「闇の子供たち」を観てきました。
正直この映画を観るかどうか迷っていました。
梁石日氏の原作は以前読んでいて、あまりに読むのにも憚られるような性的描写の連続に途中で読むのをやめようかと何度も思った本だったからです。
内容は、梁石日氏が実際に取材に基づき生活費のために闇社会に売られたタイの貧しい子供たちが、ベドファイル(幼児性愛者)の性欲のはけ口にされ、HIVに感染すればゴミと一緒に捨てられ、そのうえ、臓器売買のために生きたまま手術台の上に乗せられているという事実を書いたものです。
どうして、それをまた映画にしようとするのだろう?そのことによってどんな意味があるんだろう?そんな思いをもっていました。
タイトルの「闇の子供たち」ですが、私は通常“子どもたち”と書きます。
子供の“供 ”という字が供物のように思えて子どもの人権を無視しているように思えるからです。
でもこの映画はまさに“子供”です。大人の欲望の供物になっている現実なのです。
梁石日氏が取材したのは10年前だと聞いています。
でも、でも現実はインターネット上の存在する闇サイトでは、満載だそうです。
タイトルの「闇の子供たち」は実は「闇の大人たち」でもあるのです。
この映画は周南市のテアトル徳山で観ました。この映画館は大変古い映画館で若い頃にはよく行っていた映画館です。
でも、最近は駐車場が完備しているシネコンに行くことが多くて、この映画館からは足が遠ざかっていました。
でも、最近この映画館は頑張っているのです。
収益第一主義のシネコンではかからないような作品をかけてくれているのです。
最近はよく足を運ぶようになりました。
ところで映画ですが、小説はNGO職員(宮崎あおい)が主人公だったのですが、映画では新聞記者(江口洋介)なっています。
映画の中では何が善で何が悪なのかそんなものは存在しないのではないか。
生活のために子どもが売られるという事実。
その子どもたちを醜いベドファイル(幼児性愛者)が買っている事実。
そのベドファイルは欧米先進国の人間たち、そして多くの日本人だという事実。
生きたまま臓器を取られることによって成立することを知っていても、我が子のためにタイで心臓移植を受けさせようと高い金を払っているに金持ち先進国の親もいるという事実。
そういったビジネスの裏社会で暗躍している組織の人間もかつて少年時代に被害者だったりする。
もちろん、子どもを売らなければ生きていけないほど貧しいタイ北部の生活実態もある。善の代表のような新聞記者も取材を通じて自分の問題にはねかえってくる。そして最後のシーンへとつながる。
「これは映画なのだから」と割り切ることのできない後味の悪さ。
無神経にならないと生きていけなかっただろう映画の中の登場人物たち。
観る側の我々は決して無神経になってはいけないのだろう。
阪本順治監督と痛みを共有できると思われる人だけ観ることを勧めます。
正直この映画を観るかどうか迷っていました。
梁石日氏の原作は以前読んでいて、あまりに読むのにも憚られるような性的描写の連続に途中で読むのをやめようかと何度も思った本だったからです。
内容は、梁石日氏が実際に取材に基づき生活費のために闇社会に売られたタイの貧しい子供たちが、ベドファイル(幼児性愛者)の性欲のはけ口にされ、HIVに感染すればゴミと一緒に捨てられ、そのうえ、臓器売買のために生きたまま手術台の上に乗せられているという事実を書いたものです。
どうして、それをまた映画にしようとするのだろう?そのことによってどんな意味があるんだろう?そんな思いをもっていました。
タイトルの「闇の子供たち」ですが、私は通常“子どもたち”と書きます。
子供の“供 ”という字が供物のように思えて子どもの人権を無視しているように思えるからです。
でもこの映画はまさに“子供”です。大人の欲望の供物になっている現実なのです。
梁石日氏が取材したのは10年前だと聞いています。
でも、でも現実はインターネット上の存在する闇サイトでは、満載だそうです。
タイトルの「闇の子供たち」は実は「闇の大人たち」でもあるのです。
この映画は周南市のテアトル徳山で観ました。この映画館は大変古い映画館で若い頃にはよく行っていた映画館です。
でも、最近は駐車場が完備しているシネコンに行くことが多くて、この映画館からは足が遠ざかっていました。
でも、最近この映画館は頑張っているのです。
収益第一主義のシネコンではかからないような作品をかけてくれているのです。
最近はよく足を運ぶようになりました。
ところで映画ですが、小説はNGO職員(宮崎あおい)が主人公だったのですが、映画では新聞記者(江口洋介)なっています。
映画の中では何が善で何が悪なのかそんなものは存在しないのではないか。
生活のために子どもが売られるという事実。
その子どもたちを醜いベドファイル(幼児性愛者)が買っている事実。
そのベドファイルは欧米先進国の人間たち、そして多くの日本人だという事実。
生きたまま臓器を取られることによって成立することを知っていても、我が子のためにタイで心臓移植を受けさせようと高い金を払っているに金持ち先進国の親もいるという事実。
そういったビジネスの裏社会で暗躍している組織の人間もかつて少年時代に被害者だったりする。
もちろん、子どもを売らなければ生きていけないほど貧しいタイ北部の生活実態もある。善の代表のような新聞記者も取材を通じて自分の問題にはねかえってくる。そして最後のシーンへとつながる。
「これは映画なのだから」と割り切ることのできない後味の悪さ。
無神経にならないと生きていけなかっただろう映画の中の登場人物たち。
観る側の我々は決して無神経になってはいけないのだろう。
阪本順治監督と痛みを共有できると思われる人だけ観ることを勧めます。
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