今回の講演会は、志賀直哉との交遊を軸に、あまり読まれなくなった里見(とん)を紹介するのが趣旨らしい。でも、この里見 (さとみ とん)については、白樺派の人だった以外に、私もあまり知らないので、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、どんな人か紹介してみたいと思います。
里見 は、1888年(明治21年)に横浜市で生まれ、同じく小説家の有島武郎、画家の有島生馬は共に実兄で、旧制学習院高等科から東京帝国大学文学部中退。生まれる直前に母の弟の山内英郎が死去したため、その養子となり、山内英夫(やまのうち ひでお)となったとのこと。1910年(明治43年)、2人の兄と共に同人『白樺』に参加し、ペンネームの里見は、電話帳をペラペラとめくり指でトンと突いた所が里見姓であったためだとされている。写真は、若かかりし頃の里見です。
志賀直哉の手引きで吉原などで遊蕩し、遂に大阪の芸妓・山中まさと結婚した。その経歴が『今年竹』『多情仏心』などの代表作に現れている。
1913年(大正2年)、志賀をモデルに書いた小説に対して志賀は「モデルの不服」を書いており『暗夜行路』冒頭に出てくる友人・阪口はがモデルである。しかし1914年(大正3年)には志賀とともに松江で暮らし、これは志賀が『暗夜行路』に、が『今年竹』に生かしている。このように、志賀直哉と里見とは親しい間柄であったようです。
1915年(大正4年)、『淡い初恋』を中央公論に掲載して本格的に文壇デビュー、翌年同誌に『善心悪心』を発表、初期の代表作とされ同年、同名の短編集を刊行、祖母・静子に献じる。
1919年(大正8年)、時事新報に『今年竹』を連載するが中絶、のち完成させる。この年、吉井勇、久米正雄らと雑誌『人間』を創刊。1920年(大正9年)、『桐畑』を国民新聞に連載。1922年(大正11年)から翌年大晦日まで、『多情仏心』を時事新報に連載。同年、兄・武郎の心中事件があり「兄貴はあんまり女を知らないからあんなことで死んだんだ」と言ったという。
1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで、武郎の心中事件を中心とした長編『安城家の兄弟』を3部に分けて発表。1932年(昭和7年)より6年間、明治大学文芸科教授を務める。1940年(昭和15年)、菊池寛賞(戦前のもの)を受賞。
1945年(昭和20年)、川端康成らと鎌倉文庫創設に参加、1947年(昭和22年)、日本芸術院会員となる。1952年(昭和27年)、『道元禅師の話』を連載、1954年(昭和29年)、市村羽左衛門の出生の秘密に触れた『羽左衛門伝説』を毎日新聞に連載。1956年(昭和31年)、短編集『恋ごころ』で読売文学賞を受賞。
1959年(昭和34年)、文化勲章受章。1960年(昭和35年)、『秋日和』を発表、1961年(昭和36年)に『極楽とんぼ』、1971年(昭和46年)に『五代の民』で読売文学賞受賞。そんな彼も、1983年(昭和58年)1月21日に没している。
なお、主な作品には、『恋ごころ』、『秋日和』、『極楽とんぼ』岩波文庫、『潮風』、『道元禅師の話』岩波文庫、『多情仏心』新潮文庫 、『善心悪心』、『父親』 、『椿』 などがある。
では、早速、以下にその講演会の概要を紹介します。
開催日時 平成22年2月6日(土)
午後2時~3時30分
開催場所 アビスタ ホール
※所在地:我孫子市若松26-4
電話:04-7182-0515
演 題 「志賀直哉と里見(とん)」
講 師 小谷野 敦 氏(作家・比較文学者)
対 象 どなたでも
定 員 140人
費 用 無料
申し込み ハガキ・ファクス・申込用紙(我孫子市白樺文学館窓口に用意)で
1人1通のみ。
郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記(※電話申込不可)
なお、宛先は問い合せの住所等へ
締切日 平成22年1月15日(金)消印有効
主 催 我孫子市教育委員会
問い合せ 〒270-1153 我孫子市緑2―11―8
我孫子市白樺文学館
電話 04-7169-8468
ファクス 04-7169-1837
里見 は、1888年(明治21年)に横浜市で生まれ、同じく小説家の有島武郎、画家の有島生馬は共に実兄で、旧制学習院高等科から東京帝国大学文学部中退。生まれる直前に母の弟の山内英郎が死去したため、その養子となり、山内英夫(やまのうち ひでお)となったとのこと。1910年(明治43年)、2人の兄と共に同人『白樺』に参加し、ペンネームの里見は、電話帳をペラペラとめくり指でトンと突いた所が里見姓であったためだとされている。写真は、若かかりし頃の里見です。
志賀直哉の手引きで吉原などで遊蕩し、遂に大阪の芸妓・山中まさと結婚した。その経歴が『今年竹』『多情仏心』などの代表作に現れている。
1913年(大正2年)、志賀をモデルに書いた小説に対して志賀は「モデルの不服」を書いており『暗夜行路』冒頭に出てくる友人・阪口はがモデルである。しかし1914年(大正3年)には志賀とともに松江で暮らし、これは志賀が『暗夜行路』に、が『今年竹』に生かしている。このように、志賀直哉と里見とは親しい間柄であったようです。
1915年(大正4年)、『淡い初恋』を中央公論に掲載して本格的に文壇デビュー、翌年同誌に『善心悪心』を発表、初期の代表作とされ同年、同名の短編集を刊行、祖母・静子に献じる。
1919年(大正8年)、時事新報に『今年竹』を連載するが中絶、のち完成させる。この年、吉井勇、久米正雄らと雑誌『人間』を創刊。1920年(大正9年)、『桐畑』を国民新聞に連載。1922年(大正11年)から翌年大晦日まで、『多情仏心』を時事新報に連載。同年、兄・武郎の心中事件があり「兄貴はあんまり女を知らないからあんなことで死んだんだ」と言ったという。
1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで、武郎の心中事件を中心とした長編『安城家の兄弟』を3部に分けて発表。1932年(昭和7年)より6年間、明治大学文芸科教授を務める。1940年(昭和15年)、菊池寛賞(戦前のもの)を受賞。
1945年(昭和20年)、川端康成らと鎌倉文庫創設に参加、1947年(昭和22年)、日本芸術院会員となる。1952年(昭和27年)、『道元禅師の話』を連載、1954年(昭和29年)、市村羽左衛門の出生の秘密に触れた『羽左衛門伝説』を毎日新聞に連載。1956年(昭和31年)、短編集『恋ごころ』で読売文学賞を受賞。
1959年(昭和34年)、文化勲章受章。1960年(昭和35年)、『秋日和』を発表、1961年(昭和36年)に『極楽とんぼ』、1971年(昭和46年)に『五代の民』で読売文学賞受賞。そんな彼も、1983年(昭和58年)1月21日に没している。
なお、主な作品には、『恋ごころ』、『秋日和』、『極楽とんぼ』岩波文庫、『潮風』、『道元禅師の話』岩波文庫、『多情仏心』新潮文庫 、『善心悪心』、『父親』 、『椿』 などがある。
では、早速、以下にその講演会の概要を紹介します。
開催日時 平成22年2月6日(土)
午後2時~3時30分
開催場所 アビスタ ホール
※所在地:我孫子市若松26-4
電話:04-7182-0515
演 題 「志賀直哉と里見(とん)」
講 師 小谷野 敦 氏(作家・比較文学者)
対 象 どなたでも
定 員 140人
費 用 無料
申し込み ハガキ・ファクス・申込用紙(我孫子市白樺文学館窓口に用意)で
1人1通のみ。
郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記(※電話申込不可)
なお、宛先は問い合せの住所等へ
締切日 平成22年1月15日(金)消印有効
主 催 我孫子市教育委員会
問い合せ 〒270-1153 我孫子市緑2―11―8
我孫子市白樺文学館
電話 04-7169-8468
ファクス 04-7169-1837