。何回目なのだろうか?確か、以前に観た時の感想もこのブログに書いて居るはずなんだが、別に調べる事も今はない。そういう必要性を今は感じない。
 
 『容疑者X』が、首を吊ろうとしているシーンに隣人の『光』からのチャイム。あのシーンは日本映画界に残る名シーンだと思ったりする。

 『孤独』。孤独だから、暖かい。『我、今帰する所なく孤独 にして同伴なし』(往生要集より)

 だから、暖かい。

 『容疑者Xの献身』のラストシーン。「おらぁ、踏んだだ!」やったっけ。遠藤周作『沈黙』でのキチジローの名言。
 自己犠牲、すべての罪を背負ってゴルゴダの丘に登ったイエス。

 検索しても、酔っぱらってるし、ちゃんと検索出来ないので、あやふや。シモンペテロは「知らない」と行った。イエスの事を鶏が鳴く前に三度知らないと言った。イエスの予言通りに。

 『容疑者X』にかばわれた人は「私がやった」と言った。「私も一緒に罪に服します」と言った。

【阿弥陀如来が全責任を負うてくださるということは、それは、自分が全責任者であることに帰着する。】(曽我量深『異るを嘆く』より)

 『容疑者X』は、そこで泣いた「なんで?」と泣いた。庇おうとしてた人と一緒に泣いた。
 「なんで?」と言葉では出た。それは『容疑者X』の自我なんだろうが、一緒に泣いた。
 2人は一生涯、ずっと一緒の罪を背負って行くのだろう。あ、庇おうとしていた娘と3人で。

 「僕に友達は居てない」と言った、孤独な『容疑者X』に家族が出来た。