今日は家族サービス(?)親子3人で先日下見して来たコタツなんぞのお買い物。娘を車に乗っけてパパ運転。ママに「今日は家族サービスやで」って言ったら「?」って首を傾げられた。
最終目的地は前に住んでた街。いや、『ナフコ』っちゅうホームセンターがあって、ここのコタツがエエ感じでんねん。あと、ミドリ電化の店舗内にある家具屋&リビングショップもエエ感じやって、検索したら両方共『一番近く』が前に住んでた街。
離れて、半年ちょいなので「懐かしい」っちゅう感じがそれ程ない。っちゅうか、何じゃかんじゃで何度か行ったし、下見でも行ったし。
んでもって、諸々で6店舗廻る。
んでもって、コタツを注文して、コタツ布団&カバーをゲット。コタツが150×90のデッカイやつなのでコタツ布団が手に入り難い。んが、結構エエ感じのがバーゲンで売ってたのでゲット。コタツも29900円(やったと思う。29800円やったかもしれん。ママが払ったので曖昧)で、むっちゃエエ感じのをゲット。まあ、どっちにしても来年からでないと諸々の事情で使えないのだが。
帰宅する。予定を遥かにオーバーした時間に帰宅して、パパはメシ喰って寝る。ママも寝る。娘も寝る。親子3人21時から寝始める。
パパ、24時に目が覚める。
ママ、25時に目が覚める。
娘、今(27時)に泣いて愚図ってます。当たり前や、っちゅうねん(笑)
しゃて、明日は半ドン(?)っちゅうか、ほぼ毎日「仕事ヒマ~」っちゅう状態なので『半ドン以下』なのだが、明日は昼から。飲みに行くのも、漫画喫茶に行くのも「寒い!」っちゅう見事な理由で却下。飲みは来週に行こ。よって、寒い部屋でボンヤリと。
寒い部屋に居てると道場時代を思い出す。道場=専修念仏道場=専修学院。冷暖房なし。ああ、寒かった。。。っちゅうか、『冷暖房なし』で過ごせる段階で「それで寒いなんかヌカすな!」と北海道や雪国の人たちに激怒されそうなんだが。。。まあ、それでも寒い、っちゅうねん。
ここも道場。円覚寺道場。
「寺は家ではない」と、よく言ったりするのだが、そうか、言ってる本人が『家』の気分で居ったのぉ。。。
住職である。道場長である。なんだが、
【我々は寺の住職というわけですが、その住職は正覚阿弥陀法王の善力住持というところからくるわけです。すなわち住持職です。よく大衆を住持することのできる者のことで、これは阿弥陀如来のことです。だから、我々が住職を名告るとか呼ばれるとかいうことは実は値しないものが、その名を名告りその名で呼ばれるということで、そこには深い懺悔があることです。】(竹中智秀先生『いのちの願いに聞く七章』142ページより)
である。
とある先輩が、名刺に『念仏者』と書いていた。でも本当は『念仏者であろうとする者』と書きたかったそうな。
その先輩、非常に親しくして頂いている先輩、私に衣の着方から、それこそ『いちから』なんじゃかんじゃと教えて頂いた塚本宇司先輩が新聞に載った。
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20091202ddn013040017000c.html
今でも毎月同じ学習会の『校長』(勝手に呼んでるのだが)として参加して頂き(言い出しっぺは私だし)、今日のお買い物で乗ってた車(中古のトッポBJ)を売って頂いたり、諸々親しくさせて頂いている。なので、新聞に掲載された事はムッチャ嬉しいのだが、よう考えてみると「別に新聞に掲載されんでも、昔からの恩人やんけ」である。
なんだが、まあ、新聞にデカデカと掲載されると『有名』になる。有名になると先輩の暮らしに変化が出て来るかも知れない。具体的には、例えば私が預かっている道場の報恩講の講師に来て頂くのに、新米住職としては新聞記事なんぞを使うと説明しやすく、他の門徒に納得して頂きやすい。なんせ、前住職時代は西元宗助先生、中川皓三郎先生と、結構なビックネームが来てはったので。まあ、最終的な決定権は私にあるのだろうが、それでも「今度の講師の先生はこういう人なんですよ」と説明しやすい方が、納得して頂きやすい。
っちゅう、感じで、塚本宇司先輩が色んな所に(まあ、時間があればだろうが)講師として行くようになったりしたら、先輩なんだが、永年の付き合いで『友人』としても呼ばせて頂くのならば、生活が多少でも楽になって非常に嬉しい。
と、同時に、「フッフッフッフ。。。私はこれだけ新聞にデカデカと取り上げられた人と親しいんだよ」っちゅう煩悩も湧いて来まんのぉ(笑)先輩以上に取り上げられた事があったにも関わらず。
「フッフッフッフ。。。私は『TIME』にも載った事があるのだよ」
なんぞと、過去を振り返って煩悩が騒ぐ。
っちゅう事は、この煩悩の近縁は「何故、私の仕事がヒマなのだ」っちゅう事である。
ようするに、私は先輩を私の煩悩を満たす道具にしているわけだ。
とある恩師の言葉を思い出す。親鸞の
『名利に人師をこのむなり』
という言葉を、「これは本来の読み方と違いますが、『あの先生の弟子である』と誇ってしまう私を問う言葉に聴こえる事があります」という風に云っておられた。
その恩師の言葉に出会ったが故に、こういう煩悩を『言葉』として自覚出来るようになったのだと、先輩が『念仏者であろうとする者』と云って頂いたが故に、竹中先生が先に引用した文章を残して頂いたが故に、私がそういう事を『言葉』として自覚出来るようになった。
最終目的地は前に住んでた街。いや、『ナフコ』っちゅうホームセンターがあって、ここのコタツがエエ感じでんねん。あと、ミドリ電化の店舗内にある家具屋&リビングショップもエエ感じやって、検索したら両方共『一番近く』が前に住んでた街。
離れて、半年ちょいなので「懐かしい」っちゅう感じがそれ程ない。っちゅうか、何じゃかんじゃで何度か行ったし、下見でも行ったし。
んでもって、諸々で6店舗廻る。
んでもって、コタツを注文して、コタツ布団&カバーをゲット。コタツが150×90のデッカイやつなのでコタツ布団が手に入り難い。んが、結構エエ感じのがバーゲンで売ってたのでゲット。コタツも29900円(やったと思う。29800円やったかもしれん。ママが払ったので曖昧)で、むっちゃエエ感じのをゲット。まあ、どっちにしても来年からでないと諸々の事情で使えないのだが。
帰宅する。予定を遥かにオーバーした時間に帰宅して、パパはメシ喰って寝る。ママも寝る。娘も寝る。親子3人21時から寝始める。
パパ、24時に目が覚める。
ママ、25時に目が覚める。
娘、今(27時)に泣いて愚図ってます。当たり前や、っちゅうねん(笑)
しゃて、明日は半ドン(?)っちゅうか、ほぼ毎日「仕事ヒマ~」っちゅう状態なので『半ドン以下』なのだが、明日は昼から。飲みに行くのも、漫画喫茶に行くのも「寒い!」っちゅう見事な理由で却下。飲みは来週に行こ。よって、寒い部屋でボンヤリと。
寒い部屋に居てると道場時代を思い出す。道場=専修念仏道場=専修学院。冷暖房なし。ああ、寒かった。。。っちゅうか、『冷暖房なし』で過ごせる段階で「それで寒いなんかヌカすな!」と北海道や雪国の人たちに激怒されそうなんだが。。。まあ、それでも寒い、っちゅうねん。
ここも道場。円覚寺道場。
「寺は家ではない」と、よく言ったりするのだが、そうか、言ってる本人が『家』の気分で居ったのぉ。。。
住職である。道場長である。なんだが、
【我々は寺の住職というわけですが、その住職は正覚阿弥陀法王の善力住持というところからくるわけです。すなわち住持職です。よく大衆を住持することのできる者のことで、これは阿弥陀如来のことです。だから、我々が住職を名告るとか呼ばれるとかいうことは実は値しないものが、その名を名告りその名で呼ばれるということで、そこには深い懺悔があることです。】(竹中智秀先生『いのちの願いに聞く七章』142ページより)
である。
とある先輩が、名刺に『念仏者』と書いていた。でも本当は『念仏者であろうとする者』と書きたかったそうな。
その先輩、非常に親しくして頂いている先輩、私に衣の着方から、それこそ『いちから』なんじゃかんじゃと教えて頂いた塚本宇司先輩が新聞に載った。
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20091202ddn013040017000c.html
今でも毎月同じ学習会の『校長』(勝手に呼んでるのだが)として参加して頂き(言い出しっぺは私だし)、今日のお買い物で乗ってた車(中古のトッポBJ)を売って頂いたり、諸々親しくさせて頂いている。なので、新聞に掲載された事はムッチャ嬉しいのだが、よう考えてみると「別に新聞に掲載されんでも、昔からの恩人やんけ」である。
なんだが、まあ、新聞にデカデカと掲載されると『有名』になる。有名になると先輩の暮らしに変化が出て来るかも知れない。具体的には、例えば私が預かっている道場の報恩講の講師に来て頂くのに、新米住職としては新聞記事なんぞを使うと説明しやすく、他の門徒に納得して頂きやすい。なんせ、前住職時代は西元宗助先生、中川皓三郎先生と、結構なビックネームが来てはったので。まあ、最終的な決定権は私にあるのだろうが、それでも「今度の講師の先生はこういう人なんですよ」と説明しやすい方が、納得して頂きやすい。
っちゅう、感じで、塚本宇司先輩が色んな所に(まあ、時間があればだろうが)講師として行くようになったりしたら、先輩なんだが、永年の付き合いで『友人』としても呼ばせて頂くのならば、生活が多少でも楽になって非常に嬉しい。
と、同時に、「フッフッフッフ。。。私はこれだけ新聞にデカデカと取り上げられた人と親しいんだよ」っちゅう煩悩も湧いて来まんのぉ(笑)先輩以上に取り上げられた事があったにも関わらず。
「フッフッフッフ。。。私は『TIME』にも載った事があるのだよ」
なんぞと、過去を振り返って煩悩が騒ぐ。
っちゅう事は、この煩悩の近縁は「何故、私の仕事がヒマなのだ」っちゅう事である。
ようするに、私は先輩を私の煩悩を満たす道具にしているわけだ。
とある恩師の言葉を思い出す。親鸞の
『名利に人師をこのむなり』
という言葉を、「これは本来の読み方と違いますが、『あの先生の弟子である』と誇ってしまう私を問う言葉に聴こえる事があります」という風に云っておられた。
その恩師の言葉に出会ったが故に、こういう煩悩を『言葉』として自覚出来るようになったのだと、先輩が『念仏者であろうとする者』と云って頂いたが故に、竹中先生が先に引用した文章を残して頂いたが故に、私がそういう事を『言葉』として自覚出来るようになった。
いつまでも童貞みたいな男やの