エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

石の仏

2014年01月30日 | ポエム
石の仏と言えば、地蔵を想起するものである。
地蔵の存在感は、例えば道祖神であったり賽の河原の守護神であったり多様である。

また、巣鴨のとげ抜き地蔵は怪我や病を治してくれるとして夙に有名である。
そうした地蔵は全国津々浦々に存在する。
また、僧・行基が巨大なお姿で寺社仏閣を守護する役目を負っていたりする。

石仏と言えば、臼杵の石仏が素晴らしい。
磨崖仏もそうだけれど、道の端にそっと置かれた石仏は清楚に眺められる。

道行きを見守っておられる。
それを祈願して寄進された石の仏は、日本中に数が多い。

街中の六地蔵は、道標となったりしているのである。



今日の石仏は、板橋の寺院にある。
東京大仏の境内にあるのだ。

石の仏は例外なく風雨に晒されている。
従って、その風化が味わいを添えるのである。



大黒天である。
穏やかに槌を振っておられる。







「石仏の小さき影から霜柱」







頭上に、多面の観音を戴いている。
十一面観音である。
どこか、あなたのお母さんに似ていませんか?

魅力的な、優しいお顔である。
包容力に満ちみちている。

藤堂家の所有であったとある。



我慢の鬼とある。
例え、いかに重いものを押し当てられようと、じっと我慢する。

耐えるのである。



三途の川の奪衣婆である。
婆が髭を生やしている。

これらの地蔵は、すべて野晒しである。
野晒しでなければならない・・・そんな風である。



        荒 野人