5月17日
食類 寿司 200円
しじみパック2 200円
発泡酒 175円
たまご 198円
ほたるいか 100円
合計 873円
5月累計 65805円
『その時歴史が動いた』の再放送は、『ビーバップ!ハイヒール』の後やねんな。覚えとこ。
っちゅう事で、夕寝をし過ぎやねんな、これが。。。深夜放送にやたらと詳しくなってます。
そういや、鈴木邦男と宮崎学の対論集『突破者の本音』におもしろい事が書いてあった。
っちゅうか、この二人は早稲田の先輩後輩になり、同じ時期、っちゅうか、思いっきり同じ早大闘争での『攻撃する側』『大学側』として直接やりあった事があるらしい。当然、当時はお互いの名前を知らずにだが。これも結構ええ話やな。
あ、で、宮崎学曰く
【七条署焼き討ち事件では、私の父も立ち回りを演じた。第三国人が七条署に押しかけるという報を受け、警察の依頼で駆けつけた。第三国人の襲撃にそなえ、ヤクザが七条署の前に防衛戦を張るのである。向こうはふんだんに武器を持っているのに対し、敗戦国のこっちは何もない。仕方なく父は出刃包丁を持っていった。
この話を聞いてうなづく人は、戦後を知っている人である。信じられないと感想をもらす人は、事実の抹消によってゆがめられた歴史しか知らない人である。】(徳間文庫『突破者の本音』P231より)
【昭和三十年代の兵庫県警などは、山口組三代目がなければ機能できなかった代表的な例である。それゆえに、その昔、三代目田岡組長が「一日署長」を務めたりしたのであろう。これをまた、「そんな事実はなかった」というのが兵庫県警だが、新聞に大きく、警察署長の格好をした組長が堂々と写真入りで載っているのだから、どうしようもない。
ほじくればこんな例は腐る程ある。そして今後も、新しい経典を作るたびに、いくつもの出来事が歴史から抹消されていくのである。】(徳間文庫『突破者の本音』P233より)
らしい。
ちなみに私は当然その『歴史的事実』は知らない。実際の資料も読んだ事がない。
ただ、山口組三代目に関しては映画にもなったし、ミナミに居たので話ぐらいは聞いている。
よって、トータルで自己判断した結果、そういう事実は「あった」と私は判断する。
沖縄戦においての軍が関与した集団自決が「なかった」と云う事に教科書ではなるらしい。
http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070331/gkk070331001.htm
近所に進学校があって、丁度街に出る時間と、彼らの下校時間が重なる時がある。昨日も一生懸命に学生さんが『基本的人権』に関するプリントを暗記していた。
まあ、『学習』ではなく、大学に入ったりして自分で『学問』をやる事になっての『基本的人権』ではなく、今は暗記で一杯一杯なんだろう。
で、新たな教科書検定に関する記事を、現役学生なら覚えたりしているのかも解らんが、多分、今の小学生なら関心がない人の方が殆どだと思う。
ごくごく当たり前の事として「沖縄戦での集団自決に軍の関与はなかった」と『暗記』するのだろう。
それは何時の世も対して変わらん。『戦後民主主義』とやらで『暗記』した事柄だって多くある。
また全体のムードでもって、「先の戦争は日本だけが悪かった」とか。『鬼畜米英』の裏返しで『日本軍=悪』みたいなもんだろう。
で、数日前のラジオニュースで聴いたのだが、沖縄戦の集団自決に軍の関与はなかったという教科書検定に対する反対が当然の如く沖縄各地の議会で決議されているらしい。
http://ryukyushimpo.jp/modules/news/article.php?storyid=23756
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_03.html
【基地問題では保革が対立する沖縄の議会だが、今回は沖縄戦を巡る問題に「史実に保革は関係ない」と一致した。】と、毎日の記事(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070516k0000m010027000c.html)にあるように、自民・公明の与党議員も決議に参加している。
http://www.city.tomigusuku.okinawa.jp/senkan/shigi.htm
http://www.city.naha.okinawa.jp/senkan/03data/01senkyo/shigi.html
沖縄戦での集団自決に軍の関与があったのかどうかは私は知らない。ただ、最初に問題提起したのが曽野綾子氏である事からして、非常に政治的な臭いがする。
それに対して「史実に保革は関係ない」とする沖縄の議会の動きの方が信頼出来るわな。
櫻井よしこ氏のブログにあるように歪んだ戦後体制からの脱却を目指す自由民主党の安倍晋三氏を『裏切って』まで声を挙げたわけだし。
歴史は都合良く変えられる。宮崎学が
【しかし警察は、日本共産党よりも甘ちゃんである。日本共産党は、日本中から旧制松山高等学校の文集『白亜』の特定の号だけを抹殺した。宮顕という名でない別人が書いた「敗北の文学」を収録した、あれである。肝腎の証拠がなければ、盗作の疑いも、本当に「疑い」で終わってしまうのだ。】((徳間文庫『突破者の本音』P232より)
と書いてあるように左翼も変わらん。
別に曽野綾子氏ら右派だけが歴史を自分達にとっての都合の良い証言を集めた結果「集団自決に軍の関与はなかった」と都合の良い結論を導きだしているわけではない。
左翼だって、自分達にとって都合の良い事として政治利用する。その辺は良く知っている(笑)
右翼が正義なら、左翼も正義である。
『よゐこ』は居場所を求める。
それぞれの周囲の環境であったりして、その中で居場所を求める。それは決して『国家』という大きな枠組みだけではない。『家族』もそうなんだろうし、友人、先輩達との人間関係もそうだったりする。
左翼系の先輩が多かった、っちゅうか、高校時代に大真面目に某セクトに入ろうとしていたからなんだろうが、まあそういう私にとっては『より左翼的である事』が居場所を見出す事でもあった。それは『よりロック的』でも何でも構わん。
その場に迎合し、その場での自分の居場所を確保する為に、その場での中心的テーマにより一層近づこうとする。より過激になろうとしたりする。
それは「都市部から離れる距離に比例してモヒカンが高くなる」と、確か坂本龍一云ってた言葉と変わらん。都市部で生まれれば元々『都会っ子』なんだが、地方から出てくると『都会っ子』にならなくてはならないから懸命に、より過激にファッションをキメたりするのと同じである。
読みかけの本の中に
【もし、私たちが、「自分が平和と平等の正義の国を作るから、俺について来い」とか、「その国の建設のために死ねば浄土に行ける」などと吹聴するとすれば、それは浄土教でも、仏教でもない。また、逆に「私たち煩悩の衆生には、平和と平等の正義などありえない。私たちは人知を超えたものに対して敬い畏まることによって、どんな命令でも聞く者になるしかないのだ。そうすれば『他力』という魔法によって、仏と等しいものになれる」などと言えば、これも浄土教でも、仏教でもない。】(明石書店『憲法九条は仏の願い』P42より)
と、ある。
だが、「自分が平和と平等の正義の国を作るから、俺について来い」的な言葉をタマに菱木氏を好きそうな運動坊主系から聞いたりもするのだが。
『俺』について来ない『ヤツら』を「何もしないヤツら』等とも。
そういう自信喪失は大事ではないかと感じる。その『自信喪失』を通して煩悩具足の凡夫に帰れるわけだし、『敵』を『同じ人間』として観れるわけだし。
愛国心の為に行動する事が自信喪失なら、平和運動・社会運動の為に行動する事も同じく『自信喪失』であり、立場、『在り方』が、それぞれの人生が違うだけで、変わらん。同じ人間や。そんな中で、それぞれの立場からの声を挙げたらエエだけの話や。
♪こらえちゃいけないんだ You
思いを伝えてよ 何も始まらないからね
(木村カエラ『You』より)
で、沖縄戦での集団自決に軍の関与がなかったって、一体何の話やねん。。。美しい軍隊か?
食類 寿司 200円
しじみパック2 200円
発泡酒 175円
たまご 198円
ほたるいか 100円
合計 873円
5月累計 65805円
『その時歴史が動いた』の再放送は、『ビーバップ!ハイヒール』の後やねんな。覚えとこ。
っちゅう事で、夕寝をし過ぎやねんな、これが。。。深夜放送にやたらと詳しくなってます。
そういや、鈴木邦男と宮崎学の対論集『突破者の本音』におもしろい事が書いてあった。
っちゅうか、この二人は早稲田の先輩後輩になり、同じ時期、っちゅうか、思いっきり同じ早大闘争での『攻撃する側』『大学側』として直接やりあった事があるらしい。当然、当時はお互いの名前を知らずにだが。これも結構ええ話やな。
あ、で、宮崎学曰く
【七条署焼き討ち事件では、私の父も立ち回りを演じた。第三国人が七条署に押しかけるという報を受け、警察の依頼で駆けつけた。第三国人の襲撃にそなえ、ヤクザが七条署の前に防衛戦を張るのである。向こうはふんだんに武器を持っているのに対し、敗戦国のこっちは何もない。仕方なく父は出刃包丁を持っていった。
この話を聞いてうなづく人は、戦後を知っている人である。信じられないと感想をもらす人は、事実の抹消によってゆがめられた歴史しか知らない人である。】(徳間文庫『突破者の本音』P231より)
【昭和三十年代の兵庫県警などは、山口組三代目がなければ機能できなかった代表的な例である。それゆえに、その昔、三代目田岡組長が「一日署長」を務めたりしたのであろう。これをまた、「そんな事実はなかった」というのが兵庫県警だが、新聞に大きく、警察署長の格好をした組長が堂々と写真入りで載っているのだから、どうしようもない。
ほじくればこんな例は腐る程ある。そして今後も、新しい経典を作るたびに、いくつもの出来事が歴史から抹消されていくのである。】(徳間文庫『突破者の本音』P233より)
らしい。
ちなみに私は当然その『歴史的事実』は知らない。実際の資料も読んだ事がない。
ただ、山口組三代目に関しては映画にもなったし、ミナミに居たので話ぐらいは聞いている。
よって、トータルで自己判断した結果、そういう事実は「あった」と私は判断する。
沖縄戦においての軍が関与した集団自決が「なかった」と云う事に教科書ではなるらしい。
http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070331/gkk070331001.htm
近所に進学校があって、丁度街に出る時間と、彼らの下校時間が重なる時がある。昨日も一生懸命に学生さんが『基本的人権』に関するプリントを暗記していた。
まあ、『学習』ではなく、大学に入ったりして自分で『学問』をやる事になっての『基本的人権』ではなく、今は暗記で一杯一杯なんだろう。
で、新たな教科書検定に関する記事を、現役学生なら覚えたりしているのかも解らんが、多分、今の小学生なら関心がない人の方が殆どだと思う。
ごくごく当たり前の事として「沖縄戦での集団自決に軍の関与はなかった」と『暗記』するのだろう。
それは何時の世も対して変わらん。『戦後民主主義』とやらで『暗記』した事柄だって多くある。
また全体のムードでもって、「先の戦争は日本だけが悪かった」とか。『鬼畜米英』の裏返しで『日本軍=悪』みたいなもんだろう。
で、数日前のラジオニュースで聴いたのだが、沖縄戦の集団自決に軍の関与はなかったという教科書検定に対する反対が当然の如く沖縄各地の議会で決議されているらしい。
http://ryukyushimpo.jp/modules/news/article.php?storyid=23756
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_03.html
【基地問題では保革が対立する沖縄の議会だが、今回は沖縄戦を巡る問題に「史実に保革は関係ない」と一致した。】と、毎日の記事(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070516k0000m010027000c.html)にあるように、自民・公明の与党議員も決議に参加している。
http://www.city.tomigusuku.okinawa.jp/senkan/shigi.htm
http://www.city.naha.okinawa.jp/senkan/03data/01senkyo/shigi.html
沖縄戦での集団自決に軍の関与があったのかどうかは私は知らない。ただ、最初に問題提起したのが曽野綾子氏である事からして、非常に政治的な臭いがする。
それに対して「史実に保革は関係ない」とする沖縄の議会の動きの方が信頼出来るわな。
櫻井よしこ氏のブログにあるように歪んだ戦後体制からの脱却を目指す自由民主党の安倍晋三氏を『裏切って』まで声を挙げたわけだし。
歴史は都合良く変えられる。宮崎学が
【しかし警察は、日本共産党よりも甘ちゃんである。日本共産党は、日本中から旧制松山高等学校の文集『白亜』の特定の号だけを抹殺した。宮顕という名でない別人が書いた「敗北の文学」を収録した、あれである。肝腎の証拠がなければ、盗作の疑いも、本当に「疑い」で終わってしまうのだ。】((徳間文庫『突破者の本音』P232より)
と書いてあるように左翼も変わらん。
別に曽野綾子氏ら右派だけが歴史を自分達にとっての都合の良い証言を集めた結果「集団自決に軍の関与はなかった」と都合の良い結論を導きだしているわけではない。
左翼だって、自分達にとって都合の良い事として政治利用する。その辺は良く知っている(笑)
右翼が正義なら、左翼も正義である。
『よゐこ』は居場所を求める。
それぞれの周囲の環境であったりして、その中で居場所を求める。それは決して『国家』という大きな枠組みだけではない。『家族』もそうなんだろうし、友人、先輩達との人間関係もそうだったりする。
左翼系の先輩が多かった、っちゅうか、高校時代に大真面目に某セクトに入ろうとしていたからなんだろうが、まあそういう私にとっては『より左翼的である事』が居場所を見出す事でもあった。それは『よりロック的』でも何でも構わん。
その場に迎合し、その場での自分の居場所を確保する為に、その場での中心的テーマにより一層近づこうとする。より過激になろうとしたりする。
それは「都市部から離れる距離に比例してモヒカンが高くなる」と、確か坂本龍一云ってた言葉と変わらん。都市部で生まれれば元々『都会っ子』なんだが、地方から出てくると『都会っ子』にならなくてはならないから懸命に、より過激にファッションをキメたりするのと同じである。
読みかけの本の中に
【もし、私たちが、「自分が平和と平等の正義の国を作るから、俺について来い」とか、「その国の建設のために死ねば浄土に行ける」などと吹聴するとすれば、それは浄土教でも、仏教でもない。また、逆に「私たち煩悩の衆生には、平和と平等の正義などありえない。私たちは人知を超えたものに対して敬い畏まることによって、どんな命令でも聞く者になるしかないのだ。そうすれば『他力』という魔法によって、仏と等しいものになれる」などと言えば、これも浄土教でも、仏教でもない。】(明石書店『憲法九条は仏の願い』P42より)
と、ある。
だが、「自分が平和と平等の正義の国を作るから、俺について来い」的な言葉をタマに菱木氏を好きそうな運動坊主系から聞いたりもするのだが。
『俺』について来ない『ヤツら』を「何もしないヤツら』等とも。
そういう自信喪失は大事ではないかと感じる。その『自信喪失』を通して煩悩具足の凡夫に帰れるわけだし、『敵』を『同じ人間』として観れるわけだし。
愛国心の為に行動する事が自信喪失なら、平和運動・社会運動の為に行動する事も同じく『自信喪失』であり、立場、『在り方』が、それぞれの人生が違うだけで、変わらん。同じ人間や。そんな中で、それぞれの立場からの声を挙げたらエエだけの話や。
♪こらえちゃいけないんだ You
思いを伝えてよ 何も始まらないからね
(木村カエラ『You』より)
で、沖縄戦での集団自決に軍の関与がなかったって、一体何の話やねん。。。美しい軍隊か?
ここが考えるスタートだと思う。