卒業記念アルバム
今月は一週間もあけずに、中学・高校の同期が二人も逝ってしまった。最初の訃報は卒業して靴職人で一生を終わった男。死因は職業病。靴底を削り、接着剤の吸いすぎとのことだ。在学中に靴屋の父親が他界し、卒業して店を継いだのだ。こちらは日の丸靴店の前を、いつも自転車通学をしていたのだが、卒業以来一度も会っていない、思わず卒業アルバムを開いた。そこに書かれている彼の言葉が重く胸にのしかかってきた。受験勉強しながらに抱いていた悩み、胸に鬱積する思いを一気に吐き出すような、それは彼の見事な決意表明だった。あらためて、読みかえし、彼の人生をたたえ、そして心よりご冥福をお祈りします。
『流れ去った栄光での六年の月日、実によかった。
なぜかって? そりゃ、僕にとってこれまで確かにつらく苦悩の連続であった。しかし、今から、貴重な体験を生かし、のびのびと自分の仕事に専念し・・・
大いにレクレーションを楽しんで若々しく生きよう。さらば栄光よ』
次の訃報は遅れること三日。死因は動脈瘤破裂。
MITのビジネススクールにも通う、世界をまたにかけたビジネスマンであったが、今は、落ちこぼれ学級の世話をしている、コロナ難民を支援している、と、一週間前の同期の飲み会で語っていたらしい、彼の人生への意気込みは、もうすでに卒業の言葉の中で語られていたのだ、と、ひょうきんな、人懐っこい、あの笑顔が懐かしく思い返される。
『この顔を見てくれ、六年を栄光で過ごしてきた顔を、
この顔を笑ってくれ、あなたが楽しくなるように、
この顔を愛してくれ、あなたが愛されるように、
この顔をなつかしんでくれ、あなたを思い出してあげるから』
これが、本当に十八歳の若者の言葉なのか、もう、ほとんど、老境の世界に達した悟りの言葉ではないだろうか。
友が逝くたびに、必ず、卒業アルバムをめくり、別れの言葉を読み直すと、不思議なことに気が付いた、どの文書も、それぞれの生きざまを見事に言い当てている。人は己の好きなことしかしない、できない。できなくとも、己を変容させて、自分の好きなことに変えててゆく。そんな気がする。
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