山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

最終回

2011-02-25 16:58:19 | Weblog
 このブログを立ち上げたのは北京オリンピックが終わった翌年の09年の元日、柔道界にさまざまな新しい風が吹き始めたときでした。07年に国際柔道連盟会長が朴会長からビゼール氏に交代。ビゼール氏は強いリーダーシップで様々な改革に着手していきました。

 このブログを書くきっかけともなったのが、彼の最初で最大の改革とも言うべきIJFの法令改正でした。それまで選挙によって選ばれていた理事を会長指名とするなど独裁が可能な組織を作りました。改革のスピードと効率を考えれば必要なことだったのでしょう。しかし、独裁的な組織が方向によっては大きな危険をはらんでいることは、チュニジアやエジプトの革命をみても明らかです。

 こういったなかで日本の柔道はどうあるべきか。柔道創始国である日本が世界で果たすべき役割とはどういったことなのかを改めて考える時期がきたのだと感じました。また、これはたくさんの柔道家たちと一緒に考え、情報を共有していくことが重要だと考えてブログを立ち上げることにしました。

 あれから2年と2ヶ月が経ちました。

 日本柔道界は上村春樹氏という嘉納家以外から初となる柔道家を講道館長・全柔連会長に迎え、新たな道を歩き出しました。講道館と全柔連という目指すものの違う二つの組織を一人の人間が束ねることにも危惧を感じ、論じてきました。

 世界の柔道、日本の柔道、どちらも抱えている問題や課題は少なからずあります。しかし、IJFも全柔連、いずれも新たなリーダーのもとに新たな道を歩みつつあります。これまで、思うこと、感じたこと、批判を述べてきました。まだまだ言いたいことはありますが、このブログを始めた目的の部分は役割を終えたのかと考えています。
 
 ブログには全国に広がるたくさんの柔道家、柔道ファンのみなさまから柔道に対するさまざまな声が寄せていただきました。大会などで直接「読んでるよ」などと声をかけてくださった方も大勢いました。ブログのヒット数はこの2年間で約57万件。他のブログはわかりませんが、かなりの数にあたるのではないかと思います。私のブログをチェックしてくださった方がそれほどいらっしゃったということは、直接コメントをくださった方以外にも読んでくださった方々が本当にたくさんいらっしゃったということでしょう。柔道を愛し、柔道を考え、柔道をよくしようとする方々が大勢いることを感じることができました。こういった人々こそ柔道の財産です。

 山口 香の「柔道を考える」は今回をもって最終回とさせていただくことにいたしました。これまでこのブログを読んでくださったみなさま、コメントをくださったみなさま、本当にありがとうございました

 このブログは閉めますが、近い将来、また違う形で新たなブログを立ち上げることもあるように思いますので、そのときはまた是非おつきあいください
 

五輪当確ライン

2011-01-30 12:39:07 | Weblog
オリンピックまで1年半をきった。いよいよ本格的に代表権争いが始まる。日本選手は大会参加数も多く、男女ともに各階級数名の選手が上位にランクされているので代表権を獲得するということに関してはあまり問題ない。逆に国内での争いが大変である。
 
 IJFが現時点のランキングで五輪当確可能な選手をリストアップしている。これをみると一カ国から複数ランキングしている場合には、その人数をカウントせずに当確ラインを引き下げている。

 このページは大会ごとに更新されていくであろうから、当確ライン上の国、選手達はこのランキングを見ながら大会を選んでいくという駆け引きになっていく。また、モチベーションにもなる。

 興味のある人はチェックしてみてください

ワールドマスターズinバクー

2011-01-18 14:19:18 | Weblog
 ランキング上位16名によるトーナメント、ワールドマスターズがアゼルバイジャン、バクーにて行われた。上位16名といっても欠場する選手がいれば繰り上がるので階級によっては30位ぐらいまでが出場権内となった。

 アゼルバイジャンでこのような大きな国際大会が開催されるのは珍しいが、会場の様子をネットで見る限り、満員の観客で盛り上がったようである。旧ソ連から独立し、カスピ海に面し、石油やガスという資源を持ち、発展を遂げている国のようである。イスラム教徒が95%を占める。東京での世界選手権では男女1個ずつ銅メダルを獲得している。

 日本選手は多いところでは階級3名のエントリーだった。男子は100kg超級鈴木選手、90kg級小野選手、81kg級、73kg級粟野選手が3位を獲得したが、決勝進出したものはなく、100kg級穴井選手を含む6人が1回戦負けという厳しい結果だった。女子は3階級で金メダル、2位が5人(うち3人は日本人同士の決勝)、3位が2人とまずまずの結果であった。

 上位ばかりの選抜大会であるので、1回戦から強豪とあたる可能性を考えれば1回戦負けといっても気落ちする必要はないのかもしれない。また、以前にも書いたが選手は連戦の疲れもあり、出る大会全てで勝利するというのは難しい。ここのところ負けなしだった57kg級松本選手や63kg級の上野選手も決勝で敗れている。

 難しいのは、こういった敗戦をコーチや強化がどのように判断するかだろう。これだけ大会に出場していれば全てで勝つことは難しく、逆に全てに全力を注いでいれば、肝心のオリンピックを前に精神的にも力つきる可能性がある。しかしながら、日本人の感覚でいえば「負ける=弱い、だからもっと鍛えろ」という安直な方向にいきやすいのが心配だ。東京での世界選手権、グランドスラム大会での活躍は地元の利があって額面通りには受け取れない面もあり、今回の結果をみて、浮かれた気持ちを締める必要はあるだろうが、これ以上選手達にムチを入れるのはいかがなものか

 ランキングポイントをみると、上位にランクしていて2位以下に大きく水をあけている選手もいる。こういった選手達は大会派遣を見送って国内でじっくり研究、調整をさせた方がよいのではないだろうか。トップの選手は2月に行われるヨーロッパの大会に平均して2大会に派遣される。さすがに女子の何名かは1大会となっている。強化からすれば派遣しないという選択肢はないのかもしれないが、選手によってはそれもありだろう。ランキング制だから出場させるのではなく、ランキング制だからポイントをみて出場させないという戦略もあるはずだ。日本の派遣の仕方をみているとランキング制の大会になる前同様にパリから始まる2月の3大会のいずれかに選手を派遣するようだ。大会のシステムが変わったのに派遣の仕方には全く変わりがない

 今大会で81kg級の中井選手が関節技を決められて肘を負傷したようである。彼は技が決まっているのに「参った」しなかった。見ていた海外の関係者によれば、外からみても肘を脱臼もしくは折れているように曲がっていても「参った」せず、その後も、苦痛な表情で試合続行が不可能なようにみえたがコーチ陣は続行を促したという。「日本はいまだに何十年も前のような根性主義なのか」といった質問を受けた。そのときの状況がわからないし、怪我の状態も不明だが、もし、彼が「参った」できないような、怪我をしても試合をやめられないようなプレッシャーをコーチ陣から受けていたとしたら問題は大きい。仮定で話をしてはいけないが、もし怪我の具合が重く、4月の体重別にまで影響を及ぼすことになったら、世界選手権、オリンピックの可能性にまで影響を及ぼす可能性も否めない

 厳しく指導をすることは結構であり、選手も勝負に厳しく臨むのはよいが、この時期に怪我をしてしまったら何にもならない。残念だが、怪我をして泣くのは選手だけで強化とすれば代わりがいる。選手が自己主張をしすぎて我がままになるのは良くないが、結局、オリンピックの切符は自分でつかむしかない。オリンピックは生涯に一度のチャンスかもしれず、後悔しない闘いをしてほしい。コーチの顔色をみて言うことを聞いていれば勝てるものでも、選んでもらえるものでもない所属のコーチも選手も全日本のコーチと正面からやりあってオリンピックへのベストな道を模索してほしい。

 

五輪の階級

2011-01-06 12:16:35 | Weblog
明けましておめでとうございます
今年も皆様にとって、柔道界にとって素晴らしい年でありますように

今年はいよいよオリンピック前年ということでランキング争いも厳しくなっていくことが予想される。以前にも書いたが、選手達の過密なスケジュールを考えると五輪で勝つことが目的なのだが、辿り着くまでのサバイバルレースを勝ち抜くことに多大な精力をつかってしまい、五輪直前に息切れするなどといったことがないように願うばかりだまた、この時期にきて万が一にも大怪我に見舞われれば、まずチャンスはなくなるのでこの点も十二分に注意が必要だろう。

今のシステムを考えれば五輪に連続して出場することは以前に比べて難しくなるだろう。そうなれば選手にとって五輪出場のチャンスは一回だけとなる可能性が高い。生涯に一度のチャンスをかけての闘いなのだから、今年そして来年にかけては、選手には多少我がままに見えようとも自分の納得のいく、悔いのない闘いをしてもらいたい。全日本の立場では強化選手の誰が出場しても(金メダルが狙える選手なら)構わない訳であり、個々の選手を思っていてもらっていると考えたら大間違いである。

オリンピックといえば、IJFのビゼール会長は2016年のリオ五輪から柔道競技に団体種目を入れたいと強く考えているようだ。そのために実績作りとしてヨーロッパ選手権に団体戦を導入したり(個人戦の日程の後に行う同時開催方式)、今年のパリの世界選手権でも行う。

ビゼール会長の強力なリーダーシップを考えれば、彼が「強く望む」ものであれば実現する可能性が高いだろう。しかし、問題はIOC(国際オリンピック委員会)である。オリンピックという船はすでに満員でこれ以上乗船させる余裕はない。つまり、新たに団体戦の人数枠を設けることは困難なはずである。となると、おそらくIJFがIOCと取引するのは階級の削減だろう。実際、昨年のグランドスラムにおいてビゼール氏に近い関係者からは、「7階級から5階級に変更する可能性がある」との話も聞いた。

ソウル五輪から無差別級がなくなったが、これは女子を入れる交換条件の一つであった。このことを考えると、2016年のリオで団体戦を導入する代わりに階級を減らすという交渉は真実味を帯びてくる。

女子のレスリングがそうであるように、五輪と世界選手権の階級が異なる可能性もあるだろう。いずれにせよ、こういった話がおそらく、かなりの段階で進んでいるにも関わらず、日本国内で知っている人がどれだけいるのか?選手にとっては非常に大きな問題である。例えば、下と上の階級を削るとなれば48kg級、60kg級はなくなる可能性もあり、ロンドンが最後のチャンスともなりかねない。

根本的な問題としても、五輪に団体戦が必要かという議論もある。個人戦を闘った選手が数日後にまた闘うことが可能なのか。個人戦で選手が怪我をした場合にはどうするのか?計量は?などなどテクニカルな問題も多い。私が噂を聞いているぐらいなので、上層部は当然のことながら対応策を既に検討し始めているだろうが・・・

強いリーダーシップによって良い面での改革がスピードを持って行われることもある。反面、多くの場合は秘密主義で情報公開がされずに密室、少人数で話が進んでいく懸念もある。今の体制が当分変わることも望めないのなら、せめて情報戦略をしっかりと自己防衛をしていかなければならない

ヘッドコーチ

2010-12-27 00:14:33 | Weblog
 グランドスラム東京大会では選手意外にも目立っていた人物が・・・ 男子の篠原ヘッドコーチは大活躍だった。じっとしていても存在感があるのに、試合中、あれだけ大声で選手に激を飛ばせば目立たないわけがない。結果、彼の言動が物議をかもしている。

 私自身、試合場のすぐ側で見ていたので日本のコーチ陣の言動がよく見えた。このブログのコメントでも指摘されるように、言い方や指示の内容には首を傾げたくなるような部分もあった。

 昨年、ロッテルダムの世界選手権で日本男子は史上初めて金メダルゼロという結果に終わり、立て直しが心配されたが、今年の世界選手権での活躍を見る限り、コーチ陣は非常に頑張って確実に成果をあげている。全日本に限らず指導者は皆、選手とともに闘っている。それが「行き過ぎ」た言動と捉えられてしまうことも少なくない。もちろん柔道は教育的なスポーツであり、トップの指導者、選手の言動、態度は子供達に及ぼす影響も少なくないので気をつけなければいけない。しかしながら現実には、命がけで勝負をしているときには他のすべてが見えなくなり、勝つことのみに邁進するのも仕方がないと擁護したい部分もある。自分が全日本のコーチをしていたときも、きっと同じようなことをしていたのだろうと考えると恥ずかしくなるつまり自分の姿は意外と見えていない。

 理解はしても改善してほしい部分もある。3日目までは、篠原コーチは試合場についている担当コーチとは反対側の関係者席に座って指示を出していた。この状況は、選手には両側から指示が飛ぶことになり、どちらを見たら良いのか迷うことになる。また、担当コーチがいるのにヘッドコーチが脇から始終指示を出すのもよくない。担当コーチの立場もない。始終指示を出す必要があるのであれば自らコーチ席に座ればよい。確かにヘッドコーチの立場で「やきもき」して、つい声が出てしまうのはよくわかるが、コーチ、選手を信頼して任せることも大事である。「指示待ち」の人間をつくっていたのでは、いざというときに力を出せない。

 私の持論では、超一流の選手ほど試合中コーチをみない。アドバイスは耳で聞いて、それを消化して、自分の判断で試合を進める。篠原コーチは何度も選手の名前を呼び、選手が自分の方を見て聞いているのを確認する。「見ないから」「頷かないから」選手が聞いていない訳ではないということを理解するべきだろう。おそらく、コーチ自身も選手時代にはコーチのほうなど見なかったに違いない

 現在、準決勝戦以上は、コーチは正装が義務づけられている。このルールができたときに、「なんで」と疑問に思って反対だった。しかし、大会を見ていて思うことは正装したコーチたちの態度は以前よりもよくなったのではないかいうことである。意識してそうした訳ではないであろうが、身なりによって自然と自制されるのかもしれない。また、ジャージで大声で指示を与えるのと、スーツでやっているのとでは受ける印象が大きく違う。ちなみにロシアでヘッドコーチを務めるガンバ氏は2階の全ての試合場が見渡せる通路に大会中はずっと立って試合を見守っていた。「なぜ、ここで?」と聞くと「ここが一番良く見えるから」という答えだった。ヘッドコーチは選手とともに闘うことも重要だが少し離れたところから全体をみるのも仕事なのかも知れない。

 最初にも書いたが、篠原ヘッドを中心とする男子チームは非常に頑張っていると思う。しかしながら、上昇しているときにこそ注意も必要だ。メディアも世間も、低迷しているときには比較的易しく応援する雰囲気があるが、上昇している人間は叩きたくなるのが常だ。上昇機運にのっている時ほど、つまらないことで足を引っ張られたり、つまずかないようにしてほしい。

 これも持論だが、大きい人間は小さい人間よりずっと優しい。篠原コーチも直に接すればとても謙虚である。ゴリラがいかにおとなしいと言われても人は怖がるので、大きい人はそれだけで人に威圧感を与えていることも自覚しなければならないのかもしれない。

 また今のコーチや選手もおとなしい。篠原ヘッドが、あまりにも「うるさい」ときには、はっきり「うるさい」と言うべきである。ヘッドコーチは孤独な戦いだが、裸の王様にしてはいけない。強いチームは、個々が強く、その強い個が結集したときに出来上がる

選手達の悲鳴

2010-12-16 14:45:30 | Weblog
グランドスラム東京は、土曜、日曜、月曜と変則的な日程であったが観客も思ったよりは入り、主催者側も「一応、成功」と胸を撫で下ろしているかもしれない。しかしながら、会場の半分は観客を入れなかったにも関わらず、満席になることもなく、パリ大会などと比較すると質が落ちるといった感は否めない。

3日間大会を観戦したが、充実感よりも疲労感が大きかったのはなぜだろうか。予選ラウンドは3試合上でアナウンスも名前を紹介するだけで淡々と試合が続いていく。以前にも言ったが、強豪選手が出る場合には紹介があったりすればもう少し注目してみるのかもしれないが・・・。

終わってみれば日本が多くの階級を制して活躍したかのように思えるが、実際には活躍すべき選手が今一で若手やダークホース的な選手が活躍したおかげである。この現象は9月の世界選手権と似ている。一番手の選手ではなく、2番手の選手が活躍した。世界選手権のときには、一番手のプレッシャーだと思ったが、今回は、選手達が皆一様に疲れていると強く感じた。やる気が感じられないというと言い過ぎだが、みなぎる闘志のようなものが出ていなかったのは確かだ。

福見選手は準決勝戦で勝利した後、本来自分が戻るべき側に下がっていくのではなく正面席のほうに戻ってきてしまった。係の人に声をかけられるまでは全く気がつかなかった。疲れて車を運転していると、到着したときにどうやってこの場に着いたのか記憶がないことがある。目を開いていても見えていない、やっていても意識していない、集中していないという現象であり、一つ間違えば大きな事故につながる可能性もある。福見選手に限らず、1、2番手の選手のほとんどがこのような状態ではないのか。

彼らを疲れさせるのは、この大会が終わっても休めるという期待がないことだ。引き続いての合宿、1月にはマスターズ(アゼルバイジャン)、2月にはパリのグランドスラムが待っている。試合は出れば良いというものではない。当たり前ながら、練習、調整、減量をしなければならない。ロンドンまでという思いで必死に自分に鞭を打っているのだろうが、心も身体も悲鳴を上げているのが私達にも伝わってきた。

強化とは、強くするのが目的なはずであるが、今やっているのは、ただ選手達に鞭を打って働かせる悪徳サーカスのようだ。サーカスの動物が無理をして病気になろうと死んでしまおうと、サーカスのオーナーは次を探せば良いのだから一向に構わない。強化に携わっているコーチたちは自分たちも辿ってきた道なのだから、これだけの合宿、試合をこなすことが可能かどうかの判断は容易にできるはずだ。海外の選手とは状況が違う。海外は選手層も日本ほどに厚くなく国内の競争がないに等しい。練習相手も国内には少ないから、国際合宿、大会が練習の場になっている。それらの選手と比較して日本人は逞しくないといった議論はおかしい。

強化選手の中には大学生も多く含まれるが、強化の方針に沿って全ての合宿、大会に参加していたら、まず4年間で卒業するのは無理だろう。オリンピックの代表に選ばれて、その年に限って柔道に専念するということで休学というのはこれまでにもあったが、世界選手権が毎年ある現状では、選手の間は大学に行く時間がないといっても過言ではない。大学側や先生が事情を考慮したとしても間に合うスケジュールではない。

確かに、他の競技では、それこそ365日合宿をしなければ、常に海外遠征をして鍛えなければメダルを狙うことが難しいともいえる。しかし、柔道は違う。例えば、現在、ランキング上位であり、経験もあるベテラン選手が大会に出場し続ける意味が何なのか?大会に出れば出るほど、各国から研究されることは間違いない。勝たせるために行かせているのか、勝ちづらくするために行かせているのか?

現在では、マルチサポート事業のサポートもあって医科学的な側面から選手達をサポートしている。この人たちに「トレーニング期、調整期、減量、ピーキングなどの観点から1年間の適正な試合数は?」と聞いてみたいぐらいだ。

負けた選手達のインタビューを聞くことはなかったが、そのうちの1人でも「こんなに試合をしていたら、負けるのが当たり前ですよ。もう疲れました。怪我をしないで終われただけでもラッキーでした。柔道が楽しくありません。」ぐらいの発言があっても良かったのではないかと思う。選手の正直な気持ちはそうだろうと推察する。

選手はベルトコンベアに乗ってくる商品ではない。つぶれたから次がいるというものではない。現場の先生が長い時間をかけて作り上げた傑作である。彼らが最高の状態で競い合って五輪の代表権を争ってほしい。消去法で生き残った選手を連れていくのなら強化とは言わない。また、消去法で生き残った選手であれば、代表権を勝ち取った時点で気持ちが切れてしまう可能性も少なくない。

世界選手権、グランドスラムと日本は成績を残しているが、この結果を額面通りに受け取って五輪に期待するのはいかがなのもかと思う。そのことを強化の現場がわかっていることを信じたいが・・・。

第3回筑波大学少年柔道錬成大会

2010-12-05 10:20:14 | Weblog
筑波大学柔道場において、「第3回筑波大学少年柔道錬成大会」が開催された。900名を超える子供達(幼児の部から小学校6年生まで)が参加した。試合形式は団体戦でトーナメント戦。朝10時から夕方の6時までノンストップで行われた。筑波大学の道場は狭いわけではないが、さすがにこれだけの人数が集ると息苦しさを感じるほどである。シニアの大会と違って子供の大会は、親がもれなくついてくるので参加者の倍の人数はいたはずである。

主催は筑波大学内にある「つくばユナイテッド柔道」。つくばユナイテッドとは、筑波大学の運動部が力を合せて周辺地域のスポーツ活動を応援することを目的として、平成17年3月に設立された体育系コーチング分野の教員を中心とした連合体であり、「スポーツを通して地域社会と大学に豊かで創生的な育みを提供すること」を理念として活動している。少年柔道教室もこの活動の一環であり、平成17年から4月からスタートした。

柔道教室の運営及び指導は、保護者の協力を得ながら、主に柔道部の学生(大学院生も含む)が中心となって行っており、日本や世界トップレベルで活躍する選手達から直接指導を受けられる点も特徴である。学生にとっても普段は競技として行っている柔道であるが、指導することによって競い合うだけではない柔道の意味や価値に触れるチャンスともなっている。大会の運営、審判も学生(大学院生を含む)が中心で行っている。

3回目を迎えるこの錬成大会には、朝飛道場、小川道場、春日柔道クラブ、古賀塾、力善柔道クラブなど強豪も多く参加し、レベルの高い大会であること、団体戦ということで個人戦以上に盛り上がり、皆熱かった!お父さん、お母さん、ビデオ片手に大声で声援を送る。後でビデオを見たときに自分の声にビックリ!なんて人も多いのではないだろうか。以前に世界で闘っていた元選手達も父兄として指導者として熱い声援を送っている姿もみられた。柔道経験のないお母さんも多いのだろうが、「門前の小僧」で、結構的確なアドバイスを送っていた。柔道に限らず子供のスポーツにかける親の思いは凄いものがある。試合数も多いので親の協力がなければ続けられないという現状もある。

負けると涙を見せる子供が多かった。自分の子供時代を考えると、負けて泣いただろうか?と考えてしまった。負けて悔しいと思う気持ちは重要だが、今の子供達は昔以上に勝つことへのプレッシャー、親のプレッシャー、指導者のプレッシャーが大きいのかもしれない。柔道の質も変わってきた。私達は試合でも組み手争いや切ったりといったことはなく、「組んでからやりましょう」といったのんびりとしたものだったが、今の子供達は組み手争いは当たり前だ。組み手のうまい子供も驚くほど多い。おそらく、柔道の技術として完成するのは昔よりもずっと早い。そのことが、頂点を極める上ではプラスなのかマイナスなのかは、もう少し検証が必要になるだろう。

体格の向上にも驚く。小学4年生で私よりも体格の良い子供達が結構いた。体格差のある対戦も多かった。子供の場合、体格が大きいとそれに頼ってしまい、技術の習得を怠ってしまう傾向もある。これは本人の自覚が云々という問題ではない。小学生の場合には学年別の大会がほとんどだが、並外れて体格の大きい子は、一つ上の学年にもエントリーできる方式をとってもよいのかもしれない。小さな体格の子供よりも実は恵まれた大きな体格の子供を伸ばすことは難しい。日本人の体格は良くなっているにもかかわらず、重量級で勝てなくなっている現実からもわかる。

子供達の懸命に頑張る姿、流す涙は見ていて気持ちがいい。こういった大会が毎週末のように全国各地で行われているのだろう。

アジア大会

2010-11-18 17:01:34 | Weblog
 アジア大会柔道は、男子が3階級、女子が4階級で金メダルを獲得したものの、怪我などのアクシデントも多かったようだ。

 アクシデントの一つは63kg級の上野選手の準決勝戦で北朝鮮の選手との対戦で目のあたりを負傷したものだった。開始早々に相手の右手が上野選手の顔面にパンチのようにあたって上野選手がうずくまるシーンがあった。かなり強烈にあたったようで試合中にもボクサーのように目のまわりが腫れ上がって痛々しい状況だった。

 問題はこれが単なるアクシデントなのか故意の攻撃だったのかという点である。コーチ陣のコメントを読む限り、故意に何度も「殴った」ようなニュアンスで、IJFにもビデオを提出するという。私もビデオを見たが、残念なのはやはりビデオはビデオであるということである。確かに殴っているようにも見えるが、気持ちの激しさが組み手の激しさになって、たまたまぶつかったようにもみえる。おそらく会場にいた人たちがみていると違った印象を受けたに違いない。おそらく、審判としても反則を取るまでには難しい判断であったに違いないが、選手に口頭で注意を与えるぐらいはあって良かったのではないかと思う。

 アクシデントといえるかどうかはわからないが、最終日の48kg級の決勝戦の判定も不可解きわまりないものだった。地元中国の選手との対戦であったので当然ながらホームタウンディシジョンはあるだろう。しかし、ゴールデンスコアに入ってからの闘いは福見選手が圧倒していた。これで旗が分かれるようであれば「立っているだけでも勝てる選手が出るということになる」というぐらい差があった。確かにポイントを獲らなかったのが悪いといえばそうだが・・・あまりにもひどい審判であった。

 IJFはコーチや選手には審判にクレームをつけることを許していない。コーチたちは正装をしてお行儀よく振る舞っている。審判は守られているのである。では、選手のことは誰が守るのであろうか?上野選手を殴った北朝鮮の選手が故意であったかどうかは判断できないが、この審判員達は明らかに故意に判定を行った。審判員としての倫理観に大きく欠ける。万が一、故意でないという主張であれば、素人でも間違わないような判定を間違えたとなれば国際審判員としての資格はない。コーチや選手は何かあれば罰則を受けるのに審判はお咎めなしではおかしい。それにしてもアジア大会という大きな大会でこのようなレベルの低い審判が捌いているのかと思うと情けない。

 男子では秋本選手、平岡選手が試合中に怪我をしたようである。不可抗力といえるのだろうが、前にも書いたが過密な大会スケジュールがこういった怪我を誘発しているともいえないだろうか。次の闘いであるグランドスラム東京大会まですでに一ヶ月を切っている。選手達は休む間もなく、落ち込む間もなく、次へと向かわなければならない。選手ばかりでなく、コーチも審判も大会関係者も大会を振り返って評価、反省、総括する時間もない。

学生柔道体重別団体

2010-11-01 11:39:55 | Weblog
 週末は兵庫県、尼崎において学生柔道体重別団体選手権が行われた。男子が12回、女子が2回目となった今大会は始めて男女同時開催となった。

 2日間とも観客席はほぼ満席状態で、2日目の男女決勝戦前には立ち見の観客が目立ったことから関係者しか入れなかった1階席も解放するほどだった。使用する体育館の規模や設備(更衣室の数など)から男女共催にはハードルが高く、運営する側としては非常に大変だったことが予想できる。しかしながら、会場の盛り上がりをみていると大成功だったのではないかと思う。2日間の大会が大きな混乱もなく滞りなく行われ、それを支えた人たちの努力に敬意を表したい。

 女子は環太平洋大学が初優勝を飾った。女子柔道部創部4年目での快挙である。創部4年目といっても部員は40名以上で、選手層もあつい。しかしながら、こういった大きな大会で強豪校を次々と倒しての優勝は素晴らしい。総監督の古賀さんと決勝前に話をしたが、「久しぶりに具合が悪い」といっていた。見た目には自信満々に見えたチームだが、自分が闘っていたとき以上に緊張したにちがいない。

 総監督の緊張をよそに選手達は最後まで伸び伸びと闘った。競り合っても攻め負けない勝負強さは普段の練習量の豊富さ、やり込んできた者がもつ自信だった。

 これからは挑戦を受ける立場になる。成し遂げた余韻に浸る暇もなく次を目指さなければならない。男子と違い女子は常に下克上が可能で、新規参入校にもチャンスがある。こういった大学間の競り合いが現在の女子柔道の強さの裏付けになっているのかもしれない。今年敗れた強豪校が来年どう巻き返しを図ってくるのか、今から来年が楽しみである。

 男子は筑波大学が7年ぶり2度目の優勝を果たした。9月に行われた東京世界選手権のメダリスト3人を擁した筑波大学ではあったが、準々決勝、準決勝、決勝と僅少差のきわどい闘いだった。

 学生団体は無差別のそれも含めて独特の雰囲気がある。開会の挨拶で佐藤会長が「9月に行われた世界選手権の代表が先に行われた個人の学生選手権には出場しなかったが、今大会は1人を除いて全員が参加している。それだけ、この大会にかける思いがあるのだろう。」といった内容の話をされた。確かに、個人戦とは全く違うモチベーションとプレッシャーがある。

 自分の勤務校であり、母校である筑波大学が優勝したからということではなく、見ている人が息をのむような試合が続いて柔道の魅力をあらためて感じた。母校の名誉をかけて闘った選手達すべてに、素晴らしい闘いを見せてくれたことに感謝をしたい。

 この大会も当然のことながら国際審判規定で行われた。気になったのは「反則」のタイミングだった。確かに、国際審判規定においては両者に反則をとるのではなく、どちらかを見極めて一方に「指導」を与えることや、試合に動きがない時には早めに「指導」を与えるというのが流れである。しかしながら、あまりにも性急に反則をとってしまい、せっかくの試合の流れを断ち切ってしまうようなシーンも見られた。

 団体戦は個人戦と違い、駆け引きがある。引き分けという戦略もある。反則ばかりで勝負が決まってしまうのは個人戦以上に興醒めであり、団体戦の面白さや醍醐味がなくなってしまう。今大会は体重別なのでまだよかったが、これが無差別となったら小さい選手は闘い方がなくなってしまう。国内ルールを事実上なくして国際ルールに統一したことは異存ないが、大会によって匙加減があってよいと思う。ルールはいかにその競技の魅力を引き出し、見ている人にわかりやすく、面白いものにするために存在するのだと思うので、杓子定規に行うことはいかがなものか。大事なのは大会全体で申し合わせを行い、どの試合に関しても整合性がとられていることである。さっきの試合はこうだったのに、今度の試合はこうだった、では不満もでる。

 世界各国も若い選手達の活躍が目立つ。日本も男女ともに学生の中から1人でも多くの選手が世界で活躍できるように期待したい。

技を練る時間

2010-10-22 10:23:52 | Weblog
 9月に行われた世界選手権において日本勢は好成績を収め2年後に迫ったロンドン五輪に向け、強化は順調に進んでいるようにみえる。しかしながら一方で選手達の大会スケジュールがあまりにもハードなために、このまま走り続けていけるのだろうかと老婆心ながら思う。

 国際柔道連盟がランキング制、ポイント制を導入したことで大幅に大会数が増えた。世界選手権も毎年、各国2名のエントリーが可能になった。こうした一連の流れの中でトップの選手達が1年間に出場する大会の数は、それまでとは比べ物にならないほど増えている。

 9月から来年の12月までの4ヶ月の間で、主な大会は、世界選手権(東京)、世界団体選手権(トルコ)、アジア大会(中国)、講道館杯、グランドスラム東京大会とあり、この他に各地でワールドカップ大会がある。派遣人数、レベルは若干異なるが、これら全ての試合に日本から選手が派遣されている。世界チャンピオンクラスの選手であっても4ヶ月の間に平均3大会に出場することとなる。

 私自身の経験からも試合が1ヶ月に一回の頻度というのは考えられない。減量、コンディショニング、ピーキングなどどれを考えても難しい。また、柔道というのは「技を練る」時間、「力をためる」時間が必要である。ボールゲームなどはゲームの中で力をつける部分が多いのかもしれないが、柔道の場合は少し違う。どんなに一流の選手で技術は出来上がっていたとしても大きな大会に向けては自分の技をもう一度練り直す時間が必要になる。

 技術があって試合で勝つことができたとしても、さらに技を練り、高める時間がなければ技は錆び付いてしまい光を失っていく。相手に研究され、技を見切られるために試合自体も魅力のないものになっていく。お互いが手の内を知れば知るほど試合は緊張感を欠き、平凡なものとなる傾向にある。

 国際柔道連盟は効果ポイントをなくしたり、足取りを禁止したりと、柔道本来の持つ魅力を取り戻そうとの努力が見られる。しかし、一方でこんなに大会を増やし、ポイントで選手を縛ったことは、柔道で最も大事な技を練る時間を選手から奪い、本質であるべき切れる技をみる醍醐味を無くしてしまう危険がある。

 心配なのはカデ、ジュニアという若い世代の大会も増えており、つまり、技術の基礎を作らなければならない時代にもその時間がなくなっていることだ。これは世界だけではなく、国内でも少年の試合が多いという話しを聞く。このままでは試合で勝てる選手は作られるかもしれないが、切れる技を持った選手はでてこないかもしれない。

 大会の数が多くなったことは仕方がないが、これら全ての大会に日本が派遣する必要があるのかといえば、これは別の話であろう。また、1年間の合宿、大会を決めていく時に強化コーチ、強化委員会だけで計画をするのではなく、選手達、所属のコーチも含めて年間計画を立てていく時期に来たのではないだろうか。

 ナショナルという最高にランクしている強化選手は各階級数名で、おそらくこの中からロンドン五輪に選ばれることは間違いない。そうであれば、その若干名の選手をそれぞれが最高の状態で育っていけるような環境を整えていくことが必要であろう。つまり、強化全体で計画を立てるというよりは個別の対応が望ましい。

 ベテラン、若手、減量があるもの、怪我の多いもの・・・それぞれの選手に最適の強化の方法や大会派遣の仕方があるはずである。世界選手権で日本勢が活躍したのは素晴らしかったが、ロンドン五輪終了後、あのときがピークだったということのないように万全の体制を考えてもらいたい。