ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第6回・丸山健二「バス停」その⑥

2016-03-17 | 戦後短篇小説再発見
 この短篇は☆をはさんでぜんぶで4つのパートに分かれており、ふつうこれは起・承・転・結ってことになるわけだけど、そうなると、例のおっさんがクルマで通りかかってしばらく居座るくだりが「承」で、「承」ってぇものは「起」で語り起された話を引き継いで次に運ぶためのパートであるから、さほど大したことはない。あの男の登場がこの作品にとって本質的な「事件」ではなかったことがここからもわかる。男が去って、彼女があらためて母親と二人きりで向き合うパート、すなわち「転」に当たるこのパートこそが肝要なのだ。
 自分でも予期しなかった衝動に駆られて札を一枚わたした娘は、それを押しいただいて地下足袋の底にしまい込む母の姿を眺めるうち、神経がどんどんささくれ立ってくる。

 母はひからびていた。同じ生活を繰り返し繰り返しているうちに、冬の草のようにぐったりとなってしまっていた。あといくらも生きられないだろう。

 母はもうとっくに死んでいるのかもしれなかった。何年も前に、本人も知らないあいだに、周囲のものも気づかないうちに、死んでいたのかもしれなかった。そして今は、あたしに小遣いをもらうときだけ生き返っているのではないのか。

 しかし彼女がまだ20歳なら、母親のじっさいの年齢なんてせいぜい50前じゃないのか。よほど晩婚だったのか、もしくはこの時代(たぶん昭和50年くらい)、この村の平均寿命が今よりずっと短かったのか。いずれにしても、いかに外見が老け込んでいたにせよ、「あといくらも生きられない」とは穏やかでない。これはつまり、生き馬の目を抜く都会で揉みくちゃにされている娘が、村人たちのスローライフぶりに勝手に腹を立てているってことだ。単調な日々の繰り返しを黙々と生きるライフスタイルが、まるで覇気のないものだと彼女の目には映っている。そのムシャクシャが、目の前にいる母に向かっているわけだ。


 暗い谷からの涼しい風がぱったりと途絶えた。あたしの体はまた汗にまみれた。蒸気のなかで二年も働いてきたのだから、汗には慣れているはずだった。だが、まともに太陽に照りつけられるのは我慢できなかった。


 暑熱が募っていよいよ娘のボルテージが上がると共に、彼女が都会でその手の店に勤めていることが示唆される。いま「ソープランド」と称されているその手の店は、作中には明記されていないが、当時は「トルコ風呂」と呼ばれていた。たしか80年代半ば、トルコ人の方からの苦情を受けて改称したと記憶している。ぼくはそのような神聖な場所に足を運んだことはないのだけれど、花村萬月の『惜春』(講談社文庫)でその実態の一端にふれた。これは近畿にある有名なソープ街を舞台にした絶品の青春小説で、残念ながら今は版元品切れのようだが、面白いこと請け合いである。
 話を戻そう。ひとりで苛立ち、立ったり座ったり県道の向こうを眺めやったりと、フライパンで煎られる豆みたいになってる娘に対し、母はのんびりと落ち着き払っている。

 母はヨモギの上に腰をおろし、手足を縮め、さかんに眼をしばたかせて、あらぬ方を見ていた。その姿は例の桶におさめられるときの格好によく似ており、また、仔を抱きしめた母猿にもそっくりだった。
 あたしは怒鳴ってしまった。


 「例の桶(おけ)におさめられる」とは埋葬のことであり(この村は土葬らしい)、いっぽう、「仔を抱きしめた母猿」とは、幼子を慈しんで育てるイメージである。この相反するふたつのイメージを、このとき娘は母親の姿にいっぺんに見る。そして怒鳴る。(まだ到着の時刻でないことを承知しながら)バスが遅いと怒鳴り、タクシーにすればよかったと当たり散らし、時間まで家でゆっくりしていればよかったのだ、と罵る。


 そうだった。三日前に二年ぶりで母の顔を見た時から、あたしはそうしたかったのだ。こんな退屈なところで三日も過したのは、母を怒鳴りつけるきっかけをつかむためだった。父も怒鳴ってやりたかった。近所の人たちもだ。それで生きているつもりなのか、と大声で言ってやりたかった。


 目の前の母親の姿に「死」と「育児」という相反するふたつのイメージを見た直後、まるで箍(たが)が外れたように情動を暴発させるここのくだりは滅茶苦茶にうまい。ここで娘の内面に起ったことをもし詳細に記述したいなら、ラカンやら何やら、現代精神分析学の最先端の知見を総動員して、この「バス停」というテキストの五倍くらいに当たる枚数のレポートができあがるのではないか。それほどの深淵を、たったこれだけの記述の奥に潜めさせることができるのが、小説というジャンルの凄みなのだ。
 しゃがんでいる母親の周りをぐるぐる回って、彼女は怒鳴り続けるが、冷静にひとつの情景として思い描くと、そのさまはむしろ絵柄としては滑稽である。ひとことでいえば、ようするに、娘はここで母親に甘えているわけだ。「三日前に二年ぶりで母の顔を見た時から」、彼女は母親に甘えたかったのである。だけどそのやりかたがわからない。それがこんなかたちで噴出しているのだ。
 母親は、べつだん心理学に精通した学者先生ではないが、そのへんのことが何となくわかっている。理由はもちろん、母親だからである。だから素知らぬふりをして、なにも聞こえぬかのように、「あたし」を相手にしない。
 しかし、そんな母の態度を「無視された」と受け取った娘は、さらに激昂し、「子どもじゃないんだから、バスくらいひとりで乗れるわよ!」と、強引に母を追い返す。母はしばらくためらったあと、引きずるような足どりで細い坂道を下っていく。途中でも、何度となく立ち止まったり、振り返ったりしてしきりにこちらを気にしている。そのたびに娘は取り乱し、わけのわからないことを叫んだり、足元の小石を蹴飛ばしたりする。そうとうなご乱心である。



 母の姿が土手の下へ隠れたときにでもバスが来てくれたら都合がよかったのだ。そうすればあたしはせいせいした気分で、冷えた缶ビールからふたたび始まる生活へと戻って行けただろう。


 実際それはそうかもしれない。このまま母と別れていたら、娘は自分がどれほど母親を求めていたか気づかぬままに、そのまま忘れてしまったかもしれない。そして、ひょっとしたらこの次に郷里に戻るのは、それこそ母親の葬儀の際であったかもしれない。ひととひととの関係ってものには、たしかにそんなところがある。ひょんな偶然に左右される。思ってる以上に儚いものだ。
 しかし、幸か不幸か、バスはまだ来ない。


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