坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

世間に沈む

2009年03月21日 | 坊主の家計簿
 3月21日

 雑費  レモンティー      95円
 外食  カレーチャンポン   500円

 合計             595円
 3月累計         79978円
 
 彼岸法要最終日。
 終了後に打ち上げで門徒さん達と打ち上げで飲む。

 で、全然関係ないのだが、『空に沈む』っちゅう概念がある。まあ、仏教の概念でんな。
 最初に説明で聞いた時には先生からこんな喩えで教えて貰った。

 他人の足を踏んでいる人が、踏まれている人から「足を踏まないで下さい」と指摘された時に、「それはあなたの思いの中だけの話である」と云う。

 まあ、そういう事なんだろう。足を踏む、踏まれる、と云っても『思い』の中の話である。全ては幻想であり、実態はない。実態がないにも関わらず、実態が『ある』という事は『空』という概念からすると「そんな事はあり得ない」っちゅう話になるのだろう。
 だが、それは、足を踏んでいる人が云う言葉ではない。そんな事を『空に沈む』という言葉の最初の説明で聞いた。

 日本には朝鮮籍、韓国籍を持たれた方も居られる。いわゆる『在日コリアン』と呼ばれる人たちである。 
 もの凄く単純な話なんだが、この人たちが差別された時に、問題を起こしたのは誰なんだろうか?

 話を変える。
 とある温泉があって、その温泉にハンセン病の元患者さんが宿泊しようとした時に「他の宿泊者に迷惑がかかる」と断られた『事件』があった。あの『事件』を起したのは誰なんだろうか?

 また、とあるホテルが日教組の集会にホテルを貸すと「周囲に迷惑がかかる」と断った『事件』があった。あの『事件』を起したのは誰なんだろうか?

 話を元に戻す。
 在日コリアンに対しての差別事件があった時に、その『事件』を起したのは誰なのだ?
 『事実』を『事実』として引き受ける事が出来なかったのは一体誰なのだ?

【魔、鬼神、妖怪などと聞くと、いかにもおそろしげな感じがしますが、そんな単純ではありません。「悪気はない、あなたのためを思って言っているのだから止めなさい。」とか「私の言うことを聞かなければ、どうなっても知らないぞ」となだめたり脅したりする存在が魔や鬼神なのです。】(藤場俊基『親鸞の教行信証を読み解く』第五巻P165より)