< 第2話 > 日本・オーストラリア混成チーム
初めてポートモリスビーに到着した翌日、調査現場まで、単発のセスナ機の定期便で飛び、1週間ほど、本当に豚小屋みたいな掘っ立て小屋に泊まり、川の水を汲んだシャワーを浴びながら、本格調査の前の現地踏査を済ませてから、6ヶ月。再度、ニューギニアに入国し、いよいよ、本格的な業務が始まった。
ご存知のように、ニューギニアは、年間雨量は6-9000mmと、非常に雨の多い国。日本の2-3倍の豪雨地帯である。この雨は、熱帯雨林を形成し、中央に連なる山々を縫うように大河に流れ込む。この豊富な流れを堰きとめ、超大型の水力発電計画が日本・オーストラリア共同で推進され、安い電力を利用した電力消費型工業団地・港湾も建設しようという壮大なプロジェクトである。
私の仕事は港湾適地の選定、桟橋等の施設計画である。オーストラリアとのJVであるので、当然、相方はオーストラリア人。私は若輩者なので、この相方は私の直属の上司となる。名前はジョン。1m90cmはある、少し禿げてはいるが、若禿げで、多分、40歳前。気の優しいオジサン。後で気がつくが、新婚に近く、奥さんと一緒に、数ヶ月の坊やが貸家で毎日パパの帰りを待っている。日本人と違い、どんな山奥でも家族は一緒。その時は本当にうらやましいと思ったものだ。
我々港湾班は、日本人二人、オーストラリア人二人の合計4人だが、ダム・送電線・道路等の専門家は全員で20名近く。チームリーダーは日本人一人、オーストラリア一人。両方ともCo-Team Leaderと呼ばれる。オーストラリアのリーダーはケーリーブラントなみの英国紳士、一方、日本のリーダーは後で社長になるのだが、いわゆる村の神童タイプ、東北ゆずりの、粘りと気風はひといちばい。事務所内の言葉は勿論英語。日本人同士でも英語。
オーストラリア人同士は皆ニックネームで呼び合う。日本人名は呼びづらいとのことで、私は洗礼名の“ドミニック”と呼ばれ、同期の一人は、何故か“シャイアン”、アパッチインデアンではあるまいし、でも、シャイアンと言われると反応する。郷に入れば郷に従えだろうか、ニューギニアはオーストラリア人にとって、近くの田舎的な感覚かもしれない。皆、リラックスしているが、日本人は緊張気味。。
上司に限ったことではなく、オーストラリア人は皆でかい。1m80cm以下は少ない。Co-Team Leaderは2mあるかもしれない。そして足が長い。暑いので、全員半ズボン。しかも、英国流にハイソックス着用。彼らのサマールックは様になるが、日本人は長い胴体の下に猿股と靴がチョコチョコ動いている。これで、少々コンプレックスを感じる。英語で苦労し、スタイルで苦労し、まだ色々あるが、徐々にお知らせしましょう。事務所の勤務開始は午前7時30分、終了は4時。毎朝、Good Morning John!! ここの英語は、事務所帰りに、オーストラリア訛りで、週末には、”シー・ユー・オン・マンダーイ“ 分かります? See You On Monday ! (学校では少しは英語が自信があったがショック)
(第3話へ続く)
(日本・オーストラリア混成チーム:2列目中央が大久保君)
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