エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

彼岸花が咲くとき

2009年09月08日 | 日記
間もなく彼岸花が花開く季節である。
もっとも気の早い球根はもう花開かせてしまっている。



しかも、もう花が終わりになっている。
一人寂しく咲いていたんだな・・・そう思うと切なかった。

この花の周りに蕾が膨らんだ彼岸花が密集している。



主役の交代を告げているようでもある。
おしろい花が枯れている。

もう少ししたら、巾着田の彼岸花が咲きはじめる。
巾着田は見事である。

ぼくの家の周りではチラホラと咲くけれど、一輪一輪はとても愛おしいのである。



この蕾たちを見守っていくつもりである!
昨日お見せしたけれど、やはり水引が潜んでいた。



赤い花弁に白い蕊。
なんともめでたい花である。

総状花序に花が連なっている。
で・・・水引と命名されたのである。



季節が音を立てて進んでいく。







にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村
                         荒野人

水引に寄せて

2009年09月08日 | 日記
都会・・・とも言えないのだけれど、僕の家の周囲には「水引(みずひき)」が小粒の花を連ねている。

草むらを探せば、必ずと言っていいほど探し当てる事ができるのである。



水引は、たで科・多年草である。
ヒマラヤから中国の高山帯の草地に群生している。

祝儀の袋に巻かれているあの「水引」に似ているから命名されたのだ。



水引は和歌に詠まれている。

  あるかなきか茂みのなかにかくれつつ水引草は紅の花もつ

存在は「あるかなきか」なのだ。
しかし、その本質は「紅の花」であって「美しくもかそけき」確かな存在だ!と詠んでいる。

また立原道造も詩で讃えているのだ。

    夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
    水引草に風が立ち
    草ひばりのうたひやまない
    しずまりかへった午さがりの林道を

静謐な時間を過ごして立ちすくんでいる水引が目に浮かぶではないか。



この水引の近くの田圃に稲が実っていた。




稲刈りももう近い。




空が高いのである。
ぼくは空を見上げ、そして生きとし生ける者の記憶に思いを馳せる。

次元が弾ける。
ぼくの思いが天空を駆け巡って蘇生していくのである。







にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村
                         荒野人