秀吉(小日向文世)の老い。
〝伴天連の磔〟と〝二度目の朝鮮出兵〟
周囲は誰もそれらを望んでいないのに、秀吉は自分を抑えられなくなっている。
物事を客観的に見られず、迷ったり苦悩することもなく、自分の権力に酔っている。
人が絶対的な権力を持つとはそういうことだ。
権力が人を狂わせていく。
その権力をもうろくした人間が持つことほど、迷惑なこともない。
〝失禁〟と〝痴呆症〟は哀しく無残だ。
それは華やかだった秀吉ゆえに尚更。
大谷吉継(片岡愛之助)は言う。
「殿下は長く生き過ぎた」
同じ長く生きた者でも矢沢頼綱(綾田俊樹)の死に様はあざやかだ。
人間、何が幸せかはわからない。
現在の秀吉にあるのは、秀頼を守り、豊臣家の権勢を存続させることのみ。
このことに関しては、まだ頭が働き、対徳川に備えて上杉を会津に転封したりする。
このあたりは戦略的で、かつての秀吉だ。
夢もかけらとして残っている。
「ゆくゆくは京から天子様を(大坂に)お迎えしようと思っておった。平清盛が成し遂げたことをわしはとうとう出来なんだ」
諸行無常~永遠なものはない。
諦めよ
足るを知る
仏教はこう教えるけど、この秀吉を見ていると、つくづくそう思うなぁ。
思うように生きられないのが人でもある。
・お家のため、人の道を捨てた男~真田信尹(栗原英雄)
・お家のため、己の信念を曲げた男~上杉景勝(遠藤憲一)
信繁(堺雅人)はこのふたりから、「わしのようになるな」と戒められたが、信繁も「お家のために義を捨てなくてはならなくなった」ようだ。
「本日は極めて重大な知らせをもってやって参りました」
信繁は信幸(大泉洋)に秀吉が危ういことを伝える。
この機密漏洩は豊臣家を裏切ることで義に反することだ。
秀吉と豊臣家に思いを寄せる信繁にとってはつらいことであっただろう。
しかし、真田家のためにそうせざるを得ない。
信繁が〝義〟と〝真田家〟の間で引き裂かれた瞬間だ。
このどちらもが正解だから尚更タチが悪い。
大谷吉継は、「おのれの正しいと思う道を行けばよい。それが真田左衛門佐の生きる道じゃ」と諭したが、これから信繁はこのふたつと折り合いをつけて生きていくのだろう。
秀吉が信繁を見て、「この者は誰だ? 知らん」と言ったのも、痴呆だけでなく、無意識に信繁が裏切ったことを感じたからかもしれない。
最後は稲(吉田羊)。
稲は信幸に言う。
「私は源三郎様の嫁であり、百助の母でございます」
稲が「本多忠勝の娘」から「源三郎様、百助の母」に変わった瞬間だ。
信繁が〝義〟と〝真田家〟の間で揺れているのに対し、稲はすでに自分のあるべき姿に結論を出している。
人は時として、どちらかを選ばなくてはならないのだ。
一方、きり(長澤まさみ)。
「源二郎様、あたし、キリシタンになってもいいですか?」
「やめておけ」
〝源二郎の初恋の人~勘違いだけど〟→〝関白・秀次の側室〟→〝キリシタン〟へ(笑)
きりのアイデンティティはふらふらして、未だに定まっていない。
〝伴天連の磔〟と〝二度目の朝鮮出兵〟
周囲は誰もそれらを望んでいないのに、秀吉は自分を抑えられなくなっている。
物事を客観的に見られず、迷ったり苦悩することもなく、自分の権力に酔っている。
人が絶対的な権力を持つとはそういうことだ。
権力が人を狂わせていく。
その権力をもうろくした人間が持つことほど、迷惑なこともない。
〝失禁〟と〝痴呆症〟は哀しく無残だ。
それは華やかだった秀吉ゆえに尚更。
大谷吉継(片岡愛之助)は言う。
「殿下は長く生き過ぎた」
同じ長く生きた者でも矢沢頼綱(綾田俊樹)の死に様はあざやかだ。
人間、何が幸せかはわからない。
現在の秀吉にあるのは、秀頼を守り、豊臣家の権勢を存続させることのみ。
このことに関しては、まだ頭が働き、対徳川に備えて上杉を会津に転封したりする。
このあたりは戦略的で、かつての秀吉だ。
夢もかけらとして残っている。
「ゆくゆくは京から天子様を(大坂に)お迎えしようと思っておった。平清盛が成し遂げたことをわしはとうとう出来なんだ」
諸行無常~永遠なものはない。
諦めよ
足るを知る
仏教はこう教えるけど、この秀吉を見ていると、つくづくそう思うなぁ。
思うように生きられないのが人でもある。
・お家のため、人の道を捨てた男~真田信尹(栗原英雄)
・お家のため、己の信念を曲げた男~上杉景勝(遠藤憲一)
信繁(堺雅人)はこのふたりから、「わしのようになるな」と戒められたが、信繁も「お家のために義を捨てなくてはならなくなった」ようだ。
「本日は極めて重大な知らせをもってやって参りました」
信繁は信幸(大泉洋)に秀吉が危ういことを伝える。
この機密漏洩は豊臣家を裏切ることで義に反することだ。
秀吉と豊臣家に思いを寄せる信繁にとってはつらいことであっただろう。
しかし、真田家のためにそうせざるを得ない。
信繁が〝義〟と〝真田家〟の間で引き裂かれた瞬間だ。
このどちらもが正解だから尚更タチが悪い。
大谷吉継は、「おのれの正しいと思う道を行けばよい。それが真田左衛門佐の生きる道じゃ」と諭したが、これから信繁はこのふたつと折り合いをつけて生きていくのだろう。
秀吉が信繁を見て、「この者は誰だ? 知らん」と言ったのも、痴呆だけでなく、無意識に信繁が裏切ったことを感じたからかもしれない。
最後は稲(吉田羊)。
稲は信幸に言う。
「私は源三郎様の嫁であり、百助の母でございます」
稲が「本多忠勝の娘」から「源三郎様、百助の母」に変わった瞬間だ。
信繁が〝義〟と〝真田家〟の間で揺れているのに対し、稲はすでに自分のあるべき姿に結論を出している。
人は時として、どちらかを選ばなくてはならないのだ。
一方、きり(長澤まさみ)。
「源二郎様、あたし、キリシタンになってもいいですか?」
「やめておけ」
〝源二郎の初恋の人~勘違いだけど〟→〝関白・秀次の側室〟→〝キリシタン〟へ(笑)
きりのアイデンティティはふらふらして、未だに定まっていない。