布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

不動院は布施弁天住職の実家

2007-05-22 | 歴史
先般、ワープステーション江戸に行った帰り、つくばみらい市にある真言宗豊山派の清安山願成寺不動院に立ち寄ってみました。今回は、布施弁天東海寺の下村ご住職の実家ということを意識して参拝させて頂きました。駐車場は、本堂の後ろに結構広くとってありますが、境内には祈祷する車両しか入れません。不動院は、806年若しくは808年に弘法大師によって創建されたといわれており、ご本尊は、昭和25年に国指定重要文化財となっている不動明王と両童子。地元の人々から「板橋のご不動さん」と呼ばれ、救子・安産、子どもの成長安全に特に霊験あらたかといわれています。
さて、裏手からどっしりとした本堂の後ろ姿を見ながら進むと、左手には多数の石塔が鎮座しており、これが谷原大師八十八ケ所霊場といわれているものです。その先には、どっかでみたような三重の塔があります。しかし、よくみると、品格も大きさも布施弁天の三重の塔(昭和48年建立)とは比べようもなく良くできております。それもそのはずで、安永元年(1772年)の建立で、しかも昭和35年には茨城県指定の重要文化財になっていたのです。
この三重の塔を前にした、更に進むと、右手には朱色の小さなお堂に、乳飲み子を抱いたお座りになっている子安観音様が祀られておりました。思わず、参拝。
回り込んだので、いよいよ本堂の正面に立つことになります。布施弁天と同じように板で坂道の参道が造られており、それを昇ると写真のように赤色の地に黒色で不動尊と大きく書かれたちょうちんが飾ってありました。早速、賽銭をあげ、家内安全等を祈願。この本堂は、文禄年間(1592~1595)建立の朱塗の二重屋根入母屋造りで、昭和40年指定の茨城県重要文化財となっています。
後ろを振り返ると、楼門と鐘楼がみえます。楼門は、元禄年間(1688~1703)建立で、二重垂木、銅板葺で、左右に力強い阿・吽の仁王像が安置されています。この楼門も昭和49年に茨城県指定重要文化財にもなっております。
布施弁天も板橋のお不動さんも寺の縁起によると同じ創建1200年と言われているが、なにもかも、お不動さんの方が、布施弁天よりも一回りスケールが大きく、実に堂々とした寺院で、30世1200年も続くと豪語するだけはあります。でも、鐘楼だけは布施弁天の方が格式があるかな。
この広い境内には、正月ともなると多くの露天商が出、大変な賑わいだそうです。不動院は、街中にあるせいか、周りの環境は布施弁天のように自然いっぱいの小高い丘の上にあるのとは違い、あまり風情があるとは言えません。
最後に、鐘楼の奥の参拝者休息所を横目にみながら、逆コースとなりましたが、立派な楼門をくぐって、大体一回りしたので、道路沿いに駐車場へ戻る。駐車場の隣は、伊奈不動霊園となっておりますが、これが不動院の墓地かどうかは不明。そうだ、本堂内の無料のパンフレットコーナーには、布施弁天様のパンフレットが残り僅かでしたが、置いてあり、さすが親子関係だなーと思いました。
なお、この不動院は関東三大不動尊の一つで、北関東三十六不動尊霊場、第三十六番結願の寺となっておりますので、ご関心のある方は、是非お出かけしてみてはいかがでしょうか。
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