坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

リア充

2011年02月23日 | 坊主の家計簿
 なんか、熱っぽいなぁ。。。

 NHKでやってた『「ネットが革命を起こした~アラブ・若者たちの攻防~」』(http://www.nhk.or.jp/special/onair/110220.html)を見る。録画してたので。
 
 見て、初めて知ったのだが、フェイスブックって、情報を暗号で送れるのね。メールなんぞで「ムバラク、テメーの首は太いんだよ」なんぞと書くと「これはダメ」となっていたのが暗号化されてフェイスブックまで送られるのでムバラクの首が太いとか「草野仁みたいな体格しやがって」とかいうのでもなんでもフェイスブックになら書き込めるらしい。
 って、ようするに『民主化兵器』やんけ。これに対抗するには、ムバラクはファイスブックの株を大量に買い占めれば良かったのではないかと思ったりする。むっちゃ、お金持ちやったみたいやし。買い占めて大株主になって、大株主の意向として「俺の悪口は全部消せ」なんぞと。まあ、株式会社になっているのかどうかは知らんが。。。

 ファイスブックには入っていない。まあ、そのうちに入るのかも知れないが。っちゅうか、まあ、入るのだろうが。

 ホームページ→ブログ→ミクシィ→ツイッター。どれもこれも騒がれて「ビジネスチャンスだ!」とか、「ツイッターで世界は変わる」なんぞと。iPhoneもそうか。iPadなんぞも。その度に、ホームページで成功した話、まあ、生野のキムチ作るのが上手なオバはんが金持ちになったとか、ツイッターで情報発信する事によって店が流行ったとか、まあ。基本は情報発信の道具。非常に便利な道具。
 iPhoneでは『食べログ』をよく見てる。旅行計画にも便利。で、食べログを上手に使っている、というか、明らかに関係者がポイントを上げる為に投稿している店なんぞもあったりする。口コミを金にする商売もあったし、ネットでの口コミも大きな影響を持っていたりする。

 最近『リア従』という言葉を知った。っちゅうか、以前から見かけていた言葉なんだが、特に関心もなく読み流していた。え~。。。『リア従』という言葉を使う文章やし(笑)ツイッターだろうが、んなもん、一々丁寧に読まん。

 『リア充』とは

【「リアル(現実の生活)が充実している」の略 
 ブログやSNSなどを通した関係ではなく、実社会における人間関係や趣味活動を楽しんでいること。または、そのような人。インターネットなどで使われる俗語。】(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/230343/m0u/り/

 らしい。
 ネットも現実生活の一部だと思ったりするのだが。。。
 
 インターネットが流行り出した頃に、ネットに対する規制の話が出てた。ネットを使った犯罪。まあ、その犯罪の中に、エジプトやチュニジアなんぞの中東諸国の革命も入っていたりするのだろうが。

 でも、まあ、『リア充』らしい。

 最近、CDはレコードに戻すべきなのでは?なんぞと考えたりする。CDはデーターで、データーならばネット上に落ちている。最近、音楽自体、飲みに行って聞くとか、後は娘と一緒に見る子ども番組での音楽ぐらいだから余り関係がないのだが、それこそ、金が無かった学生時代(今も無いが。。。にレンタルレコード屋に通ってレコードからカセットテープにダビングしてた時代にネットがあれば落とし放題だっただろうし。
 「CD?あんなもんは単なるデーターでしょ。やっぱりホンマもんの音はレコードで聴いて下さいよ」なんぞと。

 『リア充』。まあ、「どれだけネットで遊んどるねん!」なんだが、ネットだけでは満足出来ない何かがあるのだろう。その『何か』って、結構大切なものだと思ったりする。
 のだが、当然、それぞれの人次第。ネットだけが掛け替えのない人と通じる機会である場合もあるし、その『温かさ』も知っている。
 でも、その温かさは『人間』の温かさ。言葉を発する人の温かさ。人の温かさを感じれる適度な距離感は人それぞれ。直接会っての対人関係が苦手な方はネットでの距離感が一番だったりもするのだろうし。それを否定する権利は誰にもない。
 でも『リア充』という言葉を使う方も居られる。多分、その距離感では満足出来ないのだろう。飲み屋のネエちゃんを口説くみたいなものなのかも知れない。
 「なあ、なあ、そろそろオッチャンと深い関係になろうや」
 なんぞと。で、深い関係になったら、さっさと離れたりする場合もあるのだろうし(笑)

 このブログの新しい機能で、『打ち込んだ文字数が表示される』というのがある。まあ、改行とかで厳密ではないのだろうが。

 今現在は2094文字らしい。『2094』を打ち込む前までで。400字の原稿用紙で約5枚。え~。。。坊さん道場時代の朝の感話の量でんな。5枚ぐらいが平均やったかな?もっと多い時もあったけど。前の日に当時はシラフだったり飲んだりだったりと、今みたいに「飲んでない時はブログを書きません」という状況ではないし。まあ、なんじゃかんじゃで原稿用紙に書き込んで、朝の感話で喋って、提出。

 今日はとある所でプチ法話。まあ、法話に『プチ』もクソもないのだが。
 法話は出来るだけ、その場の空気で喋りたい。まあ、短い時間だから出来る事なんだろうけど。
 今日は基本、頭が「ボー」っとしてたので、「何を喋ろうか?」と、「ひょっとするとこのままノーゲストだったりすると法話せずに勤行だけでもエエかも知れん」なんぞと。でも、人が来られていたので何か喋る。10分ぐらい前に着替えながらネタ、というか、話の導入を探す。丁度『宗派』についての話を聴いたので、それを導入口にして話す。

 人に話す時には相手の反応がある。その場で直接顔を見れる。
 私にとっての『リア充』って、まあ、ブログに書き込んでいるのと、直接会って話すのとの違いはその辺だったりする。

 なんか『リア充』という言葉が指し示す意志は「もっと解り合いたい」という孤独感だと思ったりする。