坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

みな人は慾をすてよとすすめつつ、後で拾ふは寺のしょうにん(一休禅師)

2012年07月31日 | 坊主の家計簿
【関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働について「いのちより儲(もう)けを優先するもの、といわざるをえない」】
http://j.mp/NFMrlx

みな人は慾をすてよとすすめつつ、後で拾ふは寺のしょうにん(一休禅師)

山口香『情熱』を読んで

2012年07月31日 | 坊主の家計簿
 暑い…。暑いもんは暑いねんから、暑い。「暑い時に『暑い』いうても仕方ないやんけ!」かも知れないが、暑い時に暑いと言わずして、いつ暑いと言うのだ。イヤなもんはイヤだし、引き受けられない現実(苦)がある。それは誰にでもある。「今日も暑いですねぇ…」という挨拶の裏には「お互い、現実を引き受ける事が出来ない悲しい存在でんなぁ…」という言葉がある。
 え…何を書いてるねんや。そやそや、山口香や。

 山口と云えば山口県知事選挙である。自民、公明両党が推薦した山本繁太郎氏が勝利したらしく、飯田哲也氏が落選したらしい。Twitterや、テレビニュースなどで様々な意見があったが、ある『街の声(厳密にはテレビ局が選んだ声)』に「自民もダメ、民主もダメ」で飯田哲也氏に投票した方が居たらしい。え…そんな動機で投票するなよな。まあ、投票の動機なんぞ何でもアリなのが民主主義だが、「自民もダメ、民主もダメ」=「飯田哲也の方がマシ」なのか?ホンマにそうか?仮に飯田哲也氏が当選していたら、次は「自民もダメ、民主もダメ、飯田哲也もダメ」にならないか?まあ、山口県民のバランス感覚というか、飯田哲也氏に脱原発&自然エネルギー以外の事が出来るとは思えず、それが落選した最大の要因だろう。大阪に関わっていた時の発言なんぞを聞いていると、まあ、知事には向かない。参院議員やな。

 あ、山口香やった。
 昼食を食べながらワイドショーを観ていたら、何やら柔道のジュリーがうんたらカンタラ。「あ!小川や!」と橋下をボコボコにした小川が出てた。あ、『橋下』ではなく『橋本』や。
 小川も批判していた柔道のジュリー制度。スタジオに居た小川とは別に山口香が録画コメントで登場していた。え…野田聖子に顔が似てるのぉ…。つか、現役以来、姿を拝見するのは初めてかも知れん。
 
 Twitterでも柔道のジュリーがタイムラインにチラホラと。山口香の記事も紹介されていた。

 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO44301630Z20C12A7000000/

 柔道界の事は知らないが、批判精神溢れる素晴らしい文章である。
 外見も好み(ここ重要)なので、ネット検索。ブログもやって居られたらしい。

 http://blog.goo.ne.jp/judojapan09

 哲学する柔道家か。ええ感じや。
 チラホラ読む。

 『情熱』という題目の記事を読んで、「お!ブログを書こう」と。

【問題なのは、いじめが自殺や殺人事件に発展しちまうことだろ。教師はそうならんように、越えちゃいかん一線を越えんようにするのが仕事じゃねぇのか。いじめられる人間の痛みを、皆に伝えるのが役目だろ。で、お前は何のために教師になったんだ? ただ英語を教えるためだけか? だったら、英会話塾の先生でもやっとけや、ボケが。】
(竹原慎二 http://charger440.jp/bokoboko/category/r27_01.phpより)

 前後するが、これは山口香の

【先日、ある学校の先生と話をしていたら、中国の有名大学の付属中学校、高校の先生が視察に来ていたときの話をしてくれた。(中略)
 放課後であったために、体育館、校庭はもちろん、通路などあちらこちらで熱心にスポーツに取り組んでいる風景をみてビックリしていたという。そして質問したのは
「指導されている先生達に学校はどのぐらい指導料を支払っているのか。」
これに対して
「放課後の課外活動は教育活動の一貫だから特別な支給はしていない」と答えたという。
相手はこの答えにとても驚いたという。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)

 を読んで思い出した。これまた今日Twitterで得た情報だが。
 竹原慎二の『お前は何のために教師になったんだ? ただ英語を教えるためだけか? だったら、英会話塾の先生でもやっとけや、ボケが。』という言葉が素晴らしい。

 山口香のブログの続きに戻る。

【そこで日本の先生は
「この先生方は自分たちが生徒だった時にも熱心な先生に教えてもらっていたに違いない。そして、そういった先生方に憧れもあって先生になり、クラブを指導するのは当たり前という感覚があるのだと思う」と答えた。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)

 これは耳が痛いなぁ…。竹原慎二の『お前は何のために教師になったんだ?』もだが。
 耳が痛いので思い出し話。
 母校専修学院のある先生が高倉会館で話された時にこんな事を話されていた。

「専修学院には寺で産まれ育った人が多いのですが、その人たちが驚く事があります。それは仏教に出会った事を歓び、活き活きとしている僧侶にあう事です。寺で育った人たちにとって一番身近な僧侶は父親になります。その父親が活き活きとしていない事が多い。だからビックリするのです」

 みたいな事を。ひょっとして御自身の話なのかも知れない。

【年配の方々に言わせれば昔の先生は聖職であり、素晴らしい先生が多かったが最近では・・・となるのかもしれない。しかし、私の知る限り、多くの先生方は心血を注いで指導をされている。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)

 寺社会の話でもよく「昔の先生達は…」とか、「エエ先生が居らん様になった…」なんぞと聞いたりするが、「そうか?」と思ったりする。私の事は別にして、私が出会った多くの先生達や、また、多くの街(村)の僧侶(住職含む)も、目立たないだけで、しっかりとやって居られる方が多いが。当然、タマには「おいおい…」という時もあるが、それは私はその人の一面しか見ていない事もある。最近もよく思うのだが、「え?こんな所に、こんな先生が居たなんて」である。また、全く注目して居なかった僧侶が「え?こんな面もあるの?」であったりもする。母校の先生の話も『家庭』という限定された中での話であり、そりゃ、清志郎の『昼間のパパ』ではないが、家庭内でのパパは寝転んで屁をこいてナンボのわけであって(笑)

【私の持論は「良い指導者は、さらに良い指導者を生む」である。熱心な指導者に教わった選手は、将来自らも指導者になりたいと思うということである。熱心に、愛情をかけて教わった生徒達は自分が指導者になったとき、同じように生徒達に愛情を注ぐ。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)

 これは、日蓮宗丸山照雄が母校専修学院に対する評価を思い出す。確か丸山照雄は自分の所に「僧侶になりたいんです」という人に対して「だったら大谷専修学院に行って来い。専修学院には信國淳がいて、信國淳の影響を受けた仏弟子がいる。仏教を学ぶ為には仏弟子にならないといけない。仏弟子に成る為には専修学院に行くのが一番だ」みたいな事を書いていた事を思い出す。

【日本の柔道が長い歴史の中で競技力を維持しながら脈々とつながってきたことは、指導者の力が大きい。指導者が次の指導者(選手)にタスキを渡してきたからである。その原動力は選手を強く逞しく育てたいと思う「情熱」である。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)
 
 『タスキ』が『信心』か。まあ、『如来より賜る信心』だが、直接的には恩師である。人との出会いである。まあ、法然上人の様な天才も居ているので一概には言えないが。また『選手を強く逞しく育てたいと思う』ではなく、「共に生きたい」という事なんだろうが。

【変革すべきところは積極的に取り組むべきである。ただし、自虐的にばかりなる必要もない。日本には世界に誇るべき指導者が大勢いる。強い道場、強い学校に限らない。暑くても寒くても毎日道場に立っている指導者が日本の柔道を支えている。私はそんな指導者こそ財産であると思うし、心から誇りに思う。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)

 よく見かける仏教批判、僧侶批判を読み聞きしていると「お前、何を知ってるねん?」と言いたくなる事が圧倒的である。また、大概の批判は甘いし、安い。「そんな甘い安い批判で偉そうにされてもなぁ…」である。
 専修学院の本科時代だったと思うが、当時は単なる先生で、今は恩師がチョコチョコと寄って来て「坊主バーが新聞に出てるで」と。「君の事も書いてあるよ」と。何が書いてあったのか思い出せないのだが、恩師から言われた「ここに書いてある『批判する側から批判される側へ』というのは素晴らしいね」と。その事だけは覚えている。坊主バーというある意味気楽な場所で僧侶の一面しか見ていない中で散々批判して来たが、私自身も僧侶になり、ついでに住職になり、批判される側に立ったが故でもあるが、見えていなかった事が圧倒的に多い。当然、今もだろうが。
 見えなかったのは『生活』であり、『仏性』である。え…念仏者としては根本的欠陥、「他力はどうした?他力は?」の話なんだが。

【変革すべきところは積極的に取り組むべきである。ただし、自虐的にばかりなる必要もない。日本には世界に誇るべき指導者が大勢いる。強い道場、強い学校に限らない。暑くても寒くても毎日道場に立っている指導者が日本の柔道を支えている。私はそんな指導者こそ財産であると思うし、心から誇りに思う。】
(山口香『情熱』http://blog.goo.ne.jp/judojapan09/e/c46f34eda112db0136c08ad5f6ce91e1より)


  無戒名字の比丘なれど
  末法濁世の世となりて
  舎利弗目連にひとしくて
  供養恭敬をすすめしむ
  (親鸞聖人)

 
 この『無戒名字の比丘』は『僧侶』だけではなく『念仏者』全ての事だと思う。僧侶批判もあれば門徒批判もある。けど、それも『生活』と『仏性』が見えていないだけではないのか?
 山口香の言葉を借りるならば

「変革すべきところは積極的に取り組むべきである。ただし、自虐的にばかりなる必要もない。日本には世界に誇るべき念仏者(僧侶含む)が大勢いる。熱心な門徒、熱心な寺に限らない。暑くても寒くても毎日念仏申している念仏者(僧侶含む)が日本の仏道を支えている。私はそんな門徒(僧侶含む)こそ財産であると思うし、心から誇りに思う。」

 である。

【いじめられる人間の痛みを、皆に伝えるのが役目だろ。で、お前は何のために教師になったんだ? ただ英語を教えるためだけか? だったら、英会話塾の先生でもやっとけや、ボケが。】
(竹原慎二 http://charger440.jp/bokoboko/category/r27_01.phpより)

 『生活苦』という言葉は金銭だけの問題なのか?業はどうした?
 金銭面の生活苦も生活苦であるが、それだけなのか?家庭の、あるいは一個人の生活の中の様々な苦悩はどうなる。
 『苦悩』が、医師からの判断や、あるいはマスコミに取り上げられる様な『社会問題』にならないと『苦悩』として認められないのか?なに魂を売り渡していやがる。魂を売り渡して目の前の、あるいは自分自身の苦悩から目をそらすならば、念仏者(僧侶含む)に何故なった?
 「カルチャーセンターにでも行っとけ、ボケ!」と言いたい煩悩が湧き出て来たが、それは間違い。その人の苦悩と仏性が見えてないだけ。