昨夜、寝る前に急に『お仕事モード』になり、脳味噌回転回転。ついでにネットで気になった事なんぞを調べたりしてたら余り寝れなくてですねぇ。。。
仕事終わってメシ喰ってからも、ちょい諸々調べて「よっしゃ昼寝だぜ!」モードになったら、ママが買い物に行くらしく娘と寝る、はずだったのだが。。。最近、出かけたりする用事がなければ昼過ぎから夕方と、夜中に少々が基本の娘タイム。抱っこしたり、オシメ交換したり、今日はママが外出中に腹が減ったのか泣き止まなかったのでミルクも少々。前はイヤがってたのだが、今日は余りに腹が減っていたのだろう、非常に珍しく飲みやがった。で、スヤスヤと。
そういや、娘は結構背が高い。まあ、『今のうちは』なんだが、足を引っ張ると「おお、デカイやんけ、お前」である。このまま行くと小学生時代のあだ名が南海キャンディーズのしずちゃんみたいに『しゃべる岩』になってしまうかも知れない。そのままお笑い芸人になって映画に出たりするようになるかも知れない。まあ、お笑い芸人になったらなったで『しゃべる岩』っちゅう子ども時代のあだ名もネタに使えるからエエのだろうが、しかし、子ども時代にはショックであろう。やはりここは親心でもって今のうちから『岩』というあだ名で呼ぶべきであろうか。そして我が娘は非常に頑固な顔をしている。『シャープな顔』っちゅうよりも『頑固な顔』なのだ。っちゅう事は『頑固な岩』というあだ名になってしまう。生後2ヶ月余りで『頑固な岩』か。。。とりあえず座り込みをする時には便利そうである。
「おお!頑固な岩がやって来たぞ。これで安心だ。」
と、頑固な岩は大人気である。
なんか違うような気がするのぉ。。。
そういや、先日京都に行って来た時に『がんこなお坊さん』(http://www.bk1.jp/product/03167579)っちゅう本を買う。別の本も買って読んだが、これは字が大きく漫画もついているし、多分、子ども用・「戦争は罪悪である」(竹中彰元)の本である。
法然上人は念仏で弾圧され流罪になったにも関わらず決して念仏は捨てなかった。
親鸞聖人も念仏で弾圧され『僧侶』としての名を奪われた事を機縁にして「んじゃ、仏弟子ってなんやねん。」と、国家から与えられた名前でなく『非僧非俗愚釈親鸞』と名告られた。
【そして今、私たちにとって何が必要なのかと思う。本書にも記したナチスに抵抗したミュンヘン大学の「白バラ」のゾフィー・ショルは自らの規範を、「硬い精神と柔らかな心をもたねばならぬ」と手記に記していたという。今を生きる者にとって、これは肝要なことである。絶対にこれだけは曲げられないという確固たる「硬い精神」と、状況に応じて柔軟に対応でき、あらゆる人々と友として出会い続け、連帯できる「柔らかな心」であろう。】(根津茂『20世紀世界の「負の遺産」を旅して~戦争の惨劇から見えてきたもの』 P316より)
民主党が『民が主』を標榜する政党であるのならば、ダム建設中止に反対する人たちと『友』としての交わりをするべきではないのだろうか?
目指す方向は『革新』であっても、方法は「誰1人として決して見捨てない」という、『保守的な』在り方でないと大乗とは呼べないのではないのか?
っちゅうか、民主党は仏教団体と違うが。。。
ふと『頑固な岩』で検索してみる。え~。。。ペトロっちゅうイエスの弟子は元々シモンっちゅう名前だったらしいのだが、イエスから『ペトロ=岩(頑固者)』というあだ名をつけられたらしい。んでもって、詳しく知らんが(調べてないが)イエスはペトロに天国の扉の鍵を預けたらしい。
まあ
【「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った。ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」】(マタイ26の69ー75)
やからやと思ったりするのだが。
仕事終わってメシ喰ってからも、ちょい諸々調べて「よっしゃ昼寝だぜ!」モードになったら、ママが買い物に行くらしく娘と寝る、はずだったのだが。。。最近、出かけたりする用事がなければ昼過ぎから夕方と、夜中に少々が基本の娘タイム。抱っこしたり、オシメ交換したり、今日はママが外出中に腹が減ったのか泣き止まなかったのでミルクも少々。前はイヤがってたのだが、今日は余りに腹が減っていたのだろう、非常に珍しく飲みやがった。で、スヤスヤと。
そういや、娘は結構背が高い。まあ、『今のうちは』なんだが、足を引っ張ると「おお、デカイやんけ、お前」である。このまま行くと小学生時代のあだ名が南海キャンディーズのしずちゃんみたいに『しゃべる岩』になってしまうかも知れない。そのままお笑い芸人になって映画に出たりするようになるかも知れない。まあ、お笑い芸人になったらなったで『しゃべる岩』っちゅう子ども時代のあだ名もネタに使えるからエエのだろうが、しかし、子ども時代にはショックであろう。やはりここは親心でもって今のうちから『岩』というあだ名で呼ぶべきであろうか。そして我が娘は非常に頑固な顔をしている。『シャープな顔』っちゅうよりも『頑固な顔』なのだ。っちゅう事は『頑固な岩』というあだ名になってしまう。生後2ヶ月余りで『頑固な岩』か。。。とりあえず座り込みをする時には便利そうである。
「おお!頑固な岩がやって来たぞ。これで安心だ。」
と、頑固な岩は大人気である。
なんか違うような気がするのぉ。。。
そういや、先日京都に行って来た時に『がんこなお坊さん』(http://www.bk1.jp/product/03167579)っちゅう本を買う。別の本も買って読んだが、これは字が大きく漫画もついているし、多分、子ども用・「戦争は罪悪である」(竹中彰元)の本である。
法然上人は念仏で弾圧され流罪になったにも関わらず決して念仏は捨てなかった。
親鸞聖人も念仏で弾圧され『僧侶』としての名を奪われた事を機縁にして「んじゃ、仏弟子ってなんやねん。」と、国家から与えられた名前でなく『非僧非俗愚釈親鸞』と名告られた。
【そして今、私たちにとって何が必要なのかと思う。本書にも記したナチスに抵抗したミュンヘン大学の「白バラ」のゾフィー・ショルは自らの規範を、「硬い精神と柔らかな心をもたねばならぬ」と手記に記していたという。今を生きる者にとって、これは肝要なことである。絶対にこれだけは曲げられないという確固たる「硬い精神」と、状況に応じて柔軟に対応でき、あらゆる人々と友として出会い続け、連帯できる「柔らかな心」であろう。】(根津茂『20世紀世界の「負の遺産」を旅して~戦争の惨劇から見えてきたもの』 P316より)
民主党が『民が主』を標榜する政党であるのならば、ダム建設中止に反対する人たちと『友』としての交わりをするべきではないのだろうか?
目指す方向は『革新』であっても、方法は「誰1人として決して見捨てない」という、『保守的な』在り方でないと大乗とは呼べないのではないのか?
っちゅうか、民主党は仏教団体と違うが。。。
ふと『頑固な岩』で検索してみる。え~。。。ペトロっちゅうイエスの弟子は元々シモンっちゅう名前だったらしいのだが、イエスから『ペトロ=岩(頑固者)』というあだ名をつけられたらしい。んでもって、詳しく知らんが(調べてないが)イエスはペトロに天国の扉の鍵を預けたらしい。
まあ
【「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った。ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」】(マタイ26の69ー75)
やからやと思ったりするのだが。
また、ハードな音ですね(笑)
しっかし、グリンバーって、よう考えたら変な店でしたね。『アフリカンバー』やもんなぁ。。。
31日、まだはっきりわからないですが、行けそうなら、またメールいたします♪
あ、18日の日曜日に『西長居公園』っちゅうところで、『住吉元気まつり』
http://npogenkinet.hp.infoseek.co.jp/matsuri/12_maturihtml.html
っちゅうのがあるらしいです。サイドウォーク(元白い家)の芳井さんも中心メンバーで頑張ってはるらしいっす。私も2時ぐらいから遊びに行く予定です。ぜひ、ぜひ。
動画、画面から外れてヘンリーの向かって左に私がおりますので、想像しつつ御覧下さい♪