平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第26回「いけにえの姫」~きれいなところ、正論だけでは生きていけないことに気づいた道長とまひろ

2024年07月01日 | 大河ドラマ・時代劇
 傾国の中宮・定子(高畑充希)。
 帝と内裏を浄める彰子(見上愛)。
 出家というのは半分死んでいるということなのか。
 だから定子は邪気を持った存在。
 一方、彰子は無垢な存在。
 高貴な道長(柄本佑)の娘でもあり、そのパワーは半端でない。
 邪を鎮めるための「いけにえ」には最適な存在。
 この平安時代の論理が面白い。

 道長はきれいな所ばかりにいられなくなった。
 良い父であり、宮中の争いごとを避けて来たが、少しも身を汚していない。
 運だけで今の地位に来てしまった。
 道長は邪悪な定子の子が帝になったら、世の中はさらに乱れると考えたのだろう。
 だから「身を切った」。
 穏やかな人生を送ってくれればいいと考えていた彰子を「いけにえ」にした。
 道長、苦渋の決断……!
 彰子の入内の理由が「自らの権力の維持」のためでないのが面白い。
 公任(町田啓太)が語っていたように、すべては民のため。
「左大臣はおのれのために生きておるのではない」

 絶大な権力を持ちながら道長はまだ闇落ちしていない。
 それは、本人の気質と、まひろ(吉高由里子)という存在があるからだろう。
 まひろが心の中にいるかぎり、道長は闇落ちしない。

 まひろも道長を忘れていない。
 宣孝(佐々木蔵之介)との喧嘩。
 宣孝の浮気に腹を立てているが、まひろを激怒させたのは宣孝が道長のことに触れたから。
 左大臣殿が離れていたのはまひろに可愛げがなかったから、と言われて、まひろは激怒した。
 ふたりのことを第三者の宣孝に言われる筋合いはない。
 被災した子供たちへの食事の提供を宣孝に否定されたことも激怒の理由だろう。
 まひろと道長は「民のために働くこと」を誓い合った。
 それを否定されてまひろは怒った。
 一方、いと(信川清順)からは「正論だけが正解でないこと」を諭される。

 さて石山寺で、まひろと道長が再会。
 きれいなところ、正論だけでは生きていけないことを知ったふたり、どうなる?
 ………………………………………………

 彰子は自分の意思のない子だった。
「仰せのままに」
 何を聞かれても「仰せのままに」
 いったい彰子に何があったのだろう?
 まひろがサロンに入って笑顔を取り戻すのだろうか?
『枕草子』が定子を救ったように『源氏物語』が彰子の慰みになるのだろうか?

 宣孝叔父は……。
 ネットでは「エロ親父」「佐々木蔵之介さんだから許す」みたいなコメントがあって
 すこぶる評判が悪いが、同じおっさんとして宣孝の気持ちはわかるぞ。
 フツー年下の女の子からラブレターが来たら見せたくなるよね。笑
 そのラブレターが才気溢れるものだったら尚更。笑
 しかし、まひろは激怒。
 宣孝はまひろをどう扱っていいのかわからず、戸惑っている。
 美点だった、まひろの才気がマイナスに思えて来た。

 宣孝の困惑を理解して、いとはまひろにこんなアドバイスをした。
・正論ばかりが正解ではないこと
・男に逃げ場をつくってあげること
・おのれを曲げて誰かと寄り添うのも大切であること
 いとさん、なかなかの「恋愛の達人」。というか「人生の達人」。
 いとの語ったことはあらゆる人間関係に通用する。

 いとさんは大石静さんの分身なのだろう。
 宣孝叔父にもやさしい視線を送っている。


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4 コメント

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「闇堕ちはしません」 (TEPO)
2024-07-01 19:25:34
>絶大な権力を持ちながら道長はまだ闇落ちしていない。

NHKの公式HPとは別に、朝日新聞でも大石静さんのインタビューが掲載されていました。
要点は
① 考証の専門家たちからは「あり得ない」ことについては厳しくチェックを受けているが、その枠内ではギリギリまで大胆な設定をしている。
道兼がまひろの母を斬殺した、という設定がその例。
② 「源氏物語」のエピソードをまひろ自身の体験として取り入れている。
③ 道長を「人間的に優れた存在」として描いている。
直秀の死をめぐってまひろと共有した想いは「最後まで貫かせたい」「もちろん、道長は年を重ねて多少は強引になりますし、敵に回せば怖い存在かもしれませんが、闇堕ちはしません」とのことです。

作者である大石さん自身が「闇堕ちはしません」と保証してくれているので、最後まで安心して道長を見てゆくことができそうです。

彰子の入内の理由も、普通は「自らの権力の維持のため」と理解されるのでしょうが、天災を君主の不徳の結果と見る古代的な考え方(「平安時代の論理」)にもとづく「いけにえ」だったとする解釈は「なるほど」でした。
今後も、通常の歴史家が道長の権力志向に帰するような出来事にも、それとは違った事情を描いてゆく大石さんの手腕を楽しみにしたいと思います。

ところで、「いけにえの姫」彰子を見て、最初子役さんなのだろうかと思いました。
しかし、見上愛さんは今後もずっと彰子を演じてゆく女優さんのようで、御年23歳とのこと。
見事に実年齢の半分―現代で言えば小学校高学年くらい―の少女に見えました。

>彰子は自分の意思のない子だった。
現時点での彰子はまったくの「白紙」「まっ白なキャンバス」といった感じ。
「紫式部」となったまひろと出会い、交わることによって、徐々に「生身の女性」になってゆくということなのでしょうか。
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「鎌倉殿」と比較してしまいます (コウジ)
2024-07-02 07:11:48
TEPOさん

いつもありがとうございます。

闇落ちしないんですね。
よかった!
闇落ちしそうになる道長をまひろが引き止める、という作劇かと考えていたのですが、そうでもなさそうですね。

時代も近いせいもあり、どうしても『鎌倉殿の13人』と比較してしまう今作。
道長も頼朝、義時パターンを考えてしまいます。
それと、鎌倉殿でも呪詛みたいな呪いのシーンはありましたが、鎌倉時代はだいぶ薄まったようですね。
1200年の時間はさすがに社会の価値観を変えるようです。

彰子は独特の雰囲気がありますよね。
どこか無機物の人形のような怖さもあります。
おっしゃるとおり、まひろと出会うことで「生身の女性」になっていくんでしょうね。
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Unknown (2020-08-15 21:49)
2024-07-03 07:05:15
いとさんのアドバイスですが、拝見しながら脳内で読み替えてしまいました。

>・Kョーサン党のいう正論ばかりが正解ではないこと
>・J民党に逃げ場をつくってあげること
>・おのれを曲げてJ民党と寄り添うのも大切であること

まひろの潔癖な態度は、現野党と共通するかもしれないと思ってしまいました。
そう考えて改めて今週の宣孝叔父の表情を見ると、「田舎の与党の後援会」にいそうなタイプにも見えます(佐々木蔵之介の顔芸、そう考えてみるとスゴいです)。今までまひろに見えていなかった宣孝の一面がだんだん見えてきたのか、それとも宣孝が変わったのか、多分前者と思います。

今の日本の社会には、日常生活に至るまであちこちに「J民党的な価値観」が存在していて、そのJ民党的価値観に反発しても、長続きはしなくて、いつの間にか丸め込まれてしまうんだよなぁ、といったことを考えました。

J民党的な価値観に染まっている人から見ると、野党やRンホーさんを応援している人って、「引きこもりの怠け者、選挙でセカイを変えられると信じている中二病、大学受験に失敗してそれ以降の人生がうまく行かず世の中に不平不満タラタラの優等生崩れ」といったタイプなんですね。
ただし、インボイス電帳法マイナンバーあたりで、流れは少し変わっています。今までの与党は「帝力何有於我哉」で、しもじもに負担を感じさせない工夫はあったんです。
ところが、今の世襲政治家(とのさま、とルビを振ってもいいくらいです)は、国民に負担を感じさせない工夫が必要という考えがそもそもないんですね。今までJ民党を支持してきた人たちも、だんだん恐怖を感じているのが実態でしょう。
なので、今までJ民党を支持してきた田舎の人たちでも、だんだん「おらが村のセンセイ」を疑う空気感は出てくるでしょう。

ちょっと脱線しました。それから、また分析になってしまい、すみません。
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そんなことは痛いほどかわっている (コウジ)
2024-07-03 10:57:57
2020-08-15 21:49さん

いつもありがとうございます。

正論では人はなかなか動かないんですよね。
人を動かすのは「カネ」「利害」「組織の論理」。
あるいは「感情」「空気」「感性」。

このことは安倍政権の8年間で嫌というほど味わって来ました。
「もうどうでもいい。このまま日本が衰退すればいい」
「戦争やファシズムを体験しなければこの国は目覚めない」
と何度も思い、落ちこみました。

野党に対しても
「相手は隠蔽・改ざんなど汚い手をやっているんだから、こっちも使えよ」
「きれいごとのインテリ集団は要らねえ」
などと、怒りがいっぱい。

悲嘆したり、怒ったり、あるいは期待したり、希望を持ったり。
まあ、これが僕の生きる姿勢なので仕方がありません。
かろじて戦ってくれているのは「れいわ新選組」だと思っているので支持しています。

「疑りもする。信じもする。信じようと思い込もうとし、体当たり遁走。まったく悪戦苦闘である」
坂口安吾の言葉ですが、僕はこの言葉好きなんですよね。

2020さんは相変わらず「評論家」ですね。笑
そう言えば、安吾は評論家・小林秀雄を批判していました。
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