坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ

2011年02月07日 | 坊主の家計簿
 御仕事バタバタと。

 昼間に録画してたバラエティー番組をさっきまで見てた。ボケ~、と見てたら『かりゆし58』っちゅうバンドの兄ちゃんが出てた。「どっかで聞いた名前やな~」って思ってたら、本山の法要(っちゅうか、イベント)に出る人うやった。

 http://higashihonganji.or.jp/goenki/gyoji/kyobutai/

 ライヴよりもシンポジウムと郷土料理の振舞いに関心があって、「絶対に行きたい!」なんだが、御仕事入ったのでとっとと諦める。御仕事、御仕事、でっせ。

 非常な贅沢発言。録画出来るブルーレイが欲しい。
 え~。。。ヤマダ電機で東芝レグザ(うちのテレビと同じ)の1テラのハードディスクが付いて、ブルーレイが焼けて、で、ポイントを引いたら5万円台。他のメーカーに比べて圧倒的に安い。

 娘が最近、ぬいぐるみを持つようになった。厳密には『ぬいぐるみ』というよりも、ほれ、え~。。。名前が出てこん。指人形でなく、手袋みたいに手を突っ込む人形。あれの、トラッキーのパッチモン、ママ曰くなにやら『しまじろう君』というらしいが、私的にはトラッキーのパッチモンがお気に入りらしく、よく抱っこしたり、叩き付けたりして遊んでいる。
 で、その『しまじろう』とかいうトラッキーのパッチモンのDVDもあるらしい。で、うちにはDVDが見れるパソコンが3台もあるのだが、リビングに置いてあるテレビでは見れない。パソコンから繋いで見れん事もないらしいのだが、やはり画面が。眼、悪なったらいややし。なので、「働け、パパ!」という事で。
 っちゅうか、まあ、資料的な番組をブルーレイに焼いて保存しておきたいし。ハードディスクが壊れたら泣かんとアカンし。

 あ、話が。。。

 で、その『かりゆし58』っちゅうバンドの歌が少し流れてた。


 ♪アンマーよ 
  アナタは私のすべてを許し すべてを信じ すべてを包み込んで
  惜しみもせずに何もかも 私の上に注ぎ続けてきたのに
  アンマーよ 
  私はそれでも気付かずに思いのままに過ごしてきたのでした
  (中略)
  アンマーよ 
  私はアナタに言ってはいけない 決して口にしてはいけない言葉を
  加減もせずに投げつけては アナタの心を踏みにじったのに
  アンマーよ 
  アナタはそれでも変わることなく 私を愛してくれました
  (かりゆり58『アンマー』より)

 
 「法事で使えるかも知れん。。。と、商売っけ丸出し意識なんだが、こういう私を包み込んで下さる阿弥陀さま。」なんぞと思ってしまうくらいであったりする。


 先日、法友のブログを読んでいると、中嶋ユキノという方の『アイシテルの言葉』

 http://blog.nakajima-yukino.com/article/41099041.html

 という曲を紹介してはった。スンバらしい!あ、素晴らしい!

 で、愛である。え~。。。仏教用語としての『愛』でなく、慈悲、って言った方がエエのかな?

 ちなみに私の法話は、ほぼ、この路線である。なんせ、今日も曽我先生の

【仏から信ぜられている『絶対に』何もかも承知の上で信ぜられている。】(曽我量深)

 という言葉を紹介して来たぐらいである。

 で、今日、『かりゆし58』の『アンマー』っていう曲を少しだけなんだが、聞いて思ったんだが、「疲れとるのぉ~」と。

 ラブソングは大昔からあるんだろう。また、私がそういう歌に興味がなかっただけなのかも知らないが、いわゆる『癒し』の曲って多くない?

 母親に対する曲も以前だったら


 ♪おかあさん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました
  膀胱炎にかかった時から あそこを氷で冷やす快感を覚えてしまった
  ぼくはお風呂が大嫌いになり 何枚も何枚もボロボロに皮がはげ落ちて
  むき出しになった皮下脂肪のしつこさが耐え切れず
  赤紫の玄関口で一人で泣いていたんです
  おかあさん、もう一度アンパンが食いたい
  正月に作ってくれた栗キントンが食いたい
  ブタ肉だらけの砂糖のたっぷり入ったスキヤキが食いたい
  好き嫌いは庶民の恥です
  おかあさん、今朝から下痢が止まらないのです
  おかあさん、血管もちぎれてしまったみたいです
  おかあさん、血が止まらないのです 血が止まらないのです
  おかあさん、おかあさん 赤い色は大嫌いです!
 (遠藤ミチロウ『お母さん、いい加減あなたの顔は 忘れてしまいました』より)

 
 みたいな感じやったやん。
 って、引用してみたら、これも強烈な救いを求める歌詞やってんな。
 そういえば、シドのマイウェイも強烈な救いを求める歌やったもんや。
 変わったのは、言葉がより直接かどうかなんだろう。

 っちゅうか、パンクと他のジャンルとの違いだけの気もするのだが。。。


 ツイッター。え~。。。実は、あまり見てなかったりもするのだが、ツイッターを始めて一番良かった事は、『衲僧』というハンドルネームの人のつぶやき&ブログを見る事が出来た事。え~。。。無茶苦茶面白い。文才があるとはこういう人の事を言ったりするのではないか?と思ったりする。
 あ、ブログのアドレス。

 http://blog.livedoor.jp/busterbonze/

 その衲僧さんのブログで面白可笑しく釈尊の伝記を書いてある。その中で釈尊がお父さんに対して

【『阿弥陀』の三文字は私の教えの中でも第一の要諦なのです。だから、この『阿弥陀』を唱えさえすれば、必ず天国に行けるのですよ!」】(http://blog.livedoor.jp/busterbonze/archives/1261446.htmlより)

 と、とある伝記の意訳で書いてある部分がある。

 念仏者も当然、仏教の歴史に生きている空の行者である。

【阿頼耶識が無記だということは、悪業を積み重ねてきた人間も、現在は悪ではないといわれていることである。言葉を換えれば今日までの悪が許されているということであろう。(酔っぱらっているので中略)
 ある所でその話をした時、長く仏教の勉強をしてこられた一人の男性が「私も無記ですか!」と急に声をあげて嗚咽されたことがあった。許されていることへの感動がこみあげてきたのであろう。凡夫が凡夫のままで、そのまま許されている───阿頼耶識が無覆無記だというのは、それを私たちに語りかけているのである。】(太田久紀『『唯識の読み方』86~87頁より)


 ♪「アイシテル」
  その言葉を 君に言える ただそれだけで
  この不確かな 街の真ん中に 帰る場所ができたよ
  (中嶋ユキノ『アイシテルの言葉』より)


【日本の語で云ふて見るなら阿弥陀仏と云ふ過境の普善者が救ふから安心せよ護るから心配するなと呼んで呉れたる呼び聲である。鳴呼我等にカと命とを与へたるは南無阿弥陀仏である。
 実に絶対過境の慈悲である。御彿の博愛である。此を人殺のかけ聲にしたと聞て喜んで居る人々は碓だあきれるより外ハない。】(高木顕明『余が社会主義』より)