坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

メタルはパンクではない

2010年01月25日 | 坊主の家計簿
 昨夜見れなかった『デトロイト・メタル・シティー』を見る。

 ついでなんだが、地デジをハイビジョン録画したやつって、『そのまんま』やのぉ。。。画質、キレイ、キレイ。
 ついでなんがだ、『地デジ』って、新しい眼鏡に変えたみたい。ほら、段々と視力が落ちて来てて、新しい眼鏡に買い替えたら「うわ!世の中ってこんなにくっきりと」っちゅう感じ。
 ついでなんだが、眼鏡市場がセール中らしい。

 っちゅう事で、『デトロイト・メタル・シティー』

 音楽には『パンク』と『パンク以外』がある。解りやすく説明するとジョンレノンはパンクであり、ポールマッカートニーはパンク以外である。ローリングストーンズはパンクであり、ビートルズはパンク以外である。当然、メタルはパンク以外である。
 なので、小沢健二もメタルも私にとっては同じ『パンク以外』という括りでしかない。その象徴的なシーンが、主人公のメタルが実家に帰った時に弟に説教するシーンだ。パンクならあそこで説教しない。弟が勉強しなくても、学校に行かなくても、家の手伝いをしなくても説教はしない。まあ、「家に居りたかったらメシ食わして貰ってる人の云う事ぐらい聞いとけ」ぐらいなもんだろう。テメーの人生はテメーで決めろ、ぐらいなもんである。
 
 働くか働かんか、学校に行くか行かんかなんぞは個人の自由なんだが、個人の自由は野垂れ死ぬ覚悟がないと出来んぞ。大阪で有名な伝説の不良は脳梗塞やったけな?んな病気で大変らしいが、んなもん、あれだけ好き勝手に生きて来たわけやし、「あの人らしいのぉ。。。」である。あるいは、坊主バー3代目マスターとか、リカオっちゅう不良の先輩とかが死んだ時も、まあ、寂しいし、悲しいんだが、どこかで笑える。極楽に行ったのか地獄に堕ちたのか知らんが、「んな事カンケーない」っちゅう感じがする。「ああ、好き勝手に生きて、好き勝手に自殺しよったのぉ」である。まあ、当然、『傍目』から見てであり、ご本人達の中では当然の如く様々な御苦労があったと思うが。
 そういや、私が預かっている寺の前住職、つまりママの親父もママ曰く「あれだけ酒飲んでタバコ吸ってたら死ぬわ」らしい。噂と云うか、伝説では末期ガンが発覚して死ぬ事が解ってながらも酒を飲み続けてたらしい。で、予定の死ぬ時期が8月だったらしく、本当に8月に亡くなったのだが、「死ぬのは別にエエけど、8月に法事の日程を入れられへんのが辛い」と語っていたとか。生前に御会いした事はないはずであるが、きっと直接会ってたとしたら、これも悲しいし、寂しいけど、どこかで笑える。
 『笑える』という表現はちょっとおかしいな。『どこかで明るい。』
 坊主バー3代目マスターの一連の葬儀には深く関わったが、やはりどこかで明るい。リカオさんが死んだ後もどこか明るい。それはやっぱし、『私にとって』という限定がつくのだが、「好き勝手に生きやがって」である。「借金を払ってから死ね!(笑)」である。ったく、ナンボ金貸したと思てるねん(笑)

 パンクっちゅうのは

 ♪私はアンチ・キリスト者である

 である。
 このピストルズの永遠の名曲をどういう気持ちで作ったのか知らんが、同じくパンクスのジョンレノンの

 ♪想像してごらん 天国なんて無いんだと

 をプラスしてみたらどうだろう。
 これ程、キリストを絶対信頼し、天国を絶対信頼している歌詞は他にあるのだろうか?これがパンクである。
 「キリスト様よ、見てくれ、おれはこんな生き様だ!」と。
 それは決して『善い子』ではない。強烈な救いを求めている一個人がいるだけだ。

 っちゅう事で、私は『パンク以外』であるメタルはキライである。ギターのテク。「はあ?」である。「やかましいボケ!」である。シドなんぞ「ベースが弾けなかった」っちゅう伝説があるねんぞ。テクがどうした?

 あ、『デトロイト・メタル・シティー』
 主人公は自分がやっているメタルバンドを引き受ける事が出来ない。だが、自分がやっているメタルバンドが多くの人に夢と希望を与えている事に気づく。いや、気づかされる。
 
 「ああ、こんな生き方してて、エエねんな」と、その人自身はともかく、周囲に「こういう生き方をしなければダメ!」と云う印象を与えるのでなく「ああ、こういう生き方しててもエエねんな」と。大阪伝説の不良しかり、リカオしかり、坊主バー3代目しかり。そういう影響を与えて、数人だけかも知れんが、生きる望みを与えていた事を知ってるし、感じたし。
 
 んが、『デトロイト・メタル・シティー』じゃないが、キャラを演じる事に自分が縛られなくとも、「やりたいようにやる」っちゅう事でも、生きる望みを与えられる。つまり、どっちでもエエ。だって、『その人』なんだし。その人から与えられる、教えられる事の問題なわけだし。人生に優劣も糞もない。『デトロイト・メタル・シティー』では、その辺をラストシーンで見事にやってた。へなちょこ(?)歌を歌っても、『受け取る側の問題』だと。

 まあ、世の中には『パンク以外』が好きな人も居てて、私は認められんが、それでもなんじゃかんじゃと生きてたりするのだろう。
 
 「ああ、赤ワインが脳みそ直撃しとるのぉ。。。」と、言い訳残して寝よ。

 あ、名護市長選挙。
 「違いを認める」って、「対等として認める」っちゅう事やろ。もしくは「同化しようとしてたけど、対等でないと苦を生み出すから違いを認めざるを得ない」っちゅう事やろ。
 日米安保は対等なんか?
 沖縄とヤマトは対等なんか?

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2 コメント

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Unknown (エロ坊主)
2010-01-30 03:56:09
>あっし的には、釈迦もイエスもパンクやと思いますが、如何でしょう。

 意義なし!

 んで、デトロイトメタルシティーですが、前からずっと気になっていた映画だったのですが、予想以上にエエ映画でしたよ。レンタルで借りて見る事を激しく勧めます。
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原作は好きでっせ (出がらし紋次郎)
2010-01-29 09:03:42
松ケンの演技のうまさが光るこの怪作、見そびれた~

あっし的には、釈迦もイエスもパンクやと思いますが、如何でしょう。

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