エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ぼくの実在を問う

2009年09月28日 | 日記
ぼくは、ぼくの実在を改めて問い直してみたい・・・。
と思っているのだ。





           実在を問う


      湧き上がる光線がときめき
      ぼくは光線の眩しさにおののいた

      ぼくはいまどこにいるのか
      それすら分からない

      存在と実在の狭間で
      ぼくはぼくの形を捉えきれないのだ
      テーゼは彼岸の彼方へと過ぎ去り
      アンチテーゼは四分五裂となって散華した

      止揚の手がかりは限りなく雲散無消した
      人はこれを絶望と呼んだ

      絶望は希望の未来永劫に渡る抹消である
      復活はあり得ないのであって
      そこには漆黒の闇が無辺に横たわっている

      絶望の川は彼岸がなければ存在しえない
      絶望とはあらゆる希望の纖滅であり
      あらゆる可能性の全否定である

      一個の無辺が誕生するまでは
      何億光年も飛び続け
      元素の誕生を希求するのだ
      ひとは太古
      元素であったのだから

      そうプラチナのような輝度と堅牢さが
      時空を越えて活き続けたのだ
      漆黒の闇から
      ぼくは生還する
      ぼくは新たな活きる術を体得しつつある
      ぼくはとうとうと流麗に生きる

      ぼくはやがてビッグバンによって
      実在の岸辺に立つのである







野ボタンである。
この紫色は高貴である。

袈裟の色で言えば、高僧の着衣に値するのである。




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蕎麦の花~八ヶ岳の麓から

2009年09月28日 | 旅行
八ヶ岳の麓、小海線の始発駅。
そこに茅屋はあるのである。



蕎麦の向こうの稲が黄金色にかがやくのは夕方である。



赤蕎麦の花と違って、清楚な面立ちである。
収穫はこの花がこぼれおちてからだ。

それももう間もなくである。



この蕎麦畑の道路向こうは中央高速道路である。
一面の白さと、葉の青さは見事である。

一枚のキャンバスに描いてみたい!という衝動に駆られるのはぼくだけだろうか。



日本の古くからの食文化は、この花を愛でる事から始まっている。
香り、喉越し、色、味、それらのハーモニーが古来日本人の心を鷲掴(わしづか)みにしたのである。



この蕎麦畑の向こうには、一面の稲の実りが広がっている。






早く新蕎麦を食べたい!とひたすら思うのである。







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季節を告げよ・・・2

2009年09月28日 | 日記
昨日に続いて季節を告げたいのである。



花茗荷の花が咲いていた。
この色も綺麗である。
匂いも周囲に漂っていたのである。

なんというオレンジ色であろうか。
周囲を圧倒する塩梅(あんばい)であった。

さてなんと言っても今がみごろの花はこれである。



白と赤のコントラストが見事である。

ところが、この場所で白と赤の混じった花が咲いているのである。
白と赤が近くにあると、赤が勝ってしまうのだろうか?
白が赤に染められつつあるのだ。



これもなかなか良いものである。
淡いピンクとなっている。
まるで貴婦人のようなたたずまいである。

白と赤。
これもそのものである。



白と赤の水引である。
鮮やかである。

公園の一画に小鳥たちの好きな実がたわわに実っていた。
セキレイなどが飛翔してくるのである。
この日は確認できなかったけれど、実を啄んでいる姿は可愛らしいものである。



「イイギリ」である。
まるでブドウのように実を着けている。
この実は、今の季節を告げているのである。





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