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現代的視点からのリアリティにかけた映画「ゼロの焦点」

2009-12-17 | その他
松本清張は、広島県の広島市で、1909年12月21日に生まれたらしいので、ちょうど、今年が生誕100周年にあたる。だから、全国各地で、春先からさまざまな生誕100周年の記念行事が開催されてきた。
11月14日に公開された「ゼロの焦点」製作委員会が製作した映画「ゼロの焦点」は、そのしめくくりの一つと言ってもいいんでしょうね。
この映画を先ごろ、市内柏の葉にある映画館MOVIEで見てきました。この社会派ミステリーの巨匠の映画だけに、さぞかし、映画館は満員かと思いきや、私が行った時間帯が、10時30分からの部だったためか、スカスカでした。
実は私は、社会派ミステリー作家という言葉にアレルギーがあり、正直、松本清張の本はまともに読んだことがないのです。テレビや映画で公開されたものは、いくつか見ているくせにね。
本をまともに読んでいないせいか本そのものには直接何もいえませんが、この映画そのものからは、ちっとも社会派らしき感性を、現在の社会に生きている我々に訴えるものを実感として、感じとるものがなかったとしか、いいようがありませんでした。脇役の人たちはそれなりに、生きているという存在感、生活感、そう、敗戦直後の生活感を感じとることは、出来なくはなかった。が、主役の3人の女優、広末涼子、中谷美紀、木村多江からは、戦後混乱期の生活感、臭いを全く感じられなかった。
あまりにも、3人とも綺麗で、スマートな女優だったからかもしれない。バタ臭さと戦後の混乱期を行きぬいたというバイタリティを主役たちからは、感じとれませんでした。つまり、この映画自体の時代設定が戦争が終わった12年後だというのに、その時代の生活のリアリティを感じられなかったのは、なぜかを考えると、そこに行きついてしまうのです。
時代背景として、それなりに、街並みや汽車や駅に時代考証がされているが、主役の女優陣からは、社会派といわれる清張の魂を垣間見ることはできなかった。
でも、この映画に関心を持ったことで、松本 清張の清張を“せいちょう”と読ませるのはペンネームで、本名は、“きよはる”と読むというものを、今回、初めて知ったことは収穫でした。まぁ、このレベルの人間が、こんな口幅ったいことをいう資格はないかもしれませんね。でも、あえて、言わしてもらいます。この映画は、今の社会状況に暮らしている人間から、この戦後の混乱期の人間心理を読み取れる、追体験できる映画にはなってない気がします。
この作品の時代である、昭和30年代にこの作品を読んだ人は、その背景に自分の戦後の混乱期の体験を持っているから、多分、今の人と違った思い入れがあったでしょう。だから、支持されたと思います。しかし、時代がはるかに通り過ぎてしまうと、その作品に新しい時代感覚からの息吹きを吹き込まないとリアリティが薄くなり、ひらべったいものになり、ちっとも、現在に切りこむ糸口をもたなくなってしまう。
だから、「ゼロの焦点」製作委員会の製作意図が、一体何か、何を、この「ゼロの焦点」で訴えたいのかということを読み取ることができなかった。それは、お前だけだよ!といわれれば、それを素直に受け入れましょう。まあ、自分はその視点を読み取れなかったことは事実ですから。
なお、私が、上記に書いているのは、くどいですが、この映画を見た率直な感想だけですので、清張の作品自体を云々しているのでないことだけは、ご理解下さい。
往々にして、社会派の小説の映画化は、この現代的視点を明確にしないと、時が過ぎると原作そのものがみすぼらしく見えてきてしまう。訴えたい真実を何かを明確にメッセージ化することが、時代を越えて原作とともにその映画が生き残れる条件ではないでしょうか。
製作年・・・2009年
製作・・・・日本
配給・・・・東宝
【 スタッフ 】
監督・脚本:犬童一心
エグゼクティブプロデューサー:服部洋 / 白石統一郎 / 市川南 / 梅澤道彦
原作:松本清張
脚本:中園健司
音楽:上野耕路
撮影:蔦井孝洋
美術:瀬下幸治
衣装デザイン:半田悦子
編集:上野聡一
照明:疋田ヨシタケ
なお、『ゼロの焦点』は、1958年3月号から1960年1月まで『零の焦点』というタイトルで『宝石』に連載され、光文社から刊行された。2度の映画化、5度のテレビドラマ化がされている。
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