白樺派の文人で小説の神様である志賀直哉が、布施弁天に参詣したのは、1920年(大正9年)で、「雪の遠足」発表したのは、それから9年たった1929年(昭和4年)です。赤城から我孫子にやって来た直哉は、大正4年9月から大正12年3月まで、我孫子市に住み、この期間に「城の崎にて」、「和解」「暗夜行路」等の代表作を書き上げています。そして、我孫子を去り、京都に行ってしまった。
その直哉が言い放った。「小説家は衣食住に興味をもつがいい」と。直哉は、生涯で20数回の引越しをし、「衣食住」という随筆を書き残しています。
2002年に三月書房から出版されているこの随筆の監修をしているのが、武蔵野大学名誉教授で日本文藝家協会理事である大河内昭爾氏である。氏が、「志賀直哉と衣食住」とういう題で講演会を行いますので、下記のとおり紹介します。
日 時 6月8日(金)午後6時30分~
場 所 白樺文学館1階コミュニティルーム
費 用 1,000円
定 員 25名
申 込 み お電話・Fax・Eメールのいずれかにてお申込み下さい。
定員に達し次第締め切るそうです。
Tel: 04 (7169) 8468 Fax: 04 (7169) 1837
主 催 面白白樺倶楽部
もう少し、直哉が書いたこの随筆「衣食住」の内容を大雑把に紹介してみます。
蜻蛉、竜安寺の庭、赤城山にて、わが庵、今度の住まい、衣食住、武者小路と私、泉鏡花の憶い出、菊池寛の印象、太宰治の死、城の崎にて、雪の日、山科の記憶、等々が書かれています。
一番はじめに書いた、赤城(赤城山にて)から、我孫子(城の崎にて、雪の日)そして京都(山科の記憶)という具合に、彼の引越しの道筋と一緒の時系列で随筆が書かれていたので、私もこの本に興味を持った次第ですが、どうもこの本は「衣食住」というタイトルより、志賀直哉が自分の日常生活のエピソードを書綴っているといったほうが良い本だと思いますがーーー。
なお、現在、白樺文学館のはす向かいに保存されている志賀直哉が使ったと言われる写真の書斎は、一時、ここにはなかったということを聞いたことがありますが、このことについて、どなたかご存知ではないでしょうか?いくら、資料を探してもみつかりません。どなたか知っている方おりましたら、お教え下さい。
その直哉が言い放った。「小説家は衣食住に興味をもつがいい」と。直哉は、生涯で20数回の引越しをし、「衣食住」という随筆を書き残しています。
2002年に三月書房から出版されているこの随筆の監修をしているのが、武蔵野大学名誉教授で日本文藝家協会理事である大河内昭爾氏である。氏が、「志賀直哉と衣食住」とういう題で講演会を行いますので、下記のとおり紹介します。
日 時 6月8日(金)午後6時30分~
場 所 白樺文学館1階コミュニティルーム
費 用 1,000円
定 員 25名
申 込 み お電話・Fax・Eメールのいずれかにてお申込み下さい。
定員に達し次第締め切るそうです。
Tel: 04 (7169) 8468 Fax: 04 (7169) 1837
主 催 面白白樺倶楽部
もう少し、直哉が書いたこの随筆「衣食住」の内容を大雑把に紹介してみます。
蜻蛉、竜安寺の庭、赤城山にて、わが庵、今度の住まい、衣食住、武者小路と私、泉鏡花の憶い出、菊池寛の印象、太宰治の死、城の崎にて、雪の日、山科の記憶、等々が書かれています。
一番はじめに書いた、赤城(赤城山にて)から、我孫子(城の崎にて、雪の日)そして京都(山科の記憶)という具合に、彼の引越しの道筋と一緒の時系列で随筆が書かれていたので、私もこの本に興味を持った次第ですが、どうもこの本は「衣食住」というタイトルより、志賀直哉が自分の日常生活のエピソードを書綴っているといったほうが良い本だと思いますがーーー。
なお、現在、白樺文学館のはす向かいに保存されている志賀直哉が使ったと言われる写真の書斎は、一時、ここにはなかったということを聞いたことがありますが、このことについて、どなたかご存知ではないでしょうか?いくら、資料を探してもみつかりません。どなたか知っている方おりましたら、お教え下さい。