映画「だいじょうぶ3組」を観てきました。
ずいぶん前に原作は読んでいました。
作者はもちろん、乙武洋匡さんです。
乙武さんは、東京の小学校で実際に教師をされた経験があります。
その経験をもとに小説を書かれていて、私は文庫本で読みました。
ストーリーをごくごく簡単に紹介すると、
乙武さんが自ら演じる教師赤尾とその介助者である白石(国分太一)が小学校に赴任したところから始まります。
初日から遅刻するというおまけもついています。
教室にはすでに副校長が入っていて子どもたちを見ています。
初めて見る手も足もない教師に驚きと混乱を隠せない子どもたちを前にに自己紹介もそこそこに出席を取り始めます。
介助者の白石(国分太一)が出席簿を見せようとすると、赤尾は子どもたちの顔をゆっくり見ながら名前を呼び始めます。
初日が始まる前にすでに全員の顔を全て覚えていたのです。
教室の中を電動車椅子で移動していく赤尾先生の姿に、子どもたちは戸惑い気味です。
子どもたちと次第に打ち解けていく1年間を描いていく感動ものです。
1年間の中では、「上靴隠し事件」「障害をどう見るか」「何が変で何が普通か?」「運動会でクラスが一つになる話」「障害のあす先生も一緒に登山遠足」
などなどとエピソード満載で流れていきます。
劇場には涙を流して観る場面が幾度となく出てきます。
乙武さんが主人公として演じていることは、演技なのかドキュメントなのかわからなくなってしまいます。
乙武さんの存在そのものに圧倒されて本当は感想なんかおこがましいような気がしますが、あえて言わしてもらうと・・・
特別支援学校に勤務している教師の立場から言うと、よくぞこういう映画を作ってくれたと大絶賛したいと思います。
こだわりの映画好きから言わしてもらうと、気になる点がいくつかあります。
上にあげたエピソードが乙武さんの目線だけでしか伝わってきません。
子どもたちの苦しみとして伝わりにくいのです。
乙武さんのことばで語られることがあまりに多いことによるものだと思います。
乙武さんの涙のシーンはあえて必要なかったのではないかと思います。
白石が赤尾に「僕は赤尾先生のように強くなれないよ」と言うシーンで、赤尾先生が「僕は強くなんかないよ。強く見せているだけだよ」というシーンがあります。
本当はもっと掘り下げて描いてほしいと思いました。
子どもの痛み悩み、障害を背負った教師の痛み、悩みそこらへんを描いてほしかったように思いました。
介助員がいないと勤めることのできない障害、そのことを受け入れることのできる社会がどこにあるんだろうと今更ながら思ってしまいます。
障害者雇用はそこを解決しないと一歩進めないと思います。
私が勤めている特別支援学校に卒業生が教育実習に来たことがあります。
障害があるので、なかなか通常の教育実習生のようには実習が進みませんでした。
その時に心ない教師の一部からは「自分のことは自分でできるくらいになってから実習に来てほしいよね」などと言っている声が聞こえてきました。
障害をもっている子どもたちを相手に教育をしている教育者のことばとは思えません。
もちろん、現場には同僚のことを思いやるほどの余裕がないことは確かですが、そんなことでは障害者雇用は学校では全く進みません。
今年度は、電動車いすを使用する卒業生が教育実習に来られます。
受け入れはちゃんとできるのか、今から心配です。
介助者が一人ずっと張り付きの状態で教師を勤められた赤尾先生のような制度が特別なものでない時代がくることを願ってやみません。
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