坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

2日分

2005年11月17日 | 坊主の家計簿
 11月15、16日

 食料       ココア        120円
          寿司         200円
          カレイの唐揚げ    100円
          キャンデー      280円
          シャケアラ焼いたの  125円
          土ショウガ       88円
          ベーコン       285円
          サッポロタンメン    38円
          うどん2玉       38円
          カニかまぼこ      98円
          のど飴        100円
          じゃこ        198円
          大根          70円
 
      小計    1740円
       
 タバコ      セーラムピンク    300円
          初めて買うの     270円
 酒        スリムス3缶     315円
 100均     もろもろ12点   1260円
 コーナン     アクリル板      388円
          強力両面テープ    462円
 飲み代      プカプカ       900円
          HOBO       5100円
 外食       ラーメン       750円
 衝動買い     トートーバッグ   2000円

  合計     13485円 
  11月累計  52272円

 飲み代はシャーないし、100均もサプリメントとかドクダミ茶とかやし、まあ、こんなもんやろうけど、二日酔いで衝動的に買ってしまったカバンが。。。まあ、黒の人工皮革でデザインもカッチョよかったし、作りもしっかりしてるし、ショルダーにもなるし、まあ「お買い得」っちゅうたら、お買い得なんだが。。。今使ってるやつあるねんけどなぁ。。。
 ちなみに飲み代は、プカプカでビール1本、HOBOでナマ1杯デュワーズロック7杯か。まあ、んなもんやな。
 ちなみに今日も飲んで来たけど、今日はまとめ買いしてるボトルを1本おろしたのでタダ。

ちゃりんこ

2005年11月15日 | 坊主の家計簿
  11月14日
  
 食類?     ウーロン茶      100円

   11月累計     38787円

 仕事に行くのに、お茶持って行くのを忘れた。。。
 まあ、寒くなったし、大丈夫ちゅうたら、大丈夫なんだが、でも一応声帯労働者やし、喉は乾かさん様ようにしとかな声が出難い。ついでに風邪もひきやすいし。

 そういや、お参り中にチャリンコのチェーンが外れた。前からカシャカシャ音が鳴ってたから気にはなって居たのだが、ついに外れやがった。。。まあ、自転車でのお参りが終わりかけの時だったので、そのまま押してお参りを済ませて帰宅してから治したのだが、チェーン伸びまくり。。。まあ、サビは大丈夫みたいなので、明日か明後日にでもチェーンをつめて貰お。
 ついでにスタンドがそろそろヤバいし、シートもヤバい。。。
 まあ、仕事でも使うものやし、日頃の足やし、多少の出費はしゃーないな。

寒い時は煮込みでっせ

2005年11月14日 | 坊主の家計簿
  11月13日

 外食    ラーメン         590円
 タバコ   セーラムピンク      300円
 酒     サッポロスリムス     149円
 食類    熟成丸大豆醤油      207円
       菊菜           138円
       一口餃子(半額)     149円
       白ネギ           65円
       納豆3パック        79円
       コンニャク         69円
       がんもどき(小7個)   150円

  合計        1896円
  11月累計    38687円


 仕事中、体が寒くなって来たのでラーメン、ラーメン。ネギたっぷしで風邪予防。っちゅうか、治ったばっかりやし。。。
 がんもどきを煮込んで喰おと思てたら、途中で「お!こんな所に冷凍すじ肉が余っとるやんけ」と、ブチ込む。ついでにコンニャクを買って来てブチ込む。よって、今後この料理の予定は、まずがんもどきを食べ切り、白ネギをブチ込んで
 1 まずはスタンダードな牛筋煮込みで喰う
 2 お好み焼きの具にする
 3 残った煮込み料理は全部カレーに変身させたらエエんや

食欲の秋

2005年11月13日 | 坊主の家計簿
  11月12日

 外食     酢豚定食       750円
 娯楽     レンタルビデオ6本  630円

 合計        1380円
 11月累計    36791円

 
 仕事終わって、遅めの昼飯を喰らいにチャリで少し行った中華料理屋に行く。すぐ近所にも中華料理屋ぐらいあるのだが、ここは盛りが無茶苦茶多い。
 例えば酢豚定食なら、酢豚が中華料理屋で「おっさん酢豚とビール呉れ!」っちゅう単品の酢豚の量で出て来る。それプラス、餃子4個(もしくは麻婆豆腐お椀サイズ)と、焼そば(まあ、「おっさん焼そばとビール呉れ!」っちゅうて出て来る単品サイズの3分の1ぐらい)と、サラダと味噌汁。あと、大盛りメシ(まあ、普通サイズらしいのだが。。。大盛りは100円アップらしいので。。。)。
 普段は小食なので、これを全部喰うと胃を壊してしまうので、メシの量を減らしてもらうのだが、今日は通常の量で完食。
 「さすがに夜は喰えんやろ。。。」と思ってたら何の事はない。喰い終わったのが15時ぐらいなのに20時には「腹減ったなぁ。。。」と晩飯を喰い出す。
 晩飯は、結局一度も牛丼として喰われる事がなく肉うどんの具としてしか扱われる事がなかったが作った本人は「カレーに成らんかっただけでもマシやと思え」と云う人間なので全く反省の色がなく最後の今日もラーメンに入れられる事に成った牛丼の具と、買った時に味付けして炒めておいたミンチの残りを、これまたキムチの残りと豆板醤で炒め煮して、インスタントラーメンの具にした。結構美味かった。
 ミカンも食ったし、『疲れ→メシを喰え!』っちゅう発想&行動は若者の証か???

 あ、ユニクロがバーゲンしてます。

疲れてるぜ!

2005年11月12日 | 坊主の家計簿
    11月11日

 お仕事気合いドリンク    缶コーヒー      100円
               缶ココア       120円
 お仕事気合いタバコ     ピアニシモ桃色    300円

 
    合計        520円
    11月累計   35411円

 疲れてる、っちゅうねん。。。

医療費

2005年11月10日 | 坊主の家計簿
  11月9日

 薬       浅田飴咳止め         498円
 生活雑貨    洗剤・詰め替え用       198円
         歯磨き粉(粉やないけどな)  298円
 食物      粗挽きウインナー       180円
         国産ミンチ          298円
         カットパイン(半額)      75円
         うどん3玉           57円
         豪州バラ肉          269円
 酒       マンズワイン         298円
         白雪純米180ml       105円
 タバコ     ピアニシモのピンク      300円  

   合計        2572円
   11月累計    34791円

 
 意味ないが急に牛丼を作りたくなったので作った。その残り?の赤ワインを飲んで居るのだが、久しぶりの醸造酒はきくなぁ。。。いっつも発泡酒→焼酎やし、飲みに行ったらビール→ウイスキーやし、ワインとか日本酒とかって苦手なので余り飲まない。脳天直撃なので眠くなるし、ボケる。
 ので、ボケながら書き込むのだが、咳止めは結局『浅田飴』にした。なんじゃ、あの『リン酸ジヒドロコデイン』とか云うやつが入った、まあ、麻薬が入ったやつは眠くなるので辞め。まあ、昨日から風邪薬をまた飲み始めて、あれは緩いし、眠くならないし、風邪薬&浅田飴で報恩講を乗り切ろう。

 ああ、貧乏ってイヤだわ(それほど貧乏でもないのだが。。。)と、薬局の咳止め薬が置いてある棚の前に座り込んで、諸々選びつつ思う。
 「え~と、これは何錠入りでナンボやから、え~と、こっちの方が安いのか?ん?有効成分の量はどない成っとるねん。。。」とか。

 「命は平等である」それが基本原則である。故に『平等』でない現実を批判していかなければならない。

 私は医療保険なんぞというのに入って居て(少額だが)、健康保険にも入って居る。
 毎日、一応(自分なりに)栄養バランスなんぞを気にした食生活を送り、かつ、結構な量のサプリメントも飲んで居る。
 少し咳き込むぐらいで、のど飴の他に咳止め用の飴なども買う事が出来る。風邪薬もある。
 衣食住に事足り、健康にも気を使う事が出来る。そういう贅沢さを満喫している。

 医療費に使えるお金は決して平等ではない。

家計簿ではありません。。。しかも書いたのは12月7日です。。。

2005年11月09日 | 坊主の家計簿
 この間、お参り先のオバちゃんからレトルトカレーを貰った。これは彼岸法要の時に私が感話で「自炊してます」と言ったからであるのだが、あのレトルトカレーは「兄ちゃん。自炊なんかせんと、その分勉強してや!」っちゅう意味なんだろうか?まあ、オバちゃんお勧めのレトルトカレーであって、結構美味かったのだが。。。
 とはいえ、私ら在家真宗坊主は別に学者ではないので学問だけをしても仕方がないと感じる。読書したり学習会に行く事は当然大事な事だけど、それ以前に生活者として生きて行く上での問いがなければ、聞く事もどこか机上の論理になってしまうと感じる。
 とはいえ、全員が全員家事をする必要もなく、役割分担なんだから、専業主婦と同じく専業僧侶が居てもいいわけであって、互いがそれぞれの仕事を尊敬しあえばエエわけであってやな。
 家事をしてても、漁に行くわけでも、布を織るわけでもない。家事をする事を「大変だ」と誇る事によって、その実、「自分が一番大変」と言いたいだけであって、そういう御苦労がみえなかったりする。気づこうとしなかったりする。家事を誇る事によって自分のプライドを保とうとする事には懸命になり、その家事を支えてくれている漁師さんだったり、布を織ったりする人の事は見ようとしなかったりする、気づこうとしなかったりする。
 結局は何をやっても、プライドの高い自分の誇る為の道具にしてしまう。
 だからといって、何もやらないわけにはいかず、なにもやらないのなら間違いなく今度は「なにもやらない事」を誇る。「なんの、なんの、皆様方とは違って私には誇るものなど何もありませんよ」と自他を斬り裁き誇るわけだし。そんなもんだ。
 そんな中で唯一出来る事といえば、誇って周囲、っちゅうか自他を自分のプライドを保つ為の道具にしかしていないという自分を問われていく事だと感じる。

 【弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり。】(歎異抄第一章より)

 そんな『時』以外は自他を斬り裁いているわけであって、自分のプライドを保とうと自他を踏みにじっているわけであって、それを特に誤摩化してしまうのが『解放』だったり、『正義』だったり、甘い言葉である。


 【弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり。】(歎異抄第一章より)

 そんな『時』以外は常に自他を斬り裁いている。が、そういう『時』がある事によって、そういう『時』以外を批判出来る。そういう『時』を基準にして批判出来る。
 よって、さも自分がそういう『時』に常にあるような顔をして振る舞う必要もなければ、逆に「このような罪深きわたくしが人様の批判なんぞ恐れ多くて。。。」などと卑下し慢心する必要もない。
 そういう『時』以外は必ず自他を斬り裁いているわけであって、その証拠に批判されでもしようものなら全力をあげて批判から逃れようと屁理屈をこねたりする。
 

 【弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり。】(歎異抄第一章より)
 の、これ。
 んで、「そんな時以外は自他を斬り裁いている」と云う事。
 まあ、歎異抄第一章を改めて読んで、今回非常に大事にしたい事であるのだが、当然これにも元ネタがある。
 恐らく関西限定のコマーシャルで『551の豚まん』のコマーシャル。

 551の豚まんがある時→笑う
 551の豚まんが無い時→泣く

 の、これである。
 
 と、色気ずく。カッコ付ける。お笑いにもって行きたい。と、煩悩バリバリでもって「私らしく受けようとする」。
 当然この場合の「私らしく」とは、「私がどのように周りから観られて居て」という幻想の元に私が売りたい、その部分で評価されたい、自信があったり、少し自慢出来たりする部分である。そういう部分で発表しようとしている私が居る。


 「そういう存在なんだ」と、また酔う。間違ってしか生きていけないのだ、と聞く事によっても酔う。

 「そういう存在なのだ」と云う事が、酔いを醒す事ならば、「私は酔いを醒した」と酔って居る。宗教の一番危険な部分。

 【弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり。】(歎異抄第一章より)

 当然、私はいつでも、どんな時でも、酔って居る。気分屋で、その場しのぎでしか生きていない。
 『真宗』と云うブランドが好きなだけで、ブランド好き、日の丸好きと云う人達と、認めたくはないが認めざるをおえない。それが事実である。

 異なる事を歎く→歎異抄。
 同じと云えない、「俺はお前等と違うんや!」と云う私。
 異なる事を歎かれている。歎かれる事により、「みんなと一緒に生きたい!」と少しでも思ったりする事が出来る。


  【弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり。】(歎異抄第一章より)

 そんな時以外は自他を斬り裁いている。

  一日のケジメ。自己納得。
 これが休日ならもっと大変。
 「せっかくの休みだし。。。」と。この間の休日なんぞ、「明日は休みだし、二日酔いオッケー!!!」とハイペースでウイスキーを煽る。
 自分自身が思い画く「休日」。「休日らしく」。休日らしく過ごせた事に納得する。
 納得出来ない時は、「せっかくの休日なのに。。。」と、その日一日、いかなる形であっても休日を過ごせた事実を裁いてしまう。自分の大切な人生の中の一日を斬り裁いてしまう。

 自分で納得しようとする。納得出来ない事はイヤなのだ。
 それは単なるエゴである。いかなる形であっても過ごした一日がある。

 いかなる形の人生であっても、どういう生き方をしようとも、自分で納得出来ない生き方はイヤなのだ。
 『夢』
 「ああいう風になりたかった。。。」「ああいう風に生きたかった。。。」
 それは妄想である。妄想でもって現実の自分を斬り裁き、故に「おもしろくない」と。他人を斬り裁き「おもしろくない」と。

 「おもしろい自分」「おもしろい他人」それは自我意識の奴隷である。エゴにとって都合の良い人、悪い人。自他をエゴの奴隷にする。世界を小さくしてしまう。

 そうやって、作られるよゐこ。

 『よゐこ』と云っても、どういう共同体(人間関係)で生きるかによって違う。大まかな社会、例えばマスコミ、PTAのオバちゃんからして『悪い子』であっても、違う環境によってはよゐこである。人殺しが出来ない兵隊は『悪い子』である。

 孤独を怖れる。対立を怖れる。故にその場に合わせたよゐこに成ろうとする。
 「差別しない私がよゐこの条件」であれば、差別しない私を演じる。差別意識を見ようとしない。
 「差別心を見つめる事がよゐこの条件」であれば、差別心を見つめる。
 その場、その場の『よゐこ』の条件に合わそうとする。相手(私の価値を認めてもらいたい人)に合わせて、条件に合ったよゐこに成ろうとする。

 そういう私を発露する事によって、仏教徒としての居場所を確保しようとする。その事は同時に、発露出来ない自他を斬り裁いている。
 仏教徒である私と云うエゴ存在からの視点でもって、自他を斬り裁いている。
 「何故出来ないのか!」と、出来る出来ないの問題にしてしまう。

 それは帰依の問題である。私は僧侶である。僧侶と云うある種「帰依しなくても仏教徒気分を満喫出来る立場」にある。衣も着ている、経も読む。世間からも、自分でも「僧侶である」と。帰依しなくても仏教徒気分が満喫出来る危険な存在である。
 特に寺に産まれなかったのが私的にはデカイ。「俺は寺を継ぐ為に僧侶になったわけではない!」と慢心してしまう。その事によって帰依しなければならない事を忘却してしまう事の理由の一つにしてしまう。そうやって、自分の産まれを誇ってしまう。
 ちなみに寺産まれでない事は、この教団ではマイナスな事が多い。まあ、ハッキリと差別された事もある。
 が故に、差別された事を逆手にとって、自分の慢心の道具に使ってしまっている。
 「俺は寺を継ぐ為に僧侶になったわけではない!」と。
 そうやって自分がさも「多くの僧侶と違った存在である」と、自分で納得する。その事によって、その事を立てる事によって、他を斬り裁く事によって自分を納得させようとする。

 あるいは「私は職業坊主だ!」と。生活者としての僧侶としての一面をクローズアップさせる事によって自分を納得させようとする。『僧と俗』の垣根を越えようとする事によって自分を納得させようとする。

 どこまで行っても、私は自他を斬り裁いている。

 と、云う事でよゐこになり、批判をかわそうとする。

 自己批判と云う甘っちょろいものでもって、批判をかわそうとする。

 「個人になっとらんか?」
 とは、私が道場時代によく云われた言葉である。
 その通り、私は個人に成って居る。
 故に、よゐこの私は出来るだけ多くのグループ学習に参加したい。


 「我々が仏法に救われるというのは、個人の自由から救われることである。仏法に遭わなければ、我々が求めるのは個人の自由でしかない。個人であれば、何をしてもよい、自分の自由だということになる。個人に自由を与えると、かえってその自由に苦しめられるという結果になってくる。」(安田理深『親鸞の宗教改革』85ページより)


 【弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり。】(歎異抄第一章より)

 そんな時以外は自他を斬り裁いている。

 今の私に出来る事は、そういう私を見つめる事。
 当然、それもよゐこである。

 【しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず。】(歎異抄第一章より)
 と、云う『善』にかなったよゐこに成って行こうとする事だけである。

 

 レポートを書く。書く時は一人だ。一人で書いて居る。

 「レポートを書く時は、出来るだけ昼間に、人の声の聞こえる所で書きなさい」と、ある先生は云った。そういう環境に今はない。

 故に、懺悔する。あるいは「悲しきかな」と云っても『気分』である。単なる気分でもって懺悔、悲嘆する。
 自己満足である。


 「念仏申せる生活を選びなさい」
 とは、法然上人の言葉であり、学院別科班担ハニーから送られた言葉である。

 「罪悪深重、煩悩具足の凡夫の自覚を持てる生活」

 やはり、『個人』では無理である。

 泉恵機先生が、大阪教務所での人権学習(?)での講義の際、「基本的に私の現場は寺だとおります」(大阪教区通信106号より)と、語られていた。

 私も寺で働いて居る。毎日の生活の現場は寺で働いて居る事である。

 お参り先のオバちゃん達と、タマに話す。毎日、どこの家庭でもではない。結構忙しい(と、逃げ、言い訳しつつ)のだ。
 「その場が、サンガに成って居るのか?」と聞かれたら、「いいえ」と答えざるを得ない。

 月参りの事を「御経の宅配」だと云う人が居る。それに対してある先生は「宅配と云うが、ちゃんと御経を届けているのか?」と指摘されていた。

 私は学習会に逃げているのかも知れない。が、「逃げている」と云う自覚を呼び起こしてくれるのも、「そういう場」があるからだ。

 生活の現場。と、何か『仏教的』な現場。
 学習会に参加する事によって、『気分』が満足して、自分で納得してしまうだけなら、その学習会に意味が無くなる。

 「問われる現場」
 私は、『いつのどこの誰に対して』も問われる事など出来ていない。

 本尊
 お参り先には必ず本尊がある。が、その本尊を本尊として観ようとしていない、問われる事がなく、「忙しい」と、誤摩化す。自他を斬り裁いている事に無自覚になる。

 『出来る事。やりたい事。やらなければ成らない事』だったと思うのだが、今の私には、グループ学習に参加して、そこから問われた事を、現場である寺に持ち帰り、お参り先の人達と、『門徒』として、その場をサンガにして行きたい。
 それが出来れば、わざわざこんな遠くまで出向く事なく、また、何か学習会等の『問われる現場』以外で自己を斬り裁いている事に対して無自覚に成らなくてすむはずだ。
 お参り先での本尊に対する合掌礼拝=『問われる現場』に成りさえすれば、同じ『門徒』として、その場をサンガに出来ればいいだけの話だ。

 「保ちやすく、称えやすい」念仏。持ち運び自由な念仏。
 保ちやすく、称えやすく、持ち運び出来るが故に、何時でも、何処でも、誰とでも、自他を斬り裁いている事に対して無自覚だった事に気づく事が出来るはずだ。

 私はそれをやっていないだけの話である。

 「出来る出来ない」は能力である。
 その『能力』は他人と比べる事は出来ない。する必要もない。する必要もないが故に「やろうとすればいい」だけの話である。
 

 「在家のクセに」と、ある『寺族』人から罵られた事があった。その悔しさは生涯忘れる事が出来ない。


 教団問題当時に、ある『御門徒さん(あえて)』が、こんな事を云われたそうな。
 【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で、ある先生よりの聞き書き)

 私は、昨年の発表のテーマは『僧』と『俗』、まあ『聖と俗』でもあるのだが、そういう問題であった。そしてそれは生涯のテーマでもある。
 私は『僧侶』である。故に、僧侶として、お参り先の『門徒』さんと、同じに成っていない。私にとっての『真宗門徒』とは、同じ僧侶仲間であったり、こういう学習会であったりする『門徒さん』でしかない。

 それはお参り先の門徒さんを差別している事である。「問われない」とさっき書いたが、問われないのは明確に『同じ真宗門徒』としての自覚が無いからだ。
 自分が差別された時は、怒ったくせに、平気で毎日差別し続けている。『同じ真宗門徒』になっていない。


 しかし、『門徒さん』達も、要するにお参り先のオバちゃん達も念仏申す。私のお勤めに合わして、一緒に念仏申している。
 私は『念仏』を斬り裁いている。
 「僧侶が称える念仏。」
 「学習会等に参加する門徒さんが称える念仏。」
 だけを、念仏として、同じ念仏であるにも関わらず、同じ真宗門徒として観ていない。明確に差別している。

 私は『在家』として差別された事があったと、先に書いたが、なら、その差別、『僧と俗』の差別を今度は私がやっている側に立っている。故に、それは私から解決出来る問題である。私が解決しなければならない問題である。

 お参り先、寺、私の現場でもって、出来る出来ないでなく、やらなければならない課題である。

 だらだらと、生活発表のレポートを書きなぐっている間に、課題がはっきりしてきた。
 まずは、カレーを貰ったオバちゃんに対して私は、「やっぱり、『カレーなんか作ってる暇があるんやったら、その分勉強してや!』と云う意味なんですか?
 と聞くべきなのだ。そこから会話すべきなのだ。
 
 『個人』と『気分』で生きている。

近所の名店

2005年11月08日 | 坊主の家計簿
  11月8日
 
 食べ物    チーズ入りフランスパン    150円(昨日の書き忘れ)
        鯖寿司            200円
 
   合計         350円
   11月累計    32219円


 私は元パン職人でもあったりするわけだが、近所のパン屋はかなり美味いのではないか?と思う。
 「かなり」というのは「かなり」である。。。日本語になってないなぁ。。。
 とりあえず電車に乗って買いに行ったってもエエぐらいには美味い。
 ちなみに昨日喰ったチーズ入りフランスパンは、チーズが入り過ぎ、っちゅうくらい入っててこれまた美味い。

 鯖寿司は、これまた御近所名物でノルウェー産鯖を使った、脂の乗りまくった鯖寿司で、これまた400円ぐらいまでなら美味い。

 明日、念の為に咳止め買っとこ。

新米

2005年11月08日 | 坊主の家計簿
  11月7日

 雑費    散髪               2000円
 食類    豆乳(900)2本         416円
       ソバ茶(500)5本        510円
       赤鶏もも肉425g         470円
       マヨネーズ400g         158円
       キャノーラ油1リッター       198円
       ほうれん草             110円
       長なす4本             120円
       マルシンハンバーグ           1円
       ラーメン(好きやねん)         1円
 酒     サッポロスリムス5本        745円

    合計         4729円 
    11月累計     31919円

 
 今日はまとめ買いをした。数日忙しくなるし、少しだけ遠いスーパーになんぞ行ってられないので、まとめ買いをしたのだが。。。結構買ってもうたなぁ。。。
 副産物(?)で、意味なくマルシンハンバーグとインスタントラーメン『好きやねん(関西限定か?)』を買う。両方ともなんと1円なり!!!まあ、1000円以上買い物せなあかんねんけど。。。

 散髪は今回は失敗だ。。。「何処の戦場に派遣ですか?」という髪形で、ジェルつけても誤摩化されへんなぁ。。。あの、クソ餓鬼め。。。
 まあ、誰だって新米のうちはある。新米がベテランに比べて技術力が落ちるのは当たり前である。経験を重ねてベテランになって行くのだし、いきなりベテランにはなれない。シャンプーばっかりしててもカットの技術は上がらない。
 っちゅうか、「こういう髪形にして下さい。」とハッキリ言わない私が一番問題だったりするのだが。。。
 「あ、横はバリカンの一番薄いので刈り上げて、後はテキトーに切って、最後にジャギジャギにしといて」っちゅう注文方法を変えよ。っちゅうか、何時もの人なら大丈夫なのだが。。。まあ、違う人やしなぁ。。。

小さい男

2005年11月07日 | 坊主の家計簿
 11月6日

 外食     ラーメン   210円
        寿司2皿   210円
  
    合計         420円
    11月累計    27190円


 まあ、しゃーないっちゅうたら、しゃーないねんけど、外食は金がかかるなぁ。。。
 でも、基本外回りの仕事やし、メシ食わんとしゃーないしなぁ。。。
 と、言いながらも結構昼飯は食べていない。いや、食べるには食べるのだが、私の仕事はだいたい2時ぐらいには終わるので、忙しかったり、お腹の調子が大丈夫だったりすると結構喰わない日が多い。んで、帰ってから喰うのだが。外食するより絶対に安いし。
 いちいち寺に戻って弁当喰ってたら仕事にならんしなぁ。。。弁当食べるの遅いし。。。
 よって、パァーっと行って、パァーっと喰える回転寿しか、近所の食堂のソバ&一品ばかり喰っている。たまに600円ぐらいでラーメン喰うと贅沢気分。小さい男や。。。

豆乳ポタージュスープ

2005年11月06日 | 坊主の家計簿
  11月5日
 
 食品    焼そばの麺          19円
       ベーコン(244g)    312円
       ポンジュース(1L)     178円
       玉ねぎ(4個入り)     128円
       豆乳(900ml)      208円
 酒     サッポロスリムス(2本)  298円
 
    合計      1143円
    11月累計  26770円

 前に買った豆乳をそろそろ飲み切らなければ成らなかったのだが、諸々の事情で結構残ってしまった。
 ので、豆乳でポタージュを作ってみた。
 のだが、これがムチャうま。
 ポタージュは好きなのだが、牛乳は苦手なのでスープを作った後が困る。。。
 が、今回はその逆だったのだが、大正解。
 今年の冬はこれやな。今回はベーコン&タマネギやったけど、今度は鶏&白菜&白ネギでやってみるか。
 明日の晩は、今日のポタージュの残りに手を加えてスープスパやな。ミカンもまだあるし、ベーコンも半分残ってるし買い物せんとこ。

三日坊主

2005年11月05日 | 坊主の家計簿
 11月4日
 
 食物     ノリ弁         310円
        白身フライ        80円
        午後の紅茶ミルク    120円
 タバコ    セーラムの新しいの   300円
 外食     焼き肉ビール     2670円

    合計      3480円
    11月累計  25627円

 
 ああ、「よく働いた御褒美だ!」と焼き肉ビール。。。
 これがよく無い。
 んが、ストレスとの兼ね合いもあるし、急には治らんなぁ。。。

 ちなみにこのブログを立てた一番の理由は当然「無駄使いを防ぐ」なのだが、もう一個は『坊主と金』である。坊主は金を舐めている人が多い。
 特に「先生」と呼ばれる方々に。
 
 曰く「仏道を歩んでいるものが金の心配なんかしてどうする!」
 感想「それは単に出家主義ではないのか?在家真宗門徒(真宗僧侶も門徒です)に適用するのはおかしい。単なる特権意識ではないのか?」
 
 曰く「仏道を歩んでいると不思議と生活に困らないものです。」
 感想「それを是非ホームレスの人達に面と向かって云って呉れ。あるいは飢餓で死にそうな子どもの眼の前で云ってあげて呉れ。」

 江戸期の身分制度の名残りか、あるいは寺族には『名家』が多いせいなのか、『僧侶』の悪しき特権意識なのか、余りにも生活者を舐めたふざけた発言が真宗教団にも多過ぎる。
 親鸞は「銭○○文、御こころざしのもの、たまわりてそうろう。」と書いてなかったか?

 金を粗末にするから、例えば『門徒』から集めた金で教団は成り立って居るにも関わらず、「私たちがやっている運動に教団は予算を付けるべきだ!」などと云う戯言が云えるわけであって、『門徒の子ども』だった私にとって、子どもの頃の『僧侶』は泥棒そのものであった。

 今はその泥棒になった。故に、ハッキリと問題視したい。

 「いつまでもあると思うな親と布施」

独身貴族

2005年11月04日 | 坊主の家計簿
  11月3日
 
 税金    国民年金           13580円
 健康    栄養ドリンク12本        598円
       新ビオフェルミンS(350錠)  1279円
 外食    回転寿し4皿           420円
 
      合計    15877円
     11月累計  22147円


 栄養ドリンクは朝のコーヒー代わり。
 私は胃が弱いのでコーヒーは苦手。好きなんだけど飲むと胃がしんどくなって大変。
 なので、寺に栄養ドリンクを持って行って、朝方、車の暖気運転中にタバコを吸いながら飲むのだ。缶コーヒーより安いし、缶コーヒーよりも気合いが入る。
 
 そういや、こうやって家計簿をブログにアップしている人が多く居られる事に昨日気がついた。
 (http://bbs3.sekkaku.net/bbs/kakei.html)
 少ししか見ていないが、なんか気恥ずかしい。
 私は独身貴族である。よって家計簿の質が違うのかも知れない。
 まあ、それでも同じ家計簿だ。そのうち仲間入りをさせて頂こう。

今日はショックだった。。。

2005年11月03日 | 坊主の家計簿
 外食    そば              189円
       かき揚げ            137円
 酒     サッポロスリムス(500)2本 298円
 食料    タマゴ10個入り        190円
       納豆3パック           79円

   11月2日計  893円
   11月累計   6270円

 近所の食堂の冬の定番『カキフライ』が値上げしてやがった。。。
 去年までは5個で157円やったのが、今年は5個で210円。。。
 昼の定番はソバ+一品なので、冬場はカキフライ入りソバが定番だったのに。。。まあ、50円くらいエエやんけ、ちゅう話もあるのだが。。。ソバと合わしても399円で一応400円以下やし。。。小エビ入りのかき揚げも美味やけど、やっぱしカキフライの方がゴージャスやしなぁ。。。

 昨日行けなかったので、今日銀行&郵便局に行って来る。
 「誰や!人の貯金を勝手に使い込んだのわ!」と、事件のせいにしたくなるくらいに使い込んでいる。
 ちゅうか、基本の生活ベース「今月はこれだけでやって行くこと!」の基本予算が少なくしているせいもあるのだが、それにしても先月は赤字なり。明確な赤字なり。収入より多く使ってしまった。
 これは
 1 教団に対する年会費(?)
 2 所属寺に対して「御世話になってます!」
 3 坊さんルック
 4 まとめて買った本
 が、主な理由であるが、それ以外にもかなり使っていると思われる。理由がハッキリしている金は憶えているが、それ以外に「誰かが使い込んだ」金が多過ぎる。

 対策
 1 当面、本は必要最低限しか買わない事。今後でも手に入りそうな本は買わない事。
 2 発泡酒でも控える事。一日500ミリ1本にする事。
 3 飲み屋巡りは仕方がないが、必ず終電車で帰る事。