坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

生きてたりする

2011年02月21日 | 坊主の家計簿
 ママ→娘ラインの家族で流行ってた風邪にあえなくかかる。ただ、まあ、みんな症状か軽く、インフルエンザなのか、それとも同じもんを食べて、同じ所に住んでいたから同時に風邪になったのかは解らん。まあ、風邪かなんか知らんが、胃にも咳にも来ずに熱だけ少しでる。

 パソコンを立ち上げるのは酒を飲んでから、というルールが別にあるわけでもないのだが、なんとなくシラフの時には滅多に立ち上げず、また、立ち上げてメールチェックする事はあっても、そのままこのブログを書く事は尚更なく、よってご無沙汰。

 熱がなんとかなりそうになった日は外出予定の日。っちゅうか、まあ、仕事で毎日外出だし、その他の用事で外出はしてたんだが、坊さん会合で、飲み会込みの外出予定。さっさと帰ろうと思ったのだが、病み上がり(?)のビール、コップ2杯で酔う。酔うと酒にだらしないので、そのまま飲み続け、他の人達と別れてとっとと帰ろうと思いつつ、足はよく行くバーに向かってたりする。
 入店したのが21時30分ぐらい。「アカン、今日は酔っぱらってる。もうもう飲まれへん」と6時間半。店を出たのが朝の4時。
 ラーメン食べて4時30分。少し待ったら電車が走る、っちゅうか、タクシー代も勿体なかったので電車待ち。
 寒かった。。。で、またまた。熱はないのだが、頭が痛い。

 今日は友人の法事(?)。
 (?)なのは、別に読経するわけでもなく、友人の息子の成人式祝いも兼ねてやし。
 
 自分の子どもなんて全く想像も出来なかった時代に、友人の子どもは出来て、当時の彼女と出産祝いを兼ねて遊びに行った時に、「ほら、お前も抱っこしてやってえや」と言われた時に、「落としたら死ぬようなもんを抱っこ出来ひん」と、まあ、単純に赤ちゃんが怖くて抱っこ出来なかったのが、最早二十歳。彼女が出来たらしく、彼女との写真なんぞも見せて貰う。彼女は若い頃の友人に少し似てて、友人と誕生日も同じらしい。

 死んで2年か。俺が結婚直前やったし。3回忌ぐらいなもんでんな。

 友人の息子は、彼のパパに似ている。顔も性格も。「気の弱そう」な所がそっくり。でも、まあ、実際は解らん。んなもん、人間は関係存在だし、『内弁慶』という言葉もある。
 彼は自分の親父の顔を憶えているのかな?彼がかなり小さかった時に離婚したはずだし。その後、彼と親父が会っているのかどうかは知らない。

 集まったメンバー、私が18才ぐらいの時から知り合った人を中心とする、っちゅうか、一人だけは二度目の人も居てたけど、でも、その人も「会った事はないけど、共通の仲間」みたいな人。
 なので、昔話もする。

 話を聞いてて思い出したのだが、友人は藤井誠二の『先生、もう生きていけない! 少女たちは、なぜ死を思いとどまったか?』(三一書房 1988年)に載ってた。当然、仮名。
 あの本の中の写真は、今となっては『少女たちは、なぜ死を思いとどまったか?』という本のタイトルに関して、「その時だけやったやないかい!」なんぞとツッコミを入れたくなるのだが、実家で首吊って死んだ旧友がモデル。写真の彼女の事を、写真が撮影された当時好きだったので、私が贈った傘なんぞも映っている。で、本が出た当時に友人と飲みつつ、「ほら、お前、○○の写真も載ってるねんから買って読め」と2人で飲んでる時に言われた事を思い出す。
 結局、買ったのか、貰ったのか憶えていないのだが、読んだ記憶はある。本棚には無い、のかな?引っ越しが多いので捨てたのかどこかに紛れ込んでいるのか、実家に置いてあるのか、解らん。
 
 旧友たちと会って、息子の前では喋り難い事もある。まあ、『男関係』(友人は女)でんな。そんな事もあの本の中には書いてあったはず。

 最年長の私が18ぐらいの時に「無茶苦茶カッチョエエやんけ!」とファンだった『お姉さん』は、今や『お婆ちゃん』。外見も少しは老けたのだが、見事なまでのガキだった娘に赤ちゃんが出来たらしい。うちの娘よりも少し上の。家で作ったお茶を持って来て貰ったのだが、その中の容器の1つが『赤ちゃん麦茶』(笑)「おお、見慣れたペットボトルやんけ」である。

 友人の息子は『いじられキャラ』らしい。
 大学2年生の彼は就職について諸々考えているらしく、そんな話も出る。
 『いじられキャラ』は、学生時代には金にならんし、多分、イヤな事でもあるのだろうが、社会に出たらこれが金になる。
 「金になりまっせ!」と言ってたら、旧友が「確かにそうやけど、坊主が言う事ではないな(笑)」と。
 でも、金になる。

 人間は関係存在なので、私も『いじられキャラ』の部分もある。キャラなんぞ自由自在、人格なんぞ固定されていないわけなんだし。
 で、何だって金にすりゃ、エエのだ。社会人なんだし。ん?『社会人』という言葉は変やな。なんだって金にせんと生きて行けん。
 『いじられキャラ』は好かれている証拠。かわいらしく思われている証拠。しっかりしているキャラは放っとかれる事が多いけど、『いじられキャラ』は放っとかれへん。「この人は私がついていなきゃ」等と思わせたら勝ち。

 死んだ友人は、死ぬ前に、「ああ、こいつはもう、長くないな」と感じた電話があった。演じていたのか、ホンマに解らなかったのか今となっては解らないが、携帯に電話があって着信履歴が残ってたので電話をしたら「誰ですか?」みたいな感じで。しばらくすると「ゴメン、ゴメン、私、最近、アカンねん」等と。それは寂しくて気を引こうとしていたのか、それともホンマに脳味噌がアカンかったのかは不明なんだが、まあ、両方ともの症状としてはアカン。実際にそのすぐ後に死んだし。私は忙しかった事、まあ、典型的なイイワケなんだが、「ああ、アカンな」と思った。「もう、長くないな」と。でも、じゃ、何か出来るか?と言えば、当時の私には何も出来なかった。

 明日は、一応の予定では休みである。
 基本、頭が痛い中出かけて、頭が痛いし、ママに「友達の法事に行くけど、晩御飯までには帰る」と言って来たので、先に帰る。帰りの車中で瞬間居眠り運転。危なかった。。。
 帰宅しても頭が痛い。とっとと寝ればエエのだが、なんか寝れずに、かと言ってパソコンを立ち上げる気力もなく、ダラダラと深夜テレビなんぞを見る。
 ようやく何時もなら寝る時間からパソコンを立ち上げて、飲み始める。ペース、早いぞ。

 友人の息子。赤ちゃん時代に一度だけ会って、次に会った時は友人が死んだ時。で、今日合わせて3回目。生まれる前から知っている彼に対して何かが出来る等とは全く思えないし、出来る余裕もない。冷たいのだが。今日会ったメンバーから何か連絡があれば自分が出来る範囲で何かするかも知れないが。
 
 「でも、俺には娘が居てて」なんだが、でも、パパである私は今日は外出。先日もだらしなく朝まで飲んでしまう。
 娘が泣いてて寂しそうにしてても、「ゴメン、パパは出かけんとアカンねん」とか。それ以外の日常でも、パパの機嫌次第。娘が起きて泣いてて、ママは朝早くの家事。私は眠い。「もうちょっと寝かしてえや。。。」の時など、娘をすぐに抱っこ出来ない。娘でもそうである。

 無縁の慈悲(対象のない慈悲)。
 って、あーた。
 そこまで徹底されるのなら、『出来ない』しかない。娘であっても、自分の都合次第が私である。対象のない慈悲など、全く不可能としか言えない。
 『慈悲』という言葉は結構うっとうしい言葉でもあるので、ひらたく『一緒に生きる』なんぞと変換してみるが、なら、尚更。
 「誰々とは一緒に生きるけど、あんたはアカン」ですらない。
 「誰々とは一緒に生きる」という人でさえ、自分の都合次第、気分次第。

 さっきまでテレビで見てた深夜にやってた映画。なんか、ユースケサンタマリアが主演(?)の恋愛もん。何個かのストーリーがあって、途中別のドキュメントを見てたり、うじゃうじゃしてたので、全編、ちゃんと見てない。でも、その最後辺りにユースケ演じる主人公が、全くダメな自分を発見する。そのダメな自分と一緒に生きてくれている『つまらない女』を『掛け替えのない人』と見出す。