「サーキット・ブレーカー」という言葉を生まれて初めて知る。
基本的に私は「世間の事なんか知らねえよ」で生きて来た。故に、銭勘定は得意でも経済が苦手というか株をやり始めるまで気にした事が無かった。
ブラックマンデーが起こった時のニュースは何故か良く覚えている。京都・西陣の反物工場でクソ重いトロッコを押すバイトを時給500円でしていて、昼食時に工場のテレビで流れていたが、時給500円で「NY証券取引所では大暴落」云々言われてもピンと来なかった。
いわゆるバブル期の最後辺りにミナミで保証金20万家賃3万のパンクBARをやっていた。20だか21才のガキで経済に興味無かったし、タクシーが止まらないのも当たり前だと思っていた。店は色々と書けない理由でヤバくなって辞めた。
バブル崩壊後に人材派遣という以前は使った事が無かった制度で大幅に上がった時給で京都山科に住み、大津市、草津市辺りで工場バイトしていた。バブル崩壊したのか何なのか個人的には分からず気にせずに高くなった時給に大喜びしていた。
リーマンショック時は大阪のお寺で働いていた。門徒さんとそんな会話もしたかも知れないが記憶に一切ない。お寺の待遇も良かったし、リーマンショックだからと言って給与が下がるわけもなく、理解ある優しい兄貴みたいな住職の元で様々な学習会や会議などにも参加させて貰っていた。
その後すぐに最初の結婚をし、住職になった。物凄い不景気で派遣村などがテレビで話題になり、釜ヶ崎辺りだけではなく心斎橋筋商店街にもホームレスが多くいたりした。でも、個人的には葬儀社から便利な存在として認識されたのか、京都で最初に働いた寺で叩き込まれた葬儀社との付き合い方が役に立ったのか不明だが、3流(3軍)の葬儀坊主にはなる事が出来たので「不景気」と言われてもピンと来なかった。当たり前ながら布施に不満を言った事もないし「部屋でゴロゴロしても1円にもならん」というポリシーで価格破壊上等のクソ安い葬儀や法事などもバンバン受けた。今から考えると不景気で今まで付き合いがある寺に頼めなかったから私に依頼があったのかも知れない。
株を始めたのは、東北時代の相方から「ポイント」という概念を教えて貰ったから。クレジットカードは持っていたけど面倒なので殆ど使っていなかった。でも、1%のポイントでも積もれば大きくなる。東北は当然大阪よりも給与は安いし、また、車が生活必需品である。故に同じ仕事をしていても収入は少ないが毎月出て行く金は大きい。自分で商売やったり住職やったりしていたから小銭にも煩いが「毎月こんなに損をしていたとは!」と、ポイントについて学び、知的障がい者施設を辞めて数ヶ月後に株を始めた。
そして、経済についても必然的に学び出した。ドル円や日経平均など、今まで気にした事がないものに注目して、小銭を稼いでは主に息子の服を買っていた。
今回の金融危機は「コロナショック」とでも名付けられるのだろうか?ちなみに最初に書いた「サーキット・ブレーカー」が発動されたのは2013年に今の制度が出来てから初らしい。
不安を煽るのは好きではない。株で空売りしてたら「ゼニの為に不安を煽るで」になっていたのかも知れないけど、空売り出来る程の博徒ではない。また、今日もテレ朝・モーニングショーで「日本での新刊コロナでの死者数が少ないのは隠しているからだ」と福島第一原発事故での被曝と同じような陰謀論を立てて過去最高視聴率を稼ぐようなメリットもない。
でも、多分、ヤバい。
失業者率と自殺率の関係は密接らしい。
先に書いた通り、私は経済も気にした事がないような、ある意味恵まれた人だったのかも知れない。でも、これは当然人間関係だから私にも問題があるのだが、前の相方から私的には突然離婚を突きつけられて家族も住所も仕事も一気に失った時に真っ先に考えたのは当たり前ながら死ぬ事である。「ああ、もうエエわ。俺の人生終わった」という事である。生まれて初めて過呼吸になるし、手は意味なく震える。
それでも死ななかった最大の理由は、死ぬ気力すら無かったからだと思う。当時から通院してないだけの鬱病疑惑だったし。
でも、念佛もあったと思う。若かりし日、大谷専修学院本科時代に書道の課題に書いた言葉
一切皆苦だから
不安に立つだから
逃げるな
誰から
何から
逃げるな
だったっけな?そんな若かりし日に学んだ念佛があったから。「どんな私でも私は私である」という当たり前の事。思い通りに生きれなくて世間や自分に唾を吐いて「け!」っと。そんな自分や他人に唾を吐く生活に「悲しいねって言えるかどうか。南無阿弥陀佛って言えるかどうか」(by鍵主先生)だったりした。私には。他人には当然知らないし、勝手に決めれば良い。
決める自由は誰にでもある。「個」なんだ。思い通りに生きれなかった事は物凄くショックである。だから、「個」なんだ。思い通りに行きたくて転がり続けているが故に、悩み、あげき、死ぬ事を考えてしまうような「個」なんだ。誰にも否定される必要なんて全くなく、存在自体が関係存在として意味ある、社会的にも意味ある、貴重な、掛け替えのない「個」なんだ。
だから、確か51才無職で鬱疑惑の引き篭もりの私でも、理想とは全く違い「なんやねん、こら、アホ、ボケ、しばくぞ」という私でも何とか生きてられる。今後は知らん。明日死んだら笑えば良い。「こいつ、よう51才まで生きよったなぁ」と笑えば良い。つか、笑ってくれ。それが、私の「個」である。
基本的に私は「世間の事なんか知らねえよ」で生きて来た。故に、銭勘定は得意でも経済が苦手というか株をやり始めるまで気にした事が無かった。
ブラックマンデーが起こった時のニュースは何故か良く覚えている。京都・西陣の反物工場でクソ重いトロッコを押すバイトを時給500円でしていて、昼食時に工場のテレビで流れていたが、時給500円で「NY証券取引所では大暴落」云々言われてもピンと来なかった。
いわゆるバブル期の最後辺りにミナミで保証金20万家賃3万のパンクBARをやっていた。20だか21才のガキで経済に興味無かったし、タクシーが止まらないのも当たり前だと思っていた。店は色々と書けない理由でヤバくなって辞めた。
バブル崩壊後に人材派遣という以前は使った事が無かった制度で大幅に上がった時給で京都山科に住み、大津市、草津市辺りで工場バイトしていた。バブル崩壊したのか何なのか個人的には分からず気にせずに高くなった時給に大喜びしていた。
リーマンショック時は大阪のお寺で働いていた。門徒さんとそんな会話もしたかも知れないが記憶に一切ない。お寺の待遇も良かったし、リーマンショックだからと言って給与が下がるわけもなく、理解ある優しい兄貴みたいな住職の元で様々な学習会や会議などにも参加させて貰っていた。
その後すぐに最初の結婚をし、住職になった。物凄い不景気で派遣村などがテレビで話題になり、釜ヶ崎辺りだけではなく心斎橋筋商店街にもホームレスが多くいたりした。でも、個人的には葬儀社から便利な存在として認識されたのか、京都で最初に働いた寺で叩き込まれた葬儀社との付き合い方が役に立ったのか不明だが、3流(3軍)の葬儀坊主にはなる事が出来たので「不景気」と言われてもピンと来なかった。当たり前ながら布施に不満を言った事もないし「部屋でゴロゴロしても1円にもならん」というポリシーで価格破壊上等のクソ安い葬儀や法事などもバンバン受けた。今から考えると不景気で今まで付き合いがある寺に頼めなかったから私に依頼があったのかも知れない。
株を始めたのは、東北時代の相方から「ポイント」という概念を教えて貰ったから。クレジットカードは持っていたけど面倒なので殆ど使っていなかった。でも、1%のポイントでも積もれば大きくなる。東北は当然大阪よりも給与は安いし、また、車が生活必需品である。故に同じ仕事をしていても収入は少ないが毎月出て行く金は大きい。自分で商売やったり住職やったりしていたから小銭にも煩いが「毎月こんなに損をしていたとは!」と、ポイントについて学び、知的障がい者施設を辞めて数ヶ月後に株を始めた。
そして、経済についても必然的に学び出した。ドル円や日経平均など、今まで気にした事がないものに注目して、小銭を稼いでは主に息子の服を買っていた。
今回の金融危機は「コロナショック」とでも名付けられるのだろうか?ちなみに最初に書いた「サーキット・ブレーカー」が発動されたのは2013年に今の制度が出来てから初らしい。
不安を煽るのは好きではない。株で空売りしてたら「ゼニの為に不安を煽るで」になっていたのかも知れないけど、空売り出来る程の博徒ではない。また、今日もテレ朝・モーニングショーで「日本での新刊コロナでの死者数が少ないのは隠しているからだ」と福島第一原発事故での被曝と同じような陰謀論を立てて過去最高視聴率を稼ぐようなメリットもない。
でも、多分、ヤバい。
失業者率と自殺率の関係は密接らしい。
先に書いた通り、私は経済も気にした事がないような、ある意味恵まれた人だったのかも知れない。でも、これは当然人間関係だから私にも問題があるのだが、前の相方から私的には突然離婚を突きつけられて家族も住所も仕事も一気に失った時に真っ先に考えたのは当たり前ながら死ぬ事である。「ああ、もうエエわ。俺の人生終わった」という事である。生まれて初めて過呼吸になるし、手は意味なく震える。
それでも死ななかった最大の理由は、死ぬ気力すら無かったからだと思う。当時から通院してないだけの鬱病疑惑だったし。
でも、念佛もあったと思う。若かりし日、大谷専修学院本科時代に書道の課題に書いた言葉
一切皆苦だから
不安に立つだから
逃げるな
誰から
何から
逃げるな
だったっけな?そんな若かりし日に学んだ念佛があったから。「どんな私でも私は私である」という当たり前の事。思い通りに生きれなくて世間や自分に唾を吐いて「け!」っと。そんな自分や他人に唾を吐く生活に「悲しいねって言えるかどうか。南無阿弥陀佛って言えるかどうか」(by鍵主先生)だったりした。私には。他人には当然知らないし、勝手に決めれば良い。
決める自由は誰にでもある。「個」なんだ。思い通りに生きれなかった事は物凄くショックである。だから、「個」なんだ。思い通りに行きたくて転がり続けているが故に、悩み、あげき、死ぬ事を考えてしまうような「個」なんだ。誰にも否定される必要なんて全くなく、存在自体が関係存在として意味ある、社会的にも意味ある、貴重な、掛け替えのない「個」なんだ。
だから、確か51才無職で鬱疑惑の引き篭もりの私でも、理想とは全く違い「なんやねん、こら、アホ、ボケ、しばくぞ」という私でも何とか生きてられる。今後は知らん。明日死んだら笑えば良い。「こいつ、よう51才まで生きよったなぁ」と笑えば良い。つか、笑ってくれ。それが、私の「個」である。