2020年11月10日にテレビ放映された第三期『おそ松さん』のAパート「まあな」は、ドラッグストアの女性店員に親切にされた末っ子のトド松と次男のカラ松がすっかり勘違いして岡惚れしてしまい、ひとしきり煩悶のあげく2人同時に交際を申し込みにいってあえなく玉砕。というおマヌケかつ切ない話。Bパートの「帰り道」ともども、この週はギャグ控えめで真面目っぽい(シリアスというほどではない)回になっていた。
「それにしても、若い女性に優しくされて、(あれっ、この子おれに気があるのでは?)と誤解するなんて、現実にもありがちな話だけど……待てよ、こういうシチュをずばっと言ってのけた江戸の川柳ってなかったか?」と思い、ちょっと調べて見つかったのが今回のサブタイトル。
「愛想のよいを惚れられたと思い」
あいそ、では語呂が悪いから「あいそうの……」と読むんだろうが、これは上手いね。これでもう言い尽くしてるようなもんだけど、さらに駄目押しで、たとえば「馬鹿がにやけて一人やきもき」とでも下の句を付ければ、情けない絵面が浮かび上がって、若い男たちにとっては軽挙妄動の戒めとなるのではないか。いや、なにも若い男とは限らぬか。中年でも、はたまた老年であっても、誰にだって起こりうることだ。誰しもが生活のなかに多少の潤いを求めているし、かつはまた、些かなりとも自惚れ鏡を胸の内にもってるもんだから。
そんな勘違いヤローを発生させたら面倒だってんで、近ごろの若い女性なんてぇものは、みんな怖い顔して街なかを歩いてますよね。むろん、ビジネスやなんかで利害関係のある相手ならともかく、袖がすりあうていどの輩にたいして愛想よくする謂われはまるでないんで、それはそれでいいんだけども。
「男は度胸、女は愛嬌」なんてのは昔の諺で、これだけ社会進出を果たした以上、そこには女も男もない。オトコのほうだってべつに無関係な相手に愛想使ったりしないんだから、そこは同じことだよね。
ま、社会全体のムードとして、ギスギスはしますがね。
ま、社会全体のムードとして、ギスギスはしますがね。
ぼくだって、もっと若くて様子のよかった時分は(笑)、歩いててちょっと肩が当たったりしたら「あ。すみません」と言って相手のほうを見て口角を少し上げたりしたもんだけど、最近の空気からすると、なめられる、あるいは、薄気味悪がられる、のではないかと思って「どうも」とか口の中でぼそっと言って足早に立ち去りますもんね。それくらいが今の時代の距離感でしょう。平成の30年を経て、ずいぶん空気が変わったね。こういうのは皮膚感覚なもんで、あまり言語化されないんだけど、一応は社会学の範疇じゃないかと思うんだけども。
そんな話題はさておいて、川柳ってのはほんとに人情や世帯風俗の機微をみごとに突いてますよね。そっちの話をしたかったんだ。
和歌ってものは貴族(公家)にとって「詩」すなわち「美の結晶」である以上に、「社交の具」であったわけでしょう。むしろ武器っていうべきかな。詩才を認められるってことは、たんに名誉だけじゃく、まさに死活問題でもあったわけですよ。定家だって、家柄は貧乏貴族なんだけれども、その創作と鑑賞(批評)の才によって栄達を遂げたわけでさ。
時代が変わって武家の世になり、室町あたりで「連歌」ってのが盛んになってくる。これはもう宮廷なんかではなくて、町なかに下りてきてるわけだよね、詩が。いろいろな階層の人を交えた講(結社)の中で、遊びとしての詩がやり取りされる。
川柳ってのはさらに下って、やはり「町人」のものだよね。いかにも江戸って感じがする。余裕もあるしさ。
こっちのは、結社の中のものってんじゃなく、むしろもっと開かれてますよね。『誹風柳多留』なんてね、正確な出版部数は知らないけども、けっこうみんな読んでたんでしょ。「おっ、こいつァ上手ぇこと言やァがったな。」「わかるねェ。」てなもんでね。今でいう「あるあるネタ」の宝庫だったりもしたと思う。
あとね、もっと口承文芸に近いところで、「端唄」ってのがあるでしょう。それと都都逸。このあたりに今すこし興味があるんですけどね。
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
なんて、いいよね。これは五七五じゃなく、七五七五なんだけど、リズムに乗って心地よい。五七五とか七七に拘らずとも、定型にさえ収まってれば、どう切っても口調がいいんですよね。
春、夏、秋、冬の四季折折で、ちょいと一句ずつ選(よ)ってみましょか? どうせならちょいと色っぽいのを……。
「浮気うぐいす梅をばじらし わざと隣の桃に鳴く」
「朝咲いてよつに萎れる朝顔さえも 露に一夜の宿を貸す」
「色は良けれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる」
「重くなるとも持つ手は二人 傘に降れ降れ夜の雪」
よござんしょ? いや、芭蕉も蕪村もそりゃ凄いけど、ほとんどが「読み人知らず」の扱いになってるこの手の文芸作品に何故かしら興味がわいてる今日この頃でございます。
川柳ってのはさらに下って、やはり「町人」のものだよね。いかにも江戸って感じがする。余裕もあるしさ。
こっちのは、結社の中のものってんじゃなく、むしろもっと開かれてますよね。『誹風柳多留』なんてね、正確な出版部数は知らないけども、けっこうみんな読んでたんでしょ。「おっ、こいつァ上手ぇこと言やァがったな。」「わかるねェ。」てなもんでね。今でいう「あるあるネタ」の宝庫だったりもしたと思う。
あとね、もっと口承文芸に近いところで、「端唄」ってのがあるでしょう。それと都都逸。このあたりに今すこし興味があるんですけどね。
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
なんて、いいよね。これは五七五じゃなく、七五七五なんだけど、リズムに乗って心地よい。五七五とか七七に拘らずとも、定型にさえ収まってれば、どう切っても口調がいいんですよね。
春、夏、秋、冬の四季折折で、ちょいと一句ずつ選(よ)ってみましょか? どうせならちょいと色っぽいのを……。
「浮気うぐいす梅をばじらし わざと隣の桃に鳴く」
「朝咲いてよつに萎れる朝顔さえも 露に一夜の宿を貸す」
「色は良けれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる」
「重くなるとも持つ手は二人 傘に降れ降れ夜の雪」
よござんしょ? いや、芭蕉も蕪村もそりゃ凄いけど、ほとんどが「読み人知らず」の扱いになってるこの手の文芸作品に何故かしら興味がわいてる今日この頃でございます。