平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「X-MEN」シリーズ~好きなミュータントと言えば、<サイクロプス>と<ストーム>です!

2016年08月21日 | 洋画
 X-MENの初期3部作で好きなミュータントと言えば、次のふたりだ。

★〝サイクロプス〟こと、スコット・サマーズ(ジェームズ・マースデン)。
 目から破壊光線を出す。
 これだけだとフツーで、人気キャラクターにはなれない。
 だから、こんなマイナス要素を付加した。
 子供の頃の事故で脳を損傷したため、自分で能力をコントロールできないのだ。
 目を開けると、破壊光線が出てしまう!(笑)
 それを避けるためには、目をつむっているか、光線を制御する特製のルビー・クウォーツ・レンズを使用したサングラスを着けていなければならない。
 だから、スコットは日常生活ではこのサングラスを掛けている。
 光線が赤いのでサングラスのレンズ部分は真っ赤。
 そして、敵と戦う時には、サングラスを外して目を開いて光線を発射する。
 初めて『X-MEN』を見た時、「この人、どうしてサングラスを掛けているんだろう?」と思ったが、こんな設定があるんだとわかって、一気にファンになった。
 映画『マトリクス』の主人公たちは意味もなくサングラスを掛けているが、スコットにはちゃんと理由があったのだ。

★ふたりめは、〝ストーム〟こと、オロロ・モンロー(ハル・ベリー)。
 彼女は天候を操作することが出来る。
 強風、雨、霧、雷。
 強風で敵を吹き飛ばし、雷で電撃!
 霧で敵の目を眩ます。
 それだけではなく、風を操作して身体を持ち上げ高速で飛行もできるし、毒性の大気汚染物質を融合させて酸性雨や毒性の霧を作り出すことも出来る。
 ストームが空中から降りて来ると、情勢が一変するんですよね。
 風で敵を壁にたたきつけ、電撃で撃ち倒す。
 しかも、ピンチの時に絶妙のタイミングでやって来るから、見ている方は拍手喝采!
 だが、そんなストームにも弱点が……。
 肉弾戦、接近戦に弱いのだ。
 敵のパンチ、キックをくらい、たちまち地面に這いつくばる。
 でも、キャラクターには何らかの弱点が必要なんですよね。
 万能では観客や読者は感情移入できない。

 その他にも、さまざまな能力をもったミュータントが出てくる『X-MEN』シリーズ。
 やはりアメコミは面白い。
 アイデアが違う。
 日本のヒーローもかなり影響を受けたのではないかと思う。
 シリーズ化されているので(=新作『アポカリプス』が公開中)、また彼らに会えるという喜びもある。

 なお本日は、初期3部作の以前のエピソードを描いた『X-MEN ファースト・ジェネレーション』がTV放送されるようです。


※参照サイト
 X-MENに登場するミュータント達(ヒーロー編)NAVERまとめ

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リオ・オリンピック~卓球って奥が深い! 前衛・中衛・後衛、そしてサインプレー!

2016年08月20日 | スポーツ
 遅ればせながらリオ・オリンピック。
 卓球ってすごいですよね。
 テレビで解説とかを聞いていると、つくづくそう思う。

 まず、<前衛><中衛><後衛>という3つのポジショニングがあるらしい。
 中衛はノーマルポジション。
 いわゆる基本だ。
 一方、前衛に行くと、相手の打った球をすぐに打ち返せる<カウンター攻撃>ができる!
 後衛では、余裕をもってボールを見られるので、飛んでくる球の方向や回転を見極めることができ、打ち返す方は「あの方向に打とう」「こんなスピンをかけてやろう」とかさまざまな対処がおこなえる。
 まあ、言われてみれば、そのとおりで、テニスなんかでもおこなわれてるんだろうど、全然、気がつかなかった。
 温泉旅館とかで卓球をする時、試してみよう(笑)

 ダブルスでは<サインワーク>もあるらしい。
 手を腰の後ろにまわして後ろのパートナーにサインを送る。
「今度は左の方向にこんなスピンのサーブを打つから、相手は右側に打ち返すことしかできない。あなたはそこで待っていて」
 こんなサインワークをするらしいのだ。
 これもバレーボールなどでもやられていることで、言われてみればそうなのだが、スポーツって奥が深い。

 あとは、伊藤美誠選手ってすごいですね。
 あれで、まだ15歳!
 おそるべき逸材。
 将来、どんな選手になるんだろう。

 それと昨日の『バイキング』(フジテレビ)でテーマにしていたが、オリンピックのプロ参加ってどうなのだろう?
 ゴルフなんかを見ていると、プロゴルファーばかりで通常のゴルフトーナメントを見ているのと変わりがない。
 4年後の東京オリンピックでは、野球でドリームチームが作られるんだろうなぁ。
 で、一部のプロ選手はケガを気にして思い切ったプレーをしない可能性がある。
 オリンピックはアマチュアの大会に徹した方がいいのではないか?
 実際、今回の大会で感動的なドラマを見せてくれたのはアマチュアの選手でしたし。
 もちろん、現在のアマチュア選手のほとんどは企業の庇護にあり、アマチュアの領域がどこまでなのか、という議論はありますが。

コメント (2)
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赤毛のアンの名言~わしは1ダースの男の子よりもアンの方がいいよ。1ダースの男の子よりもだよ

2016年08月19日 | 名セリフ・名言集
★アンは現実をこんなふうにして豊かにしている。

「あそこを並木道なんて呼んじゃいけないわ。そんな名前には意味がないんですもの。
 こんなのにしなくては……ええと……『歓喜の白路』はどうかしら? 詩的でとてもいい名前じゃない。
 場所でも人でも名前が気に入らない時はいつでも、あたしは新しい名前を考え出して、それを使うのよ。
 孤児院にヘプジバー・ジェンキンスという名前の女の子がいたけれど、あたし、いつもロザリア・ディビエと考えていたの」


 足りない現実を詩的な想像力で補っているのだ。
 たとえば、並木道を『歓喜の白路』に。
 別のシーンでは、バーリーの池を『輝く湖水』に。
 そうすると、現実が楽しくなってくる。
 モノトーンの風景が色彩豊かになってくる。

 自分の名前、アン・シャーリーも平凡なので、コーデリア・フィッツジェラルドにした。
 確かにこの方が華麗な感じですね。(笑)

★前向きでワクワクして生きているのもアンだ。

「朝はどんな朝でもよかないこと? その日にどんなことが起こるかわからないんですものね。
 想像の余地があるからいいわ」


「これから発見することがたくさんあるって素敵だと思わない?
 もし、何もかも知っていることばかりだったら、半分もおもしろくないわ。
 そうしたら、ちっとも想像の余地がないんですものねえ」


★現実をありのままに受け入れ肯定もしている。

「夏の森もいいけど、冬の森も、すてきだわ。
 真っ白で、静かで、まるで美しい夢を見ながら眠っているようだわ」


「今宵はまるで紫色の夢のようね、生きているのが嬉しくなるわ。
 夜が明けると、朝がいちばんすてきだと思うんだけど、日が暮れると、夕方のほうがきれいに思えるの」


「ああ、生きているって何て素敵。そして家に帰るってなんて素晴らしいんでしょう」

 現実を想像力で補っていた最初の頃のアンとは、ずいぶん違う言葉だ。
 グリーンゲイブルズに住むようになって、アンは想像力で補わなくても現実の素晴らしさを感じられるようになったのだ。
 アンと現実の世界は調和している。
 もちろん、僕たちもちょっと立ち止まって、まわりの風景を見つめれば、こうした風景に出会えるのだけれど。
 まずは今日の夕方、夏の夕暮れの真っ赤で紫の空を見てみよう。

★このマシューのせりふは泣ける……!

「わしは1ダースの男の子よりもアンの方がいいよ。いいかい、1ダースの男の子よりもだよ」

 マシューとマリラは、本当は仕事を手伝ってくれる男の子がほしい、と孤児院に頼んでいたんですよね。
 でも、手違いでアンが来てしまった。
 しかし、アンと過ごした日々は素晴らしく、マシューは立派な大人になったアンに上のせりふを語った。
 その後、マシューは亡くなるので、このせりふは涙なしには読めない……!

★マシューが亡くなった後、アンは奨学金をもらって大学に行くことをあきらめる。
 大学に行くということは他の街に行くことであり、年を取ったマリラ独りにするわけにはいかないからだ。
 道を閉ざされたアン。
 しかし、こんな時でもアンは前向きで、私のことなど気にせず大学に行きなさいと語るマリラにこんなせりふを言う。

「いま曲がり角にきたのよ。
 曲がり角を曲がった先に何があるのかは、わからないの。
 でも、きっといちばん良いものに違いないと思うの。
 その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか、どんな景色がひろがっているのか、どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、その先にあるのか、それはわからないの」


 グリーンゲイブルズに残ることにしたアンが次に見た景色とは?
 そうか、その手があったか、というラストが展開される。

 光り輝くせりふといい、「赤毛のアン」は永遠の名作ですね。

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家売るオンナ 第6話~私は幸せの伝道師ではありません。ただの不動産屋です!

2016年08月18日 | 職業ドラマ
 老舗和菓子店店主・宮澤和之(東根作寿英)が足立(千葉雄大)の所にやって来た。
 相談内容は、愛人・奥平礼央奈(小野ゆり子)にマンションを買う件。
 しかし、足立は複雑だ。
 なぜなら足立は数年前、宮澤一家に家を売ったことで、宮澤家の幸せをつくったと自負していたから。
 愛人用のマンションを売ったら、奥さんや子供を裏切ることになる。
 幸せな家庭をつくったという自負や思いも否定することになる。
 しかし、愛人にマンションを売ろうとしたことがバレて、宮澤の妻は激怒。
 愛人の奥平礼央奈は手切れ金のマンションなどプライドが許さないから要らないと言い出す。
 …………………………………………………………………

 こんなふうに悩んでしまう足立って、実はいいやつだったんですね。 
 家を売ることで幸せな家族をつくれる不動産屋の仕事を誇りにしていた。
 しかし……そんな足立を三軒家万智(北川景子)は一喝!

「家を売ったくらいで、その家族を幸せにしたのは自分だとうぬぼれまくり、愛人に家がほしいと言われれば、これ幸いに家を売ろうとし、そのことで本宅が崩壊したら自分が愛人に家を売ろうとしたからだと、ウジウジウジウジ悩んでいる」

 そう、足立のように悩むのは思い上がりなのだ。
 家族の幸せも崩壊もすべてはその家族次第。
 不動産屋はただ家を売るだけ。
 このことを理解した足立は、手切れ金のマンションなんか要らないという愛人の奥平礼央奈に言う。

「そんなきれいごと言って何になるんですか!
 捨てた女のプライドやイジなんか、今の宮澤様にはどうでもいいことです。
 ここは割り切って取る物を取った方が奥平様のためです。
 マンションを買いましょう」

 この説得で礼央奈は心を動かされ、「わたしのことを考えてくれたのか?」と問う。
 すると、足立はきっぱりと、
「私は幸せの伝道師ではありません。ただの不動産屋です」
 …………………………………………………………………

 今まで僕は、三軒家万智も<家を売ることで人を幸せにしようとしている人>だと思っていました。
 でも、違っていた!
 そんなことはどうでも良く、ただ<家を売る人>だった!
 今まで、このブログで書いてきたことを訂正します……(笑)

 まあ、おそらく万智も<家を売ることで人を幸せに出来る>と考えていた時期もあったと思うんですよ。
 でも、今回の足立のように裏切られ、傷ついて、そんなものは幻想であることに気づいた。
 自分のやるべきことはただ家を売ることで、その後、人が幸せになろうが不幸になろうが関係ない、それは当事者次第だ、と割り切った。
 ドライですね。
 小気味いいほどドライ!

 普通、ドラマの主人公と言えば、悩んだり傷ついたりして頑張って生きていく人物が多かった。
 だが、万智の場合はそれがない。
 完全にアンチ主人公。
 それが万智のロボットっぽさにも繋がっている。
 ……………………………………………………………………

 最後は冒頭のナレーション。

「どん底の経済の時代に就職した20代30代。
 彼らは理想を持たない。
 バブル期を知る40代50代。
 彼らはあきらめることが人生だと思っている」

 見事な世代論ですね。
 僕なんか「あきらめることが人生だ」と思っていますからね(汗)
 そして、ナレーションは各登場人物論に移る。

「男たちはうわべの平和と建前が好きだ。
 しかし、そんな彼らの価値観を根底から揺るがす女が現れた。
 天才的不動産屋・三軒屋万智。
 三軒屋万智によって、庭野は常識の後ろにある真実を垣間見た。
 屋代もまた愛を求めたおのれの心がいかに渇き果てていたかを知った」

 的確な登場人物紹介ですね。
 まあ、脚本家本人が書いているのですから当然ですが(笑)
 でも、脚本家・大石静が、時代や人間をどう見ているかがよくわかります。

 
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ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子 第6話~正常と狂気の間、殺人を嬉々として語る老人たち

2016年08月17日 | 推理・サスペンスドラマ
 自分たちが犯した殺人を嬉々として語る老人たち。
「次は誰だ? 誰を殺す?」
「そうね、誰を殺そうかしら?」
「浦沢の片腕、あれがいい」
「いいわね。次はもっと苦しめて」
「賛成!」
 彼らは笑い始める。

 正常と狂気。
 憎しみを抱いていても人はなかなか他者を殺せない。
 だが、老人たちはその境界線を踏み越えてしまった。
 そんな彼らの顔を見て比奈子(波瑠)は言う。
「あなたたちでも、そんな顔するんですね?」
 穏やかな一般人の顔に浮かび上がった狂気の顔に比奈子は魅せられたのだ。

 一方で、老人たちは止めてほしいとも思っている。
「止めてほしかった。
 人の心をなくしてしまったわれわれがこれ以上、憎しみで動き出さないように」
 狂気の世界から救い出してほしいと彼らはわざと証拠を残したり、比奈子にゲームセンターを見せたりした。

 さて比奈子。
 彼女は正常と狂気の境界線にいる。
 狂気の世界に行ってしまうかもしれない自分を冷静に見つめている。
 だから、「お前は殺人者だ」という東海林(横山裕)の言葉にこう返事をする。
「私は刑事です……まだ」
 比奈子は刑事であることで、かろうじて正常の世界に留まれているのだ。

 狂気の世界に行ってしまう人間たち。
 その理由はさまざまなんだろうけど、今回の老人たちの場合は〝憎しみ〟ですよね。
〝憎しみ〟は人の心を壊してしまう。
 朝鮮の人たちに汚い言葉を投げつける<ヘイトスピーチ>をやっている人なんかは、確実に自分の心を壊している。
 <イスラム国>のテロリストなんかもそうだろう。

 ……………………………………………………………………

 中島保(林遣都)は完全に「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター教授になりましたね。
 狂気の側から猟奇犯罪を分析し、捜査に協力している。
 東海林の情報屋もそうだが、この作品には<便利なお助けキャラ>が登場する。
 見事な相棒。
 でも、これってどうなのかな~。
 まあ、一時間で事件を解決するには仕方がないんだろうけど……。

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江戸川乱歩論~死や孤独は、そのままでは読者の絶望を誘う毒だが、薄めれば快楽的な刺激剤になる

2016年08月16日 | エッセイ・評論
 江戸川乱歩についての的確な文章を見つけた。
 中条省平氏の「反=近代文学史」(中公文庫)だ。
 引用すると、

『死や残虐や孤独は、そのままの濃度では読者の絶望を誘う毒だが、適度にうすめれば、香水の残り香のように、読む者の感覚と気分をたかめる快楽的な刺激剤となる。
 乱歩の小説の希薄さは、純粋な文学としては徹底性に欠ける弱点だったかもしれないが、その絶妙な濃度のさじ加減は、いまだに数多くの読者を引きつける小説づくりの秘法である』

 死や残虐や孤独を描いた乱歩。
 でも、それは探偵小説、怪奇小説という形式をとることで薄まっていたんですよね。
 もちろん、「芋虫」や「蟲」など、濃密な死や残虐や孤独を直接的に描いた作品はあるが、それらはごくわずか。
 乱歩の狂気は短編小説に凝縮され、長編小説になれば薄まり、明智探偵や怪人二十面相の登場によってさらに薄まる。
 そして、そんな薄まった作品が日常に生きるわれわれには適度な刺激で心地よい。
 中条氏の見事な比喩をもちいれば、〝香水の残り香〟のように。
 香水の残り香はいい匂いだが、香水そのものを嗅げばきついし、香水の原液になれば嗅げなくなるのと同じ。

 江戸川乱歩作品は、コミック・アニメ・映画など、たくさんのクリエイターがさまざまな形でリメイクしている。
 では、なぜ、こんなにリメイクされるのか?
 おそらく乱歩作品が<死や残虐や孤独といった原液を薄めたもの>だからだろう。
 乱歩作品を読んだクリエイターは、「何か薄口で物足りないな。自分ならこんなふうに味つけするのに」と考える。あるいは、乱歩作品を自分なりに掘り下げてみたくなる。
 これが乱歩作品が多くリメイクされる理由だろう。

 死、残虐、孤独……。
 これらは人間の本質であり、ルーツ。
 日常生活をおくるわれわれは、これらから目を背け、なるべく見ないようにしている。
 直視すれば、いたたまれないし、怖いですからね。
 だが、これらこそが作家が追及しなければならない文学的テーマである。

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真田丸 第32回「応酬」~黒を白と言い切る政治家・家康に、官僚・三成は論破される

2016年08月15日 | 大河ドラマ・時代劇
 家康(内野聖陽)が勝手に婚姻関係を結んだことを問い詰める三成(山本耕史)。
 これで家康を老衆から外そうとする。
 五奉行はもちろん、上杉景勝(遠藤憲一)らにも根回し済みだ。
 しかし、まず景勝がコケた。
「ご遺言を忘れたで済む話ではない……」
 言うには言ったが、小さな声での非難。
 結局、景勝は取り下げてしまった。
 安請け合いで、カッコつけの景勝……。
 人の性分はそんなに変わらない。

 以降は家康の独壇場。
「方々! 今はわれら十人が一丸となり、難事を切り抜けるべき時でござろう。
 それを何事か、この体たらくは! 太閤殿下のご遺言を何と心得おるか!」
〝ご遺言を心得ていない〟のは家康の方なんですけどね……。

 すると、三成が反論。
 改めて婚姻の非を責め、家康を老衆から外すことを提案する。
 大谷吉継(片岡愛之助)に止められていたのにやってしまった。
 これに対して家康は声を荒げて、
「この徳川家康、太閤殿下に老衆のお役目を仰せつかった。
 それを勝手に退けるとは、まさにご遺命に背くことになるのではないか!
 違うか? 治部少輔。
 そなたの徳川内府を締め出そうという魂胆、浅ましきかぎり。
 そこまでして政事を独り占めしたいのか!?
 そうはいかぬぞ。
 何のための老衆じゃ。
 わしが退いても前田大納言殿をはじめとして宇喜多殿、上杉殿、毛利殿が目を光らせておる。
 そうでござるな、ご一同。
 君側の奸の出る幕ではないわ!」

 結局、声の大きい者が勝つ。
 そして、黒いものを白と言い切ってしまうのが政治家。
 青臭い景勝の〝義〟や官僚・三成の〝正論〟など、簡単に論破されてしまう。
 厚顔無恥でなければ政治家なんて務まらない。
 昨年の安保法案だって、誰が見ても憲法違反ですからね。
 憲法学者の98%が違憲と言っていた。
 なのに安倍ちゃんは、黒を白にして合憲にしてしまった。

 今回は、『真田丸』における〝清洲会議〟でしたね。
 権力闘争は、いくさで決まるものではない。
 実は会議の場で決まっていく。
 こんがらがった紐が解けなくて、最終的な手段として使われるのが、戦争。
 ラスト、三成は「徳川屋敷を攻めて家康の首を取る」と言いましたが、〝暴力による解決〟を決断した時点で三成の負けですね。
 三成は政治力と弁論で、家康に勝てなかった。
 結局、〝窮鼠猫を噛む〟で、暴力に踏み切ってしまった。
 そして、暴力は暴力を生む。
 それが関ヶ原に繋がる。

 ところで、家康はいつこのような人間に変貌したのだろう?
 今回の前半でも「どうせ命を狙われるのなら、思い切って天下をお取りになるのはいかがでしょうか?」という本多正信(近藤正臣)の誘いに否定的だった。
 おそらくは、おとなしくしていたら逆にやられる。徳川家を存続させるためには権力闘争で勝つしかないと考えたのだろう。
 秀忠(星野源)は頼りなさそうですからね。
 すべては生き残るため。

 ……………………………………………………………………………

 あとは細かい所。

 加藤清正(新井浩文)と三成。
 酒席で、
「わしはお前と飲みたいんだよ~」
「私は飲みたくないのだ」
「お前には情ってものがないのか?」
 清正と三成のすれ違いは、こういう所にもあったようだ。
 今までの大河ドラマのような朝鮮の役での武官と文官の対立だけという描き方をしていない。

 信幸(大泉洋)と本多忠勝(藤岡弘、)の件はあっさりと済みましたね(笑)
 予想はしてましたが。
 案ずるより産むが易し。
 くよくよ心配していても仕方がない。

 三成は人気が出るでしょうね。
「私はほとんど間違えることがない」(笑)
 大谷吉継に
「(合議制の豊臣家をまとめあげるのは)石田治部にしかなしえぬこと」
 と言われると、
「私もそう思う」(笑)

 人間って面白い。

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終戦記念日前日~戦前の「国策標語」を集めてみた。こんな標語がまかり通る社会にしてはならない

2016年08月14日 | 事件・出来事
 明日は終戦記念日。
 戦後、71年を迎える。
 戦前の『国策標語』は次のようなものだった。

★国の矢となれ 盾となれ(東京標語研究会、昭和12年)
★聖戦だ 己れ殺して 国生かせ(読売新聞社、昭和14年)
★税で報国 身で護国(横浜市福富町納税組合、昭和15年)
★進め一億 火の玉だ(大政翼賛会、昭和16年)

 <個人>よりも<国家>が優先された時代である。
 日本ってこうなってしまうから怖いよね。
 同調圧力。
 滅私奉公。
 戦争反対を唱えれば<非国民>になる。
 人権なんて無視されて国家がどんどん暴走。
 言論統制、警察国家。

 でも最近、戦前回帰を志向する輩がやたら出てきた。
 先日、防衛大臣に就任した稲田朋美は、
「私たち一人ひとり、国民の一人ひとり、皆さん方一人ひとりが自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには血を流す覚悟をしなければなりません」
「靖国神社というのは不戦の誓いをする所ではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓う所でないといけないんです」

 小者だが、彼らの思想を端的に語っているので引用すると、
 未公開株と未成年買春事件の元自民党の武藤貴也は、
「基本的人権の尊重について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。
 従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。
 しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった」

 ったく、何が〝滅私奉公〟だ?
 国会サボって、未公開株と未成年買春にいそしんでた人間がよく言うよ!
 ほんと口ばっかり!
 武藤氏は「国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう」と言うが、そんなことはない。
 敗戦で<大日本帝国>は滅びたが、現在の<日本国>が誕生した。

 終戦記念日を前にして、現在の〝戦前回帰〟の動きに、NO! と言わなければと考える。
 戦前の『国策標語』がまかり通る社会にしてはならない。

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乃木坂46~モデル、舞台、将棋、野球、デザイン、ギター、さまざまなジャンルで活動しているメンバーたち

2016年08月13日 | アイドル
 乃木坂46の各メンバーの、アイドル活動以外の活躍がめざましい。
 まずはモデルの仕事。
・白石麻衣 『RAY』専属モデル
・西野七瀬 『Non-no』専属モデル
・橋本奈々未、松村沙友理 『CanCan』専属モデル
・齋藤飛鳥 『sweet』
 など、アイドルのモデル進出は乃木坂メンバーが切り開いたと言っていい。
 結果、白石麻衣らは一般の女性の憧れになり、女性ファンを乃木坂に引き寄せるという相乗効果ももたらした。
 これは乃木坂の運営の見事な戦略だった。

 演劇への積極的な参加も乃木坂の特徴だ。
 若月佑美、桜井玲香は嫌われ松子の一生 川尻松子役でダブル主演
 生田絵梨花はドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」「残念な夫」などにも出演したが、舞台女優の道を歩き出している。
 アルプスの少女ハイジ (2009年)クララ役
 虹のプレリュード(2014年)主演・ルイズ役
 リボンの騎士(2015年)主演・サファイア役
 来年には、ロミオとジュリエットのジュリエット役、レ・ミゼラブルのコゼット役(何と帝国劇場!)も決定!

 バラエティでも高山一実は「しくじり先生」でレギュラー出演。
 生駒里奈は、少年ジャンプ好きを活かして「特捜警察ジャンポリス」レギュラー。
 先日のSMAP×SMAPでは「ONE PIECEの会」に出演して見事優勝!
 動画はこちら→生駒里奈 「ONE PIECEの会」『SMAP×SMAP』 2016年08月08日(YouTube)
 その他、『行列のできる法律相談所』『踊る!さんま御殿』に出演して爪痕を残している。

 その他には、メンバーの特技を活かした活躍もめざましい。(以下、日経エンタテインメントより引用)
・伊藤かりん 将棋情報番組「将棋フォーカス」(Eテレ)MC
・伊藤万理華 グラフィックデザイン雑誌「月刊MdN」連載
・井上小百合 特撮ヒーローファンの夢が叶い「動物戦隊ジュウオウジャー」にゲスト出演。
・衛藤美彩  野球の知識を買われ、侍ジャパン女子代表の公式サポーターに就任。北野日奈子、寺田蘭世も。
・川村真洋  ギター専門誌「ヤングギター」でギターヒロイン育成プロジェクト連載。
・若月佑美  二科展で賞を獲ったこともあり、『MacFan』でデザインの連載。

 というわけで、
 乃木坂46の強みは〝幅広いジャンルでの各メンバーの活躍〟

 今までアイドルが生き残る道は、バラエティ、女優だった。
 だが、そのふたつのジャンルには専門の女優がいて、海千山千の女芸人・女タレントがいる。
 アイドルからの転身はどうしても中途半端にならざるを得ない。
 AKBグループの若手などは、指原莉乃を目標にしてバラエティ路線のスキルを磨いているようだけど、どうなのだろう?
 さっしーが成功したケースは極めてまれ。

 一方、乃木坂は女優やバラエティにまったくこだわっていない。
 各自の特技や好きなことにこだわって、そこから道を拓こうとしている。
 現在、乃木坂はグループとして勢いがあるから、「乃木坂のメンバーです。連載企画どうですか?」と頼めば、雑誌は積極的に乗ってくれるだろう。
 それが新しいファンをつかみ、グループに返ってくる。
 近い将来、将棋ファンが乃木坂のライブに来ることがあるかもしれない。

 まもなく結成してから5年になる乃木坂46。(結成は2011年8月22日)
 15枚目シングル「素足でSummer」の二週間の売り上げは76.1万枚。
 僕は結成当時から応援しているが、5年前は、みんながシロウトで、こんなグループになるとは思わなかった。
 AKBの<会いに行けるアイドル→劇場、CD、握手会、ライブ>というコンセプトは画期的だったが、
 乃木坂の<握手会、CD、ライブ→モデル→特性・個性を活かした各自の活動→相乗効果>というプロデュース戦略も大したものだ。
 AKBの路線を引き継ぎつつ、独自の道を切り拓いた。
 東京と地方の違いはあるが、SKE、NMB、HKT、NGTはAKBの路線を踏襲しているだけではまずいのではないか?

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麻雀放浪記~手前らにできることは長生きだけだ! 保険付きの小市民的生き方を否定するドサ健

2016年08月12日 | 小説
 アウトローたちを描いた阿佐田哲也の『麻雀放浪記』
 小市民的な生活を送っている僕には結構、ざわざわする。
 たとえば、博打打ち・ドサ健のこんなせりふ。

「手前っちは、家つき食つき保険つきの一生を人生だと思っていやがるんだろうが、その保険のおかげで、この世が手前のものか他人のものか、この女が自分の女か他人の女か、すべてはっきりしなくなってるんだ。
 手前等にできることは長生きだけだ。糞ォたれて我慢して生きてくんだ。
 ざまァみやがれ、この生まれぞこない野郎」

 ドサ健は小市民的な生活より、キリキリするような博打の勝負の世界を求める。
 命ぎりぎりで生きているから生命の燃焼を感じることが出来るし、自分の女を賭けの対象にして真剣勝負をしているから、女を愛していると心から感じることが出来る。
 一方、それは命を縮める生き方でもある。
 行き着くところは、すべてを失い、スッカラカンになって死ぬ、野垂れ死だ。
 だが、ドサ健はむしろそれを歓迎する。
 長生きや平穏や我慢など、糞喰らえというわけだ。

 ざわざわさせられる生き方ですね。
 作品の舞台が戦後復興期であるというのも関係している。
 終戦直後は、あたりは焼け野原で、人々は何も持っていなかった。
 みんなが同じで、法律もゆるく、無法も許された。
 しかし、町が復興し、秩序が出てくると、人々は職に就き、家族をつくり、安定を求めるようになった。
 つまり小市民の誕生であり、アウトローには生きにくい時代の到来だ。
 ドサ健の先程のせりふは社会から疎外されたアウトローの悲痛な叫びと言っていい。

 ドサ健はシロウト相手に安易な賭け麻雀をする博打打ちにこんな事も言っている。

「ケチな客のお守りして細く長く稼ごうなんてやめちまえよ。
 世間の人間は、暮らしていくことで勲章をもらうが、俺たちはどれだけすばらしい博打を打ったかできまるんだ」

 これぞ博打打ちのプライド。
 短く激しく、生命を完全燃焼させることがアウトローの生き様なのだ。

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