エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

嵯峨野旅情~竹林の佇まい

2009年09月15日 | 旅行
嵯峨野は竹林の美しさで日本有数である。
山の裾には大きな竹林が点在する。

竹林は手入れをキチンとしないと山が壊されてしまう。
植物や木々が死滅してしまうのである。

竹の生命力の証左である。



笹垣が巡らされ、しかも竹林はよく手入れされているのである。
だから、竹が変に交差していないから見上げた竹林の空が綺麗なのだ。



竹林を歩くと、葉擦れの音が耳に心地よいのである。
また、風が吹き渡る瞬間竹同士が触れ合って乾燥した音を立てるのだ。

乾燥した天国の音が竹林に響くとき、ぼくは陶然となってしまう。



竹の匂いが充満している。
そこに苔むした香りが混じって、精神を優しく愛撫してくれるのである。

ぼくが投宿した宿は、嵯峨野の里山だ。
風致地区で、古い農家や民家が保存されている。

たまたま中国の温家宝総理が泊まった農家の隣の民宿だった。
民宿に始めて泊まってみたけれど、観光地の中心部では味わえない空気が充満していた。
いいものである。

民宿の裏手に広大な竹林があり、そこはサスペンスなどのドラマのロケ現場となっている。



この先がロケ現場である。
ぼくが朝散歩していると、しきりに撮影機器を運んでいる。

船越栄一郎さんが撮影するのだと言う。
待っていれば会えたのだろうが、そうした執念はないので、スタッフの苦労だけ見学してその場を離れた。



この日、ぼくは化野念仏寺の無縁となった石塔や石仏の群れに会いに行ったのである。






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                     荒野人


嵯峨野旅情~1

2009年09月15日 | 旅行
嵯峨野は収穫の秋である。



里山に秋が訪れている。
彼岸花が畦道に咲き初めているのである。



朝、散歩すると山に雲がたなびき、鳥たちが群れをなして飛び交う。



シラサギが舞う。



紅葉が始まった山々を背景に悠々と舞うのである。



実りの秋を迎えた田圃には、案山子が立っていた。





嵯峨野の旅情は初秋の佇(たたず)まいであって、里山には確実に秋が来ている。

今日は嵯峨野旅情の手始めである。
里山に降りてきた秋を感じていたいのである。


ここは広沢の池のほとりにある田園地帯だ。
まるで、ベートーベンの交響曲第6番「田園」を現実にしたかのような風景が広がっている。

この場合、指揮はフルトヴェングラーでなければならない。
フルチヴェングラーはベートーベンの偶数の交響曲は苦手だと言われているけれど、田園を振ると、ゆったりとした曲調でのどかな田園が目に浮かんでくるのである。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」と詠んだ松尾芭蕉。
大沢の池は隣りである。

秋・・・それは余韻である。







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