エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

化野念仏寺を行く~デジブックで体感する

2009年09月29日 | 旅行
念仏寺・・・実に素直なネーミングである。
寺全体の雰囲気から言っても、ぴったりだ。



ここには水子地蔵が鎮座している。
信仰の原点であろうか。



右側の石像は、木魚に寄りかかる無邪気な赤ちゃんである。



この像に親は涙するのかもしれない。

この念仏寺を去る時の坂道である。



雰囲気のある道である。
この寺の裏手には、よく手入れされた竹林がある。



気持ちの良い小道だ。
ここをゆっくりゆっくり歩けば、気持が平らかになっていくのである。
上を見上げれば、竹林の隙間から木漏れ日のような小さな空が見えるのである。





デジブック 『化野念仏寺を行く』



短めのブックとなっている。
念仏寺を散策されますように!

そして、往古の時代に思いを馳せ、亡くなったあなたの家族に合掌を。




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              荒野人

祇王寺~平清盛の愛した白拍子

2009年09月29日 | 旅行
祇王寺は、奥嵯峨の小倉山麓の竹と楓(かえで)に囲まれた小さな草庵である。
祇王寺のギの字は、本当は示す扁に氏と書くのだけれど、残念ながらその書体が見つからないのだ。
従って、この祇王寺で勘弁されたいのである。



これは祇王寺の手前にある観林寺の苔むした石積である。
これを右手に見て、坂道を上りつめた場所に祇王寺が佇んでいる。

観林寺の山門を過ぎた時点で俄(にわ)かに風が冷たくなる。
霊域に入ったことを知らされるのである。

現世のぼくたちは妄(みだ)りに結界(けっかい)を犯してはならないのだと知らされる。



ここを左に登っていくと山門に至る。瀟洒な作りで好感が持てるのである。



萱の塀が心地よいリズムを刻んでくる。
心が鄙(ひな)びてくるのである。

草庵・・・まさに庵と言うに値する萱葺き屋根の一棟のみの尼寺である。



草庵の玄関を入ると、吉野窓が目に入る。
美しい窓である。



平清盛の愛した白拍子、祇王と祇女の悲しい物語をこの草庵は語っているのである。


仏壇には本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、その母刀自、仏御前が安置されている。
祇王、祇女の像は鎌倉末期の作である。
作者不詳だ。

この庵の庭は、苔が一面に敷き詰められている。
この緑の絨毯に紅葉した紅葉が舞い落ちる様は妙である。



初秋がこんなに情緒豊かなのだから、季節を鮮明に変えるに違いないのである。



紅葉の時期に再訪したいものである。






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