ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第6回・丸山健二「バス停」その⑦

2016-03-18 | 戦後短篇小説再発見
 この「バス停」が娘と母との関係を描いた作品であるのは間違いのないところだが、これを書いた丸山健二はご存知のとおりオトコである。そして、これを論じているぼくもまた、ご存知かどうかはわからぬが、いちおうオトコってことになっている。だから「母娘関係」というものを内在的に(おっ、難しい言葉が出たな)理解できてるわけではない。いうならば、外側からみているだけなのだ。じっさいに娘として、母として、さらにはその両方の立場で人生を送っておられる方々からすれば、「なんかちょっと違うね」と思われるところもあるかもしれない。あるいは、「いやけっこうよく描けてる」と思われるかもしれない。そこのところはわからない。まあ個人差もあるだろうし。
 精神分析学の祖であるフロイトが熱心に取り組んだのは「父と息子」の関係であって、その理論は19世紀末のウィーンにおいて練り上げられた。それから百年あまりが過ぎ、世界のどこかで、どなたか女性の俊英が「母と娘」の関係を基底に据えた精神分析学を打ち立ててもよかったように思うのだが、「これぞ」というほどのものはまだないようである。まるっきり皆無ではないのだが、ぼくのような素人でも使えるくらい汎用性の高い理論はないようだ。だから母娘関係というテーマについて掘り下げたいなら、きっちりした学問体系を求めるより、それこそ小説や詩の形式で女性の作家(ないし詩人)が取り扱っている事例を集めるほうが有益なようである。
 卑近なところでは、川上未映子の「乳と卵」(芥川賞受賞作)はそうとう面白かった。あと、こちらはベテラン作家だが、富岡多恵子の「動物の葬禮」という短編もちょいと凄かった。他にももちろん色々ある。思うに、むしろこのテーマに関しては、日本でも海外でも、これからどんどん大変な作品が出てくるのかもしれない。広大な鉱脈がまだ眠っているのかもしれない。
 さて。怒鳴り散らして母を追い返し、炎天下の田舎道、娘はたった一人になった。

 バスは来てくれなかった。時間になってもあたりはしんと静まり返っていた。動くものは何ひとつなかった。ここのバスが遅れることなど当たり前だったが、遂にあたしは癇癪を起してしまった。

 「遂にあたしは癇癪を起してしまった。」と丸山さんは書くのだが、遂にもなにも、ここまででも十分、彼女の態度は「癇癪」という表現に当てはまると思う。でもそれは些細なことで、たんなる揚げ足取りである。先に進もう。遂に癇癪を起した彼女は、ハンドバッグを頭の上で振り回す。


 ハンドバッグをぶんぶん振りまわして、あたしは二人の女に襲いかかった。髪を振り乱し、甲高い声でわめき、閉めたばかりのお店の中でふたりを追いかけまわした。誰もが面白がって、あたしをとめようとしなかった。ひとりの女は方言を真似てあたしをからかったのだ。そしてもうひとりの女はこう言った。その顔でよくこの商売がやれるもんだ、と。


 「ハンドバッグを振り回す」という動作を仲立ちとして、過去の記憶がフラッシュバックする。映画やドラマやアニメなど、映像表現でよく使われる手法である。シネフリーク、ドラマ好き、アニメファンなら三つや四つの事例はたちまち思い浮かぶのではないか。ぼくは残念ながらすぐには出てこない。……いや、似たような手法で、主役の女の子が手に持ったバスケットボールが、夜空に浮かぶ月のイメージに重なるってのがあったな。「ゴダールのマリア」だ。あの時の「月」はまた女性の象徴でもあり、それが彼女の処女懐胎を示唆している……という手の込んだイメージ操作だった。このように、いくらでも多層的に意味を重ねることができるので、とても有効な手法なのだが、小説のなかでこれほど巧みに使われている例を見るのは、じつはそんなに多くない。
 ここで召喚された記憶が、都会における彼女の生存競争の厳しさの説明になっていることはいうまでもない。それで彼女は訛りを直し、おカネをかけて顔もいじった。それでもお客の少ない日には誰もが苛立ち、仲間の女たちとの揉め事はしょっちゅうで、そのたびにあたしはハンドバッグを振りまわした、とさらに彼女の回想はつづく。
 むやみに振り回したものだから、ハンドバッグの留め金が外れ、化粧道具がこぼれ落ち、そればかりか財布の中身が宙に舞う。これは回想の中の話ではなく、いま現在の出来事である。一大事だ。さいわい風はなく、札はまわりに散らばっただけだが、それでも彼女は焦りに焦り、這いつくばって拾い集めた。何度も何度も数え直すが、どうしても一枚足りない。草むらのあちこちをかきわけ、半狂乱になって探し続ける。そしてようやく、ついさっき母にあげたことを思い出す。


 お金を財布にしまいこみ、財布をハンドバッグの底へ入れ、ハンドバッグをしっかりと抱きしめた。赤ん坊でも抱くようにして胸にぎゅっと抱きしめた。


 この「赤ん坊でも抱くようにして胸にぎゅっと抱きしめた」という表現がたんなる常套句ではなくて、それ相応の重さをもっていることは、ここまで今回の連載を読んで下さっている方には重々おわかりであろう。「母と娘」というモティーフが反復されているのである。そしてもちろん、彼女にとっておカネがこれほど大事なのは、この世界においてほかに何ひとつ、というか、だれひとり、頼れるものがいないからだ。それゆえに、ここで彼女が母のことに思いを致すのは当然ともいえる。


 家に向って歩いていく母の姿をあたしは想像した。想いたくもないのに想った。追いかけて行きたくなった。追いかけてまた小遣いをあげたくなった。近いうちにまた来るからと約束して、札を一枚ふところへねじこんでやらなければ気がすまなかった。


 母にひどい仕打ちをしたと思って、反省してるわけだけど、どうしても「おカネ」という発想から逃れられない娘さんなのである。バスは一向に来る様子がない。暗い谷間から涼しい風が押し寄せて、からだのなかを吹き過ぎていく。それでも暑さに変わりはない。しかし、やがて彼女はがたがたと震えはじめる。


 あたしは震えていた。まるで首振り人形みたいにのべつ頭を回して辺りを見た。


 だが、ここにいるのはあたしひとりだった。無視してくれる者さえいなかった。


 あたしは震えつづけた。病気でもないのに、夏の真っ盛りだというのに、ひどく寒く感じられた。体全体の力が脱(ぬ)けてしまい、苛立つ元気もなくなり、太陽に負けてぼんやりとしていた。日射病にやられたのではないかと思ったくらいだった。

 日射病(この用語はこのあと「熱射病」から「熱中症」へと変遷した)ではなく、たぶん軽いパニック障害みたいな状態だろうけど、彼女にとって、こういう感じは久しぶりだけど初めてではなかった。村を離れて都会に出て行ったとき、ちょうどこんな感じだったというのである。木造アパートの隅っこで、あるいは終電車の中で、よく震えたり泣いたりした。デパートの売り子をやってた頃は、周囲にある何もかもが恐ろしく、冷たく、空々しかった。
 しかし、それはみな以前のことだ。デパートを辞め、その手の店で働くようになり、そこで生き抜いてきた自分は、もう十分な自信を身につけたはずなのだ。それがどうして、こんなところで震えていなければならないのか……。
 語り手である20歳の娘さんにはわからないことでも、読み手であるいい齢のオヤジさんには(オレのことね)よくわかる。それは故郷に帰って懐かしい顔ぶれと再会しながらも、しかし誰とも心が繋がっていないことに気がついてしまったから、さらには両親、とりわけ母親との繋がりまでも、自らの手で断ち切ってしまったからだ。
 もしかすると、これまでは心のどこかに「最後の逃げ場所」としての故郷のおもかげがひそんでいたのかもしれない。しかし彼女は、今回の帰郷ですっかりそれを潰してしまった。いうならば自分から故郷を捨てた。だからそんなに寂しいのだ。「寂しい」というベタな単語は、さすが丸山さんは間違っても使っちゃいないけれども。
 とうとう娘は、さっきの男がもういちど現れないだろうか、とさえ思う。あのクルマがまた目の前を通ったら、あたしは手をあげてとめるだろう。そして、男が何も言わないうちに、こちらからさっさと助手席に乗り込むだろう……。
 あれほど警戒し、嫌ってもいた相手のクルマに身を委ねるというんだから、孤独もここに極まれり、というべきであろう。