ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

20.11.16 akiさんからのコメントと、ぼくからのご返事「司馬さんとミシマの威を借りて」

2020-11-16 | 哲学/思想/社会学


akiさんからのコメント
20.11.16
「仏教と死について」


 こんばんは。一週間お待たせしてしまいました。akiでございます。
 実は先月から、(ぽつぽつとではありますが)構想してました小説を書き始めてます。『三国志』に題材を採った歴史小説で、親鸞聖人とも仏教とも関係はないんですが、中国文化は一方の私のルーツでもありますので、生きているうちに形にしておきたいと思いまして。空いた時間はそちらの方を優先していました。(つっても相変わらずのまったり遅筆ですw)


 そんなわけで遅くなりすみません。お返事でございます。




>もし《信徒》と《それ以外の者たち》とのあいだに垣根を立てて、前者のほうにだけ語りかけるというのであれば、


 さて。このお言葉が何を想定されているのか分かりかねる部分もあるのですが、少なくとも親鸞聖人の教えにそういった垣根は存在しないと思います。ていうか、垣根が存在したら阿弥陀仏の本願にある「十方衆生」が嘘であることになってしまいます。
 ただし、親鸞聖人が「信」と「不信」を峻別されたことは確かです。「不信のままでいいんだよ」という教えではない。「地獄一定」の我が身が「信」を得ることが叶わなければ、そのまま救われないことになってしまいますから、「他力の信心を得よ」と口を酸っぱくして言われることは当然のことでしょう。


 これは親鸞聖人ではなく蓮如上人の言葉ですが、『御一代記聞書』の中に、こういう一節があります。


「陽気・陰気とてあり。されば陽気をうくる花は早く開くなり。陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かように宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。弥陀の光明に遇いて早く開くる人もあり。遅く開くる人もあり。兎に角に信・不信ともに、仏法を心に入れて聴聞すべきなりと云々」


 最後の一節が大切で、現在不信の者であっても、陽気を受ける場所、すなわち聞法の場に出て、「仏法を心に入れて聴聞」すれば、やがて信の花を咲かせることができるわけです。その意味で、親鸞聖人の教えは(すなわち仏法は、あるいは阿弥陀仏の本願は)全人類に向かって開かれています。




 もし、「不信のままでいいんだよ」という教えをお望みなのだとすれば、失礼ながらそれは宗教と呼ばれるものではなく、「自己啓発セミナー」等と呼ばれる類のものでしょう。上から目線ですみませんが、そんなものに全人類を救う力があるとは、私には到底思えません。




>「全人類にとって最終的な大問題」というものがもし在るとするならば、それは「死」ではなくて「生」ではないでしょうか。「いかに生きるか。」ということです。


 これは恐らく、「死によって今の「私」は分解して大きな縁起の流れの中に還っていく(意訳ですみません)」すなわち、「自分である自分は死によって終わる」と考えておられるeminusさんにとっては、そのように感じられるのだと思います。ただし、上のお言葉に共感する人はかなり多いでしょう。実際問題として、厳しく不安な生をいかに生きるか、という問題は、生きている人が日々直面する大問題です。
 ですが、この生は必ず終わる時が来ます。それももしかしたら今日のことなのかもしれない。突然の事故で、あるいは思いもよらぬ急病で、今この時、いきなり人生は終わりを迎えるかもしれない。そういう不安は、生きている限り拭うことはできません。
 仏教では「生死一如」とそれを言われますね。生と死は表裏一体のものであって切り離すことができない。また「出息入息不待命終(出る息は入る息を待たず命終わる)」とも言われ、我々は一息一息の中に死と隣り合わせに生きている、とも説かれます。にもかかわらず、我々はこの生と死を切り離して考えます。「死ぬのは避けられないことだし、死んだら死んだ時だ。今考えても仕方がない。それまでは、どう生きるかが先決だ」という感じで。
 ですがこれは、仏説に従えばまるで逆なのです。生が大切であるならば、なお一層死について問題になってくるはずなのです。ところがそうはならないのはなぜなのか。そう考えると、結局のところ、「我々は自分が死ぬとは考えていない」というところに行き着きます。
 「そんなばかな」と思われるでしょうが、そういう人も、「今すぐに自分が死ぬ」とは思っていないでしょう。eminusさん、「一分以内に自分が死ぬ」と思っておられますか? おそらくそんなことは全く感じていらっしゃらないはず。そして、「いや、そういう可能性があることは知ってるよ」と言っている人も、まさかそれが現実のものになるとは全く予想だにしていないでしょう。
 そして、その思いは、一分後にはまた「この一分のうちに自分が死ぬとは思わない」心になるのです。そうやって一分後、一分後、・・・と未来へとすすめていけば、それはすなわち「自分は永遠に死なない」と思っている心と等価なのです。
「いや、重病とか、戦争とか、死ぬような縁があれば『自分は死ぬ』といくら何でもわかるだろう」と、実際そういう縁に遭っていない間は思うでしょうが、人間は環境に必ず慣れます。たとえ死の病に冒されたとしても、もっと言えば今から自殺しようとする人でさえ、死の寸前まで、人は自分が死ぬとは思っていない。仏教で言われる「迷い」ですね。
 だからこそ、「死は大問題」と言われても、「まあ理屈ではそうかもしれんけど、とりあえず今の自分は関係ないわ」と思っておれるわけです。
 ですが、そういう思いがもし正しいのだとしたら、この世に死ぬ人は一人もいなくなります。もちろん現実は、死なない人は一人もいない。だからこそ「迷い」と言われるわけで、人はその迷いを抱えたまま、厳然とした現実の死を迎えます。そこに慈悲は存在しません。


 死を前にすれば、すべての理屈は吹っ飛びます。それはそうです。理屈も信念も、すべて今の私が様々な経験や学識や知恵で練り上げたものであり、それは死と共に必ず崩れ去るものだからです。そして死を前にすれば、当然ながら「いかに生きるか」は意味を為さなくなります。その時問題になるのは、「死んだらどうなるのか」の一点のみです。
 親鸞聖人の教えは、その「死んだらどうなるのか」の大問題に、明らかな解決をもたらすものだということです。




>一切皆空について


 順番が入れ替わりになりますが、上の話と関連があると思いますので、歎異抄第二章の前にこちらについて述べたいと思います。


>「原子」「素粒子」まで行っても結局実体はなく、すべて「概念」でしかない。それを仏教では「一切皆空」と教えるわけです。


 11月5日のコメントで私はこのように書いたわけですが、それに対し、eminusさんから


>ぼくの理解では、仏教でいう「一切皆空」とは、「すべてが概念だ。」といってるんじゃなく、「すべては縁起だ。」って意味です。「概念」と「縁起」とはぜんぜん違う。


 とご指摘を頂きました。これに関しては、私の書き方がまずかっただろうと思います。
 冗長になってしまうのでここに長々と引用することは控えますが、11月5日のコメントの要点は「我々は概念で物を見るが、その概念とは森羅万象の真の姿を映したものではない」ということで、「一切皆空」は「物の真の姿」を映した仏語ですね。従って、上のコメントで「それを仏教では『一切皆空』と教えるわけです」と述べた「それ」とは「結局実体はなく」の部分のみを指して言ったつもりだったのです。仏語を使えば、「概念」は「迷い」と言うべきでしょう。


 仏教に従えば、「森羅万象、一切のものには実体はなく、成住壊空を繰り返す」ということになりますが、eminusさんが言われた「すべては縁起だ」というのは、この「成住壊空を繰り返す」の部分をそのように表現されたのだと拝察します。その意味では、eminusさんのご説明におかしな点は感じませんでした。ただ、私の「空」についての理解をもう少し詳しく述べてみると、「実体はなくとらえられないが、無ではなく確かに存在しているもの」を「空」と説かれたのだと理解しています。「『ある』と言った瞬間、人は概念(=迷い)でそれを捉えてしまうので、『ある』とは言えないが、『ない』とも言えない、万物の真の在り方」を指す仏語だと思います。・・・まあこの辺が私の限界ですがw




 ところで、eminusさんが感じておられる「齟齬」とは結局のところ、「私は死後どうなるのか」という問題に行き着くと思うのですが、eminusさんは「仏説では、死ねば私たちの意識(これは阿頼耶識、と言うべきですね)は霧散して自我が保てなくなる、と教えている」とお考えですか? それとも、「仏教では死後も自分が残ると教えているが、自分はそう思っていない」ということでしょうか?


 とりあえず仏教では、明確に「死後、自分は残る」と教えていますね。そうでなければ、六道輪廻も往生浄土も地獄化生もすべて比喩ということになって意味を為さなくなります。
 親鸞聖人の『正信偈』に、インドの龍樹菩薩(ナーガルジュナ)について述べられた部分があって、そこでは


「悉能摧破有無見(ことごとくよく有無の見を摧破し・・・有の見、無の見をすべて打ち破られた)」


と説かれています。
 ここでいう「有の見」「無の見」とは、「常見外道」「断見外道」ともいい、「死後がある」「死後がない」どちらも外道の教えだということで龍樹菩薩はことごとく打ち破られたということです。どっちやねん、て感じですが、これに関しては、阿含経に、極めて簡潔に答えられた仏語があります。


「因果応報なるがゆえに来世なきに非ず、無我なるがゆえに常有に非ず」


 一切衆生は因果の道理に従って善果悪果を受け続けるものだから、死ねばなくなるわけではない。ただし諸法無我が真理であるから、今の自分が続くわけでもない、すなわち「今の自分はこの世だけの仮の姿であるが、善果悪果(すなわち幸不幸)を受ける自分は死後も残り続ける」と教えるのが仏教である、ということです。
 ここの部分は全ての仏教に通ずる教えですので、ご存知かもしれません。ただ解釈が違うのでしょうか?




>ぼくなんかとも話を続けてくださってるんだと思います。それはたいへんありがたいことです。


 もっと長く引用すべきですが、冗長にならないように失礼ながら省略。
 ご温言痛み入ります。ただまあこれは、本当にお恥ずかしい限りなんですが、おっしゃる通りそのおかげでeminusさんともお話しできたわけで、悪いことばかりでもないのかな、と自分でも思います。
 まったり進行だとは思いますが、これからもよろしくお願いします。<(_ _)>






☆☆☆☆☆☆☆




ぼくからのご返事
20.11.16
「司馬さんとミシマの威を借りて」






 その小説ってのは例えばnoteなんかに発表されるおつもりでしょうか。だったらぜひ読みたいですね。
 しかし小説を書くなんてのはそれこそ煩悩の為せる業だと思うし、たしか寂聴尼もそんな意味のことを仰ってたはずですが、されど日本文学には今も昔も「僧侶にして作家を兼ねる」という方々が少なからずいらっしゃるわけで、たぶん執筆の動機はそれぞれに異なるだろうから一概には言えないでしょうけど、キリスト教圏における「信仰と文学とのかかわり」という巨大なテーマ(西洋の作家はほぼ全員が大なり小なりこのテーマを抱えて小説を書いているといってよい)と考え合わせても、興味ぶかい問題であります。


 わたくしは《非―信》のサイドにポジショニングをしているので、親鸞という方を絶対視せず、たとえば「日本思想史」といった広いフィールドのなかで語らせていただきます。まずはそのことをご了承ください。
 とりあえず一般論として、「不信のままでいいんだよ。」と言ってのける宗教者ってものはそりゃいないでしょうね。akiさんの言われるとおり、それは宗教ではない別の何かでしょう。ところで司馬遼太郎さんは、新潮文庫の『司馬遼太郎が考えたこと 6』所収のエッセイでこう書いてます。


 本願寺は周知のとおり親鸞のひらいた浄土真宗を法義としている。日本の宗教者のなかで親鸞ほど自分の思想に厳格さをもった人間はまれで、かろうじて道元くらいなものだったかもしれない。親鸞は念仏往生を説きながら、念仏すれば浄土に往けるとは断定しなかった。親鸞自身死んでそれを試したわけではなかったからである。「往けるかもしれない」といった。さらにかれの厳格さは念仏のほかの自力雑行をいっさい捨てたことで、神頼みも呪(まじな)いも坐禅も祈祷もいっさいいけないという立場をとり、ひたすらに念仏をとなえ、その唱える念仏すら浄土へ往けるための呪文ではないとした。
 このため親鸞一代は教団というほどの勢力をなさず、裏店の説教所程度のものだった。その子孫は代々貧窮した。本願寺がにわかに日本最大の宗旨になったのは第八代蓮如からであり、蓮如は戦国乱世のあらゆる時代的要素を利用して津々浦々の農村に講をつくり、講の組織者として僧を送り、講を武力から防衛するために一見砦のような真宗式の寺をつくり、その寺々のうえには大寺をつくって分国ごとの管理をさせた。
 蓮如は宗教者というよりも、その時代のたれよりも政治家だったし、アジテーターでもあった。かれは大膨張のために多少とも親鸞の教義を曲げざるをえなかった。しかしそれでも呪(まじな)いをすすめるということはなく、むしろ俗信や呪術に対し一向念仏の一向をたかくかかげて積極的にたたかった(後略……)。


 引用ここまで。




 司馬さんらしい省略や誇張もあるので色々とツッコミたいかもしれませんが、本筋において正当な要約であると思います(この記事を読むほかの方々のために補足しておくと、親鸞と蓮如とのあいだにはほぼ250年のひらきがあります)。
 ぼく自身はまだ「13世紀の民衆社会における鎌倉仏教のありかた。およびその中で親鸞の果たした役割」といった主題についてさほど明瞭な像が描けてはいないので、ふにゃふにゃした言い回しになってしまいますけども、親鸞ってひとは救いを求めてやってくる人たちには全霊を尽くして平安を与えるべく努めたけれども、自分から一大勢力を成そうと獅子奮迅されたタイプとは思えないですね。
 前回ぼくの述べたことは、とりあえずそういった意味に取っていただければと思います。
 ただそれでも、「救いを求めて彼のもとにやってくる人たち」は少なからぬ数に上ったであろうとは思っています。それは、当時の民衆にとって「死」というものが今日のわれわれからは想像もできないくらい切実なものだったから。飢饉もあれば戦乱もあれば悪疫もある。暴力や抑圧やら理不尽やらも、日常として在ったでしょう。「死」が身近なればこそ、「宗教」ってものが身近になる。というか、みんなそれを「宗教」とすら感じてなかったでしょうねたぶん。
 やっぱりぼくは、「現代人(21世紀人)」と「中世人(13世紀人)」とを「同じ人間じゃないか!」みたいなノリで一緒くたに論じることに抵抗をおぼえるんですね。それなりに安定した社会で安定した生活をおくる今日のぼくたちと、「末法」とすら呼ばれた世の中で救いを求めて親鸞のもとに集まった信徒(なかにはファンっていうか、信徒未満のひともけっこういたと思いますが)の皆さんとはやはり全然別物だろうと思います。そこは分けとくべきではないか。
 そんなふうに思ってるせいか、このたび頂戴したコメントのなかで、ぼくの

>「全人類にとって最終的な大問題」というものがもし在るとするならば、それは「死」ではなくて「生」ではないでしょうか。「いかに生きるか。」ということです。

 というフレーズに答えて下さったくだりは、全文のなかでもっとも長いパラグラフなんですけども、正直ここは何度か読み返しても意味がすっきり届いてきませんでした。akiさんからのコメントでこれまでそんなことはなかったので、それはそれで逆に興味ぶかかったんですけども。
 このパラグラフで述べられていることは、前のご返事でぼくがハイデガー(1889 明治22~ 1976 昭和51。ナチスに加担したとして戦後ドイツでは一時忌避されたが、それでもおそらく20世紀最大の哲学者で、今もなお世界の哲学者たちに影響を与え続けている)のことばとして引用した、




人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣(つか)えない。
死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。




 っていう簡潔な一節に収斂できると思うんですが、それでなにか足りないところはありますか? ちなみにぼくは、「死」というものを「安寧」「静寂」「慰安」といったイメージで捉えているので、前にも書いたと思いますが、恐れや不安はほんとにないんですよねえ……。ただ、ハイデガーさんの提言にならって、「自分の可能性を見つめ」るために、ふだんから「自身の死」については自分なりに考えてるつもりですけどね。「そんなんじゃだめだ。生温い。」と言われるのなら、それはそうかもしれないけれど、とりあえず不都合は感じていないので、当面は、現状のまま行くしかありません。


 それで、「一切皆空」および「仏教における死の観念」についてなんですが、このたびのコメントに書かれていることを踏まえたうえで、またしても文豪の威を借りるわけですけども(笑)、大好きな三島由紀夫の『豊饒の海 第三部 暁の寺』より、新潮文庫版29頁から30頁にいたる文章を引用いたします。




 (……前略)
 学者の説くところによれば、印度の宗教哲学は、次のような六期に分(わか)たれる。
 第一期は梨倶吠陀(リグヴェーダ)の時代である。
 第二期は祭壇哲学の時代である。
 第三期はウパニシャッド(奥義書哲学)の時代で、西暦紀元前八世紀から五世紀に及び、梵と我(アートマン)の一体を理想とする自我哲学の時代であるが、輪廻(サムサーラ)の思想はこの時期にはじめて明瞭にあらわれ、これが業(カルマ)の思想と結びついて因果律を与えられ、我(アートマン)の思想と結びついて体系化されたのである。
 第四期は諸学派分立時代である。
 第五期は、紀元前三世紀から紀元一世紀にいたる小乗仏教完成時代である。
 第六期はその後五百年に亘る大乗仏教興隆時代である。
 問題はその第五期であって、本多(eminus注・この小説の主人公。もと判事で今は弁護士)がむかし親しんで、輪廻転生を法の条文にまでとり入れていることにおどろいたマヌの法典は、正にこの時期に集大成されたのであるが、同じ業思想でも、仏教以後の業思想は、ウパニシャッドのそれとは劃然(かくぜん)とちがっている。どこがちがっているかというと、我(アートマン)が否定されたのである。仏教の本質は正にここにあると謂ってよい。
 仏教を異教と分つ三特色の一つに、諸法無我印というのがある。仏教は無我を称えて、生命の中心主体と考えられた我(アートマン)を否定し、否定の赴くところ、我(アートマン)の来世への存続であるところの「霊魂」をも否定した。仏教は霊魂というものを認めない。生命に霊魂という中心の実体がなければ、無生物にもそれがない。いや、万有のどこにも固有の実体がないことは、あたかも骨のない水母(くらげ)のようである。
 しかし、ここに困ったことが起るのは、死んで一切が無に帰するとすれば、悪業によって悪趣に落ち、善業によって善趣に昇るのは、一体何者なのであるか? 我がないとすれば、輪廻転生の主体はそもそも何なのであろうか?
 仏教が否定した我の思想と、仏教が継受した業の思想との、こういう矛盾撞着に苦しんで、各派に分れて論争しながら、結局整然とした論理的帰結を得なかったのが、小乗仏教の三百年間だと考えられるのである。
 この問題がみごとな哲学的成果を結ぶには、大乗の唯識を待たねばならないのであるが、小乗の経量部にいたって、あたかも香水の香りが衣服に薫じつくように、善悪業の余習が意志に残って意志を性格づけ、その性格づけられた力が引果(eminus注・「因果」ではなく、三島はこう書いてます)の原因になるという、「種子薫習(しゅうじくんじゅう)」の概念が定立せられて、これがのちの唯識への先蹤をなすのだった。
(後略……)




 引用ここまで。




 さすがに東大の法学部を首席で出た大秀才だけあって、的確な要約ですね。『豊饒の海』4部作は輪廻転生(というか生まれ変わり)をモチーフにしていて、ミシマってひとは神にも仏にもまったく救いを求めるタイプじゃないんだけれど、そのためにだけ仏教思想を猛勉強したわけですね。文壇の先輩であり盟友でもあった武田泰淳……この方も滅法アタマのいい人で、浄土宗の僧侶でもあり、中国文学者でもありましたが……から話を聞いたり、参考文献を教えて貰ったりと、いろいろ教示を受けたと聞いていますが。
 『豊饒の海』の第三部である「暁の寺」は1968年から1970年にかけて雑誌「新潮」に掲載されたので、この文章も50年ほど前のものってことになるわけですが、今でも十分通用するでしょう。仏教思想にかんするぼくの認識もおおむねこんなところです。
 そこでakiさんからの


>(前略……)eminusさんは「仏説では、死ねば私たちの意識(これは阿頼耶識、と言うべきですね)は霧散して自我が保てなくなる、と教えている」とお考えですか? それとも、「仏教では死後も自分が残ると教えているが、自分はそう思っていない」ということでしょうか?


 というご質問にお答えさせていただくならば、この二択でいえば後者ですね。仏教ではこのように教えていますが、これについてはまったく納得できないです。「なぜ納得できないか。」については、長くなりすぎるので別の機会に譲りたいと思いますが……。
 そうは言いつつ、①思想のありかたとして興味はあるし、②《信》とか「超越」とか「聖なるもの」の放つ眩い光彩のようなものにはずっと心を惹かれ続けているので、《非―信》のサイドに留まりながらも、仏教にもキリスト教にもイスラームにも、またそのほかの宗教についても、ひきつづき関心をもって勉強をしていきたいと思っています。まったり、ゆっくり進行でぜんぜん構いませんので、よろしくお願いいたします。


この記事の続き。
20.11.17  akiさんのコメントと、ぼくからのご返事「ハイデガーのほうへ。」