季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

子供 再

2009年10月30日 | その他
子供を子どもと書くらしいと書いた後、少し暇があると検索をかけてみた。

その結果、日本ではいつの間にか言葉の言い換え、書き換えが驚くべき範囲に及んでいることを知った。

知っていない人もきっと大勢いることと思われるから、呆れがてら紹介しておく。

まず「子ども」だが、現在PTAの副会長をしているという人から聞いたところでは、必ず「ども」は平仮名にするように、と歴代の会長からの申し送りがあったそうである。理由は以前の記事で僕が書いたとおりとのこと。

同じ人から聞いた話では、その他にも耳を疑うものもある。

○○は以下の通りです、とかは厳禁だそうだ。昔のお触書からきたもので、人を見下しているからだ、という。

以下の通り、下記の通りというのはもしかしたらお触書の書法なのかもしれない。しかし、論文に至るまでごく一般に使われている、即物的ではあるけれど一目で把握するには便利な用法ではないか。

少なくとも人を見下す心でこれを用いる人は殆んどいまい。この文言をみて見下されたと感じる人はいるのだろうね。だからこそ禁止することを発案したのだろうから。なんという過敏でひねくれた心だろうと僕は呆れてしまう。

ここから先は検索の結果だが、八百屋、魚屋、肉屋などが蔑称であるから使用しないほうが良い言葉であるということも知った。ただし僕がなるほどそうだったか、と自粛するかは別の問題だ。

たしかに「八百屋の留公がよう・・・」なんてセリフが昔の小説には出てくる。昔は現代のようにサラリーマンがたくさんいたわけではないし、(正確に言えば「会社勤め」は恵まれない階層の男がすることで、今のように社会の中心を占めていたわけではない)あらゆる職業が(自分の周りの)特定の人物を指すことが多かったから、これは当然だろう。

そうすると、うわさ話や悪口、軽口とともに職種が口の端にのぼる。自分の生活の周辺の人を尊敬するということはあまり無いだろうから、職種込みで名指しして話題にすれば当然一種の差別、侮蔑、からかいのニュアンスを帯びることも多かった。でもそれだって、今日僕たちが差別という語から何となく!連想するようなものではなかっただろう。

シューベルトの「美しき水車屋の娘」は誰しも、のどかな村はずれの風景の中での恋愛を思い浮かべる。19世紀のヨーロッパの人々にとってもそうであった。

しかし水車屋、粉屋という存在はもっと昔には忌み嫌われる存在だった。自分の家の穀物を粉に挽いてもらうということは自分の財産を知られることだから、人々は粉挽きを疎ましく思ったのである。

粉挽き業に就く人間は罪を犯したものなど、社会からはじき出された存在の者だった。のどかな田園というイメージとは遠いものだったようである。

世の中が進み、いつしか人々の心からそういう意識が薄れたときに、喧騒から外れたところにある水車小屋は、日常から遊離した夢見るようなイメージを与えるように変遷した。

そういった空気が、つまり当時の人々が「勝手に」イメージを膨らませて古き時代を懐かしんだ気運がシューベルトの名曲を生んだのである。

今日の我々は再び「知識」のお蔭で、水車屋が軽蔑される職業だったことを知っている。では19世紀の「故郷再発見運動」というべき気持ちは否定されなければならないのか?僕たちの得た知識は、ふたたび差別を助長するとでもいうのだろうか。

僕が持つ素朴な疑問はそこにある。そして大抵の人も同じ気持ちだろうと思う。いわゆる言葉狩りに対しても穏健な態度で接している人が殆んどであることも知っているつもりだ。

その態度は本来好ましいはずである。

しかし正義のためという想念にとりつかれた少数の人々は、常識的な穏健な態度の人たちが発言しないで沈黙していることを「利用」する。

そこで一方的で独りよがりの発言だけが取り上げられ、正義の仮面をかぶる。

差別自体はあってはならないが、似非理想主義は僕たちの生活を窮屈にしかしない。
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スイスの楽器博物館

2009年10月27日 | 音楽
かつてジュネーヴに行ったときのこと。

旧市街をふらついていたら、小さな楽器博物館に行き当たった。ジュネーヴの旧市街はレマン湖から小高く上るように広がっている。レマン湖の畔の広く開けた開放感から、急に静まり返ったように薄暗い街中に入る。

新市街ができる理由は道幅が狭く、車の往来に不便をきたすからだろう。どこをどう通ったのか、もうとうの昔に忘れてしまったけれど、博物館は狭い道の角にあったような気がする。

誰も訪れる人はおらず、老人がひとりでぽつねんと守っている風情であった。その老人と話しているうちに、彼が館長で、そこはスイスで一番小さな博物館だと案内された。

僕がピアノ弾きだと知ると、老館長は陳列している楽器はどれでも触ってよいのです、と言ってくれた。これはヨーロッパでも珍しいことなのである。

ずいぶんたくさんの楽器を試弾させてもらい、大変楽しかった。その時はただ楽しかったが、今になってよくまあ展示された貴重な楽器に触らせてくれたと感謝の念が湧く。

どこの博物館だって実際に手にして音を出してみることは許されていないはずだ。

日本の音大にだって貴重な楽器のコレクションはあるようだが、大学が所有しているものくらいは、慎重な管理の下で、というのは言うを俟たないけれど、実際に聴かせたり弾かせたりしたら良いのに、と思う。

そう言いながら思い出した。

僕が学生のころだったか、芸大の楽器倉庫に眠っていたストラディヴァリウスを海野義男さんが弾くことになった。いざケースから出してみたら蜘蛛の巣が張っていたという。

このゴシップがどこまで本当か僕は知らない。でも、わが国の音楽大学ならいかにもありそうな話ではある。当時若かった僕たちにもいかにもありそうな話だと受け取られていたのだから。

音楽界の話を始めると、せっかくレマン湖の美しい眺めを思い出していたのに、一気に蒸し暑い上野界隈の空気になってしまう。いかんいかん。

ドイツにいた最後のころ、歴史的に由緒あるオルガンを触る方法はないかと考えた。オルガン専攻の学生はオルガニストの証明書を提出すれば教会のオルガンで練習できると聞き、なんだ僕が学生に、というかオルガンを習えばすむのかと膝をたたいた。

こんな簡単で正しい道をなぜ考え付かなかったんだ、間抜けであった、と早速新聞広告でオルガン奏者を探した。すぐに見つかるんですよ、これが。新聞広告はネットオークションより確率としては良いのかもしれない。

申し出てきたオルガニストに会うまでこぎつけた。結構突っ込んだ(音楽のね)話までした記憶がある。ただ、音楽的に理解しあう点があまりに少なく、レッスン代も高く、断念した。

僕にしてはあっさり断念したといえよう。当時は僕たちの暮らし向きは中途半端なものだったからやむを得なかったのか。いま思うと自分でも不思議である。そのオルガニストが無理ならすぐさま次を探していく、これが僕の流儀であったから。


ついでに言っておきたい。ヨーロッパに行くときには是非とも歴史的オルガンを聴いてください。こればかりは来日しないのだから。将来売りに出ることはあるかもしれないけれどね。教会一式、もちろんオルガンも付けて売ります、という広告を見たことがある。ヨーロッパの教会離れはそれくらい急なのである。

しかし歴史的オルガンがもしも売りに出る事態になった暁には音楽なんてとっくに消えてしまっているからね。

例によって脱線したままになる。古楽器がブームだというけれど、古楽器奏者と現代楽器(変な言い方だが)奏者の間にあるわだかまり?について書いてみようかと思って始めた文なのだが、実を言うと。僕がスイスの博物館の館長に感謝の念を抱くところから始めたわけはお分かりでしょう。本題に到達しなかっただけの話である。


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地域社会

2009年10月24日 | その他
地域社会が失われて久しい。折に触れてそれが指摘される。

確かに僕が子供だったころはまだ、非常に色濃くあったように思う。

では地域社会とは何か。誰でも分かっているようで、改めて問われると明確に答えることは難しい。

日本の場合、今日に続く形での地域社会は江戸時代に村や町のあり方が安定したことで形成された。

以下、wikipediaの一部を載せておく。

地域社会の中心(空間的な意味ではなく、心情的な意味における中心)には神社が存在する。一つの地域社会の構成員は一つの神社の氏子としての帰属意識を持ち、先祖代々の付き合いをするものとされた。

地域社会の構成員はみな同じような生産活動に従事し、それによって価値観や経験を共有する。そして、しばしば個人の幸福より、共同の幸福・集団の幸福を優先させる力が働く。この特性には、出る杭は打たれる、という悪い面ばかりではなく、山林・海・川などの共有資源の過剰利用を抑制するといった長所もある。

この記述でおよそ違和感ないと思われる。少なくとも僕が子供のころを思うと前半は大体思い当たる。

すべてのことには良い面と悪い面が同居している。後半部分を読めばここでもそうか、と納得する人が多いだろう。

ではもう一度最初に戻ってみよう。

地域社会が失われたというのが事実ならば、そのプラス面もあるのではないだろうか。失われた理由は複合的なものに決まっている。それが事実である以上、受け容れてしまったほうがよいと僕は思う。

すぐに思いつくプラス面は、余計なお節介がだいぶ減ったことだ。かつてはお隣が新しい洗濯機を買ったら我が家も、と張り合う人たちが多い、と報道されて特別違和感はなかった。実際にそういった報道が何べんもなされたものである。

この報道が本当の姿を伝えていたのか、それは分からない。今にして思えば当時から新聞等は脚色に次ぐ脚色で「らしさ」を保っていたのだろうから。

自然に共同体が形成されていたころは、諸々のお節介も日常に溶け込んで違和感が無かったのかもしれない。

僕が幼少期を過ごした村では、プライバシーなどとは程遠い生活だった。

その後育った川崎市では、農村部ではなかったからそこまではなかったけれど、およそ知り合いの生活状況は窺い知ることができた。

大仏次郎「天皇の世紀」を読むと、大政奉還前の明治天皇がいわゆる長屋住まいをしていたことが知れる。醤油が切れるとお隣に借りに行くような生活。

それを読む限りにおいては、昔の生活のたたずまいは現在と大いに違って、人情らしきものが確かにある。

しかし人間の世界を人為的に元に戻すことは一体可能であるか。しかも現代人である我々が享受している「都合のよいもの」は手放さずに。

ここでそのテーマに深入りするのは止めておこう。失われた地域社会という言葉を過度におセンチに受け取ることは危険ですらある、と指摘するだけで充分だろう。

重大犯罪ひとつとっても、地域社会がしっかり根付いていた時代のほうがずっと多かったことはかつて書いたとおりだ。

犯罪を地域社会のせいにするのは勿論正しくない。ただ、おかしなことに地域社会が失われたのを嘆く声の背後には、常に現代の異常な犯罪の多さを憂える態度が張り付いている。それはおかしいではないか。ありもしない因果関係を作り出して論じるのは正しい態度とは言いかねる。

僕も人並みにお祭りを楽しんだ。それを懐かしくも思う。今の子供たちにそのわくわくする興奮を与えたいと思う。

しかし、そうした運動があまり人工的なものになっていくのはよくないと感じる。無理をした演出からは必ず予想できなかった歪が生じる。

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カンディンスキー

2009年10月21日 | 芸術
カンディンスキーの絵は好きだ。

この人は、よく知られるように、パウル・クレーとともにバウハウスで教鞭をとったりした。だからというわけではないけれど、クレーもたいへん好きな画家である。

この二人を比べて見ると、クレーがヨーロッパの(良い意味での)インテリなのに対し、カンディンスキーはいかにもロシアの人だと実感する。

この人の特徴として挙げるならまず色彩の美しさ。透明度が高いというほかない。そして、この透明な強烈さと無垢な感じは、ロシアの寺院などの形状や色彩を連想させる。

演奏の世界で、とくにオーケストラの演奏で、ロシア的厚塗りなんて聞くと、もういけない。ぞっとする。そういう言葉を使う人たちは、ロシアの異様な透明感についてすっかり忘れているのではないか。

なんだったらドストエフスキーの「罪と罰」で、ラスコオリニコフがネヴァ河の橋の上から晴れた空の下に色とりどりに輝く寺院の屋根をぼんやり眺めて、言いようのない孤独を感じる場面を考えても良い。

彼はたしか実在からぷっつりと切り離されたような疲労を覚えたはずだ。これが雲が重く垂れ込めた、いわゆる厚塗りの情景の下だったら彼の言いようのない孤独は僕たちに伝わらなかっただろう。

ロシア的厚塗りという印象は、レニングラードフィルに代表されるロシアのオーケストラを聴いて出てきた言葉だろう。

レニングラードフィルとムラヴィンスキーによるブルックナーをハンブルクで聴いた。僕はたちまち、これはロシアではない、ソ連だと悟った。

ブルックナーの交響曲は何しろ金管楽器が多用される。その出番が来るたびに朝顔が一斉に一定の角度にせり上がって、次に咆哮が来る。まるで高射砲や戦車の砲身のようだと辟易したのを思い出す。

そんな粗雑な音からはチャイコフスキーもストラヴィンスキーも出てくる余地はないと感じた。(思い出した序でに言っておけば、ギュンター・ヴァントが北西ドイツ放送管弦楽団を振ってストラヴィンスキーを演奏したのは感心した)

カンディンスキーは若いころにはロマンティックと言えるような作品を描いている。ウェブ上で見つけることができなかったのでそのうちスキャンして紹介できると良いのだが。

白い馬に一組の男女が乗って行く画である。女は横座りして少し俯いている。男はたずなを引きながら女を抱きかかえている。現代のフェミニズムの闘士が見たら猛り狂いそうな姿だ。背景には例のロシアの寺院が描かれている。ここでは何というか、ほとんど無防備といえるようなセンチメントさえ見られると言ってよい。

この画を見たときにカンディンスキーの色彩から受ける透明感の根源が理解できたように思った。

シャガールはあまり好きな画家ではないけれど、彼の画の青はずいぶん深いところまで僕たちを誘うでしょう。そう見ていくと、この人の根底にもロシア的な魂が流れている。カンディンスキーとはまるで違う人種だが、おなじ魂が流れているのを感じる。
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意訳

2009年10月18日 | 
ハンブルクで最初のシェパードたま(にしき)を飼い始めたことは何べんも書いた。

ドイツでは散歩が何より楽しかった。街中も森も。当時は5時になるとすべての店が閉まるので、それから繁華街へ出かけてウィンドウショッピングしたりしたものだ。夜ばかりではない、昼間でさえ歩道が整備されているから、色んな窓枠やドアを見て歩くだけでも楽しかった。日本では立ち読みスト、ドイツではプロ級のウィンドウショッパーだ。国際的なエコロジストと言っておこう。

それでも、緑の中を歩くのはまた格別だった。息を胸いっぱい吸うのはなんと気持ちの良いことか。(なんだかラジオ体操みたいだが)

たまが来てからは散歩の楽しみに彩りが加わった。というか、それ以前の散歩を思い出すことができないのだ。

ひとつ忘れられないことがある。

家の近くの森を抜けると小川の流れにぶつかる。木製の橋を渡るとそこから畑が続く。菜の花の時期は辺りが一時に明るく輝き、森の静けさと好対照を成していた。

ある日、たまとこの小川付近を散歩をしていると、いかついおばさんに出会った。ドイツ人のいかつい女性というと半端ではない。

ちょっとそのいかつさについて説明しておこうか。

一度この小川の畔に住む生徒のカヌーを借りて遡ったことがあった。庭先に引き込んだ水路から直接小川に出られるのだ。流れは穏やかで、僕のような非力な男でもカヌーは進む。と、上流から水しぶきを上げた一艘のカヌーが突き進んできた。

僕は目が悪い。眼鏡をかければよいのであるが、不愉快なものがはっきり見えたところで役に立たぬから、運転中以外はかけることがない。不便なのはマージャンをするときくらいで、一萬と二萬、三萬の区別がつかず目を細めるので、手の内を読まれることがある。しかし決まったメンバーとしかしないし、その友人たちはてんで弱いから支障ない。

悪い目には、ただカヌーの舳先に屈強な人物が中腰に構えて、力いっぱい水を掻いて進んでくるようにしか映らなかった。

いよいよ近づいてきてすれ違う直前になって、それが上半身裸の女性であることに気づいた。アマゾネス・・・。今でも思い出すと僕は言葉を失う。

これも忘れられないなあ。つい横道に逸れてしまったが。

散歩の途中で出会ったいかついおばさんに戻ろう。

おばさんは(おばさん、おばさんと書いているけれど、当時の僕から見てだからね。今の僕が見たらおねえさんというかもしれない)しかつめらしい顔をして、人さし指を立て、首を振りながら「シェパード!最も素晴らしい高貴な犬種!半神!」と言った。

この表現に僕たちは勿論同意の意を表わした。そのおばさんの大袈裟でしかも真面目くさった様子を半ば笑いながら。

ところでこのおばさんは正しくはこう言ったのである。

Schaeferhund!Die edelste Rasse! Halbmensch!

一番最後の単語を直訳すると、半分人間だ、ということだ。

ただ、これを日本語に直訳して「半分人間だ」と言っても、おばさんの厳めしい、もったいぶった感動のこもった様子を伝えることはできない。人間という言葉に、これ以上ないような尊厳を込めることは日本人の感覚から外れるように思われる。また、厳つい風体と重厚な身振りを見せられない以上、何とか工夫を凝らさねばならない。

僕が受けた滑稽さとある種の共感を伝えるためには半神と言い直したほうが適当だと思った。敢えて意訳した理由である。

もっとも我が家ではたまを「神様の子供」と呼んで憚らなかったのだが。

写真はウェブサイトで見つけた近所の小川。



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好奇心 2

2009年10月15日 | 
さてようやくキーンさんの「日本人の質問」について書き始める。

僕たちがチロルで経験したことと似たものを挙げてみようか。

キーンさんは1950年代後半に来日したそうだ。専門は日本文学だが、その彼にして「漢字を読めますか」と訊ねられることが多いらしい。

キーンさんを知らない人が、彼が日本の新聞雑誌を読んでいるのを見かけたら、ちょうどメニューを注文しただけで「おい、ドイツ語を喋ったぞ」とひそひそ声がさざ波のように広がったように「おい、あの外人漢字を読めるみたいだぞ」と囁いただろう。

もっとも、キーンさんがこの本を書いたのはもうだいぶ昔になってしまったから、外国人が珍しくなくなった今日の日本ではこんな素朴な驚き方はしないのかもしれない。

しかしもうひとつ「俳句を理解できますか」という質問もよくあるらしい。こちらに限っては間違いなく今日でも根強くあるのではなかろうか。

キーンさんの文章を引用しよう。

(彼の研究室を訪問する日本人の多くは)「俳句を理解できますか}と、けげんな顔をして尋ねる。訪問客を安心させようと思う場合、私はあきらめた表情をつくりながら、「無理ですね。日本で生まれていなければ、俳句を理解できるはずはありません」と答える。そうすると、日本の客はいかにもうれしそうに、「そうでしょうね」と合づちを打つ。

しかし、私が意地悪く、「もちろん分かっています。俳句なんて、それほど理解しにくいものではありません」と答えたら、訪問客は喜ぶどころか、興ざめ顔をして、話題を変える。外人でも俳句を理解できる世の中になったとすれば、何のために日本で生まれたか分からない、と言わんばかりの表情である。もし私が皮肉な態度で「日本人は俳句を理解できますか」と言い返したら、訪問客は笑うか、それとも非常に嫌がるだろう。

中略

研究室の訪問客にもう一つの種類がいる。本棚に並んでいる数々の俳句関係の本を見て「恥ずかしい」と言う日本人は珍しくない。言うまでもなく、「恥ずかしい」という発言は 中略 自分が読んだこともない、または読みたくないような日本文学の本が外人に読まれているという意味からである。日本の文化は「恥の文化」とも言われてきたが、日本文学を三十数年前から勉強してきた私が、日本人の地質学者や電気工学者よりも日本文学をよく知っていることが、果たして日本人の恥になるだろうか。   以下略

どうですか、日本文化は日本人にしか理解できないと考える日本人の狭さを実感した人も多いと思われる。

しかし、自分の国の文化は異国の人には理解できないだろうと考えるのは何も日本人に限ったことではないのである。

ドイツ時代、僕と友人が揃って同じ演奏会で伴奏をしたことがあった。友人が伴奏したフルートの学生は、恐ろしいくらい下手くそだった。そもそも僕がフルートの学生だと知っているのは彼女が手にしている楽器をフルートであると認識したからであった。

このくらい気取った書き方をしないと釣り合いがとれないほどひどかったね。僕が口笛を吹いたっても少しましになっただろう。

僕はたしかシューベルトの「しぼめる花の主題による変奏曲」、友人はモーツァルトらしき曲を演奏した。

終焉後(と書きたいところだが終演ですね)出演した僕らが一堂に集まってワインの杯を傾けていたとき、この学生の母親が友人に近づいてきて鷹揚な笑顔を振りまいて語りかけた。「私の娘の伴奏をしてあなたもモーツァルトが何者かお分かりになったでしょう」

僕らは思わず顔を見合わせた。彼はもしかしたらモーツァルトが何者か理解したことと引き換えに、音楽が何ものであるか、理解を失ったかもしれない。
あるいは、今日友人からモーツァルトが何者であるかを学んだ人たちは、かのドイツ人学生に感謝するべきなのかもしれない。

僕が友人はモーツァルトらしき曲を演奏した、と書いた理由が分かってもらえたと思う。

日本に限らず、先入観を取り去るのは難しいようである。
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好奇心

2009年10月13日 | 
ドナルド・キーンさんの「日本人の質問」という本は面白い。何といって特別なことが書いてあるわけではないが、外から見た日本というものがよく出ている。

と書けば、そうなのか、と思う人がすぐに出るくらい、僕たちは外側から見た日本に関心がある。かく申す僕もキーンさんの本を買って読んだわけだから同じ日本人である。プロの立ち読みストを自認する僕が買ったんですよ。(なお、僕が立ち読みしたか、買ったかは本の価値とはまったく連動しない、あるいは少ししか連動しない。それはどちらかといえば僕の財布や時間と連動する。僕が買ったから僕が強く推す、というわけでは必ずしもない。この日、僕の財布には少々現金が入っていた、という意味しか持たない。念のため)

昔、日本に外国人がとても少なかったころ、町で外国人だと一目で分かる人がいると、通りすがりの日本人がジーッと興味深そうに見ていた。僕はそれが田舎くさく感じて嫌であった。

そして、日本人はなぜ外国人と見ただけであんなに露骨な好奇の目でジロジロみるのか、と島国根性を嫌悪したりした。

しかし今思えば、僕自身も好奇心に動かされていたのではないか。周囲の人への反撥が強かったせいで、自分の好奇心を抑えていたのではないか。あいつらと同じになってたまるか、そんな気持ちだったのではないか。多分そうだ。

ドイツに住んでいた時分、少し休暇が取れると(なんて書くとよっぽど忙しくしていたみたいだが、もちろんそんなことはない。37、8まで今でいうフリーターさ。だから正確に書いておけば、小金が貯まると、だね)チロルの山奥に行くことが多かった。

休暇が取れるとチロルへ、というのと小金が貯まるとチロルへ、だとまるで違った感じでしょう。感じが違うだけではない。本当に旅の内容も違う。

何だか急にチロルの話になって、脈絡がないようだが、これがあるんだね。ドストエフスキーの小説みたいにね。

当時「ヨーロッパで最も美しい村」といわれた山奥の村が僕たちのお気に入りの旅行先だった。あんまり静かで美しいので色んな人に喋っていたら、いつの間にか日本人もよく訪れる村になっていると聞いて驚いているのだが。

僕の話し振りのせいだか、村の観光宣伝が行き届いたせいだか知らない。もしも前者であるならば、村長に立候補しようと思っている。

夏冬問わず行ったけれど、いつだったか、小さなレストランに夕食を摂りに入った。いくら貧乏旅行をしているとはいっても、食事くらいはする。

周りのテーブルには村の人らしい年老いた客がちらほらいるにすぎなかった。そのうち僕たちは何だか周りからの視線を感じるようになった。僕は自慢ではないが、その手の超能力がまるでない。

そんな男でもはっきり分かる幾多の視線。視線を感じるほうを見やると、爺さまがパッと目を反らせる。若い娘が注目しているのならまんざらではないかも知れないが。いや、そんなこともないね、僕は夢を見るタイプではない。シャツが裏返しなのか、とかそもそも服を着ていたのか、とか気になってしまうな。とにかく結構居心地が悪いものだ。

注文を取りにきたおかみさんに(当然ながら)ドイツ語で注文したら、あちらこちらで「ドイツ語を喋ったぞ」と囁きあうのが聞こえる。いや、この時は参ったなあ。

もしかしたら「おい、食器を使ったぞ」とか「あの食いっぷりはどうだ」とか、後々まで言われていたのかもしれない。僕が友人たちと違い、並みの食欲の持ち主でよかった。彼らなら今頃は伝説になっていただろう。節度をわきまえていてよかった。

今ではあの村も日本人に慣れてしまって、こんな光景はお目にかからなくなっていることだろう。

人間は結局物珍しいものに出会えば好奇心でいっぱいになる生き物らしい。島国根性とかのせいではない。

ドストエフスキーなんて大法螺を吹いたから、せめてキーンさんの本からひとつ紹介しておこう。でもまた長くなってしまったから改めて書く。ドストエフスキーにするのも骨が折れるなあ。





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糸目

2009年10月10日 | 音楽
音楽学生と思われる方から、音楽を学ぶにはお金に糸目をつけてはいけないと言われて引きずっている、本当だろうかという問いをいただいた。

似たような話として「ピアノを取るか、結婚を取るか」はっきりさせなさいと言われたというのもある。

何にお金や時間や感情を費やすか、それは他人からとやかく言われるべきことではない。ましてや生徒に対して言うべきことではない。一種のアンフェアである。

生活というものがいちばんの関心事であるのは誰でも同じだろう。

しかし記事に書くと約束したものの、一般に適応する内容となると何を書いたらよいか思案投げ首である。個人的に話ならいくらでもできるのだが、不特定の人に対して書くべきこともない。人生相談みたいだしなあ。

僕がまず感じることだけ書いておこう。ひっかかるのは「金に糸目をつけぬ」という表現である。この通りに言われたのではなくても、およそそう受け取られる言い方になったのであれば、僕は首をかしげざるをえない。

音楽ではなくとも、すべてはそれなりに金がかかる。誰でも許された条件の中でいろいろ工面するわけである。

結局はその人があるものに対してどんな価値を見出しているか、というところに行き着く。

糸目をつけぬという言い方に僕が引っ掛かりを覚えるのは、僕自身はそういう言葉の使い方を決してしないからである。

勘違いしてもらいたくないが、僕自身が何かについて糸目をつけぬことは決してない、というわけではない。目下そのような心境にはないが、もしかしたら器に車に糸目をつけない、と狂う日が来るかもしれない。

つまり「糸目をつけない」という言葉は、通常自分自身の決意や身の処し方に対して使うのである。

車屋が僕に向かって「金に糸目をつけてはいけませんよ」と言ったらバカやろうということになるだけだ。「でも安全のためには・・」と付け加えても、それはこちらが決めることだ、営業の下手なやつだなあ、と苦笑いするだろう。

音楽には金がかかる。(でも繰り返すけれど何だってお金はかかる。犬にもかかるし、趣味にもかかる。)演奏会だって、外来演奏家の入場料は高い。オペラ、オーケストラともなるとお手上げだ。僕も学生のころはちょっと言うのを憚られるような方法で聴いたものだ。

しかし今日、すべての演奏会が満席というわけではない。それどころかガラガラの場合だってあるようだ。僕自身は演奏会というものにまったく行かなくなってしまったので、断言はできないけれど。

ヨーロッパのように当日売れ残った席は(少なくとも学生には)数百円で売ったらよいのにと思う。

そうした方が演奏する側も嬉しかろう。1000人のホールに300人いるより、250人のホールが満席のほうがずっと嬉しいものです。若い聴衆を育てもする。

そんなことを考えていくと糸目をつけるつけないよりも、まず音楽界としては先にした方がよいことがありそうである。

習う側にも言いたい。あらゆる場面で人を選べ、ということ。演奏会、CD、講習会、レッスン、楽譜。これらを無造作に、あるいは受身に行っていたならば、仮に糸目をつけて続けてもつけずに続けても大した役には立たない。結局のところすべてはその人が決める事柄である。

あらゆる噂を疑ってみることも大切である。噂だけで成り立つような世の中かも知れないでしょう。

そして最も大切なことは、工夫をしろということだ。工夫に糸目をつけてはいけない。これは無尽蔵なのだから。

つまり「糸目をつけず」という言い方自体は何ら実体がない。恐れるに足らずということであろうか。糸目をつけずと言う人だって本人はつけているに決まっている。そんな言い方をする品性を疑ったほうが良い。率直な感想だ。

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楽器は見ただけで分かるか 3

2009年10月08日 | 音楽
ある調律師から聞いた話では、楽器店勤めの調律師の仕事の大半はピアノ磨きに費やされるという。とくにスタインウェイなど、所謂一等ブランドを扱う店ほどそこに気を遣うらしい。

少しの傷でも見つかると買い手がつかないし、購入後であっても返品されるという。

これはちょっと考えれば筋の通らぬ話である。そんじょそこらのピアノとは違う、クォリティーの高い音を求めようと願って店に来て、自分で選んで帰ったのだろう。かけがえのない音に満足して帰ったのだろう。それを傷ひとつで返品するということは、音で選んだということが嘘であったと白状したも同然だ。

気取った仮面はすぐ剥げる。

以前、刀剣を扱う業者の「刀を持つ手つきでその人の目が分かります。あとは何を仰っても無駄でございます」と何とも凄みのある言葉を紹介したけれど、楽器商もこれくらいの自信を持ってもらいたいね。傷ひとつで返品を要求するような人が言う音への好みや要求は真に受けなくてよい。それくらい断定できないと、あっちへフラフラこっちへフラフラして、結局自分でも分からなくなるぞ、と言いたい。

中古のピアノというが、中古のストラディヴァリウスとはいわないね。ここいら辺も人々の心理をうまく受け止めているなあ。

その中古ピアノであるが、1920年代、30年代辺りのものともなるとさすがに弦は錆び、塗装も薄くなって、フェルト部分など擦り切れている。中古市場ではこれを新品同様に再塗装して、隅々まで磨き上げないと売れないのだという。

弦の錆は音に直接関係しているから分からなくはない。もっとも僕は錆のある弦を新しくすればより良くなる、と信じて疑わない人を疑問視する。

もうひとつある。

そもそも古いピアノに再塗装した時に美しく甦ったと感じる審美眼についてだ。僕は、すでに書いたように、古民具に愛着を持っている。古民具を再塗装して売る骨董屋がいるだろうか。やたらに磨く店はあるらしいが、それだって嫌だね。

歳を重ねた道具の美しさはまた格別である。ピアノだって同じように見たほうがはるかに綺麗だと思うのだが。

例えば僕の所有しているベヒシュタインのコンサートグランドは戦後すぐにドイツから送られてきたのだという。故豊増昇先生の所有だったのを譲っていただいた。

1903年あたりに製造されたものである。ドイツでどこにあったのかは分からない。それでも、どんな狭い会場にでもフルコンを競って置く現代日本とは違う。コンサート会場でも、それなりに大きなホールにあったと考えて見当は外れないだろう。

そして、そのようなホールで演奏するピアニストは(これまた今と違って)錚々たる面々だったに違いない。

今日僕の部屋にあるピアノの鍵盤にケンプが、ラフマニノフが、シュナーベルが触れたのかもしれない。そういう空想をするのは実に実に楽しいことではないか。

それもこれも黄ばんだ象牙、埃が染み付いたフェルト、所々木の地肌が出てしまっている塗装が語りかけてくることではないだろうか。

古道具のもつ美しさとその面白さはそこにある。古い楽器の良さの中にこうした古い外観まで含めたほうが良い。

再塗装したものが良い音ならばそれはそれで構わないけれど、できれば古い外観を留めておくほうが望ましいし、それを望ましいと感じる趣味を持ってもらいたい。

古いヴァイオリンを再塗装してピカピカにして綺麗になったと喜ぶ人はいないのに、ピアノだとどうして同じように振舞えないか。

ヴァイオリンは工芸品、ピアノは工業製品というイメージがそうさせるのだろうか。

最初に挙げた小林秀雄さんの放言も、希代の目利きの言と思えば、あながち暴論ではない。少なくとも冷笑の対象になる性質ではない。

冷笑するより、ここまで脱線していけることを面白がった方がよっぽど気が利いている。


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楽器は見ただけで分かるか 2

2009年10月05日 | 音楽
ヴァイオリンだって骨董屋で木製家具を選ぶように見てみたらよい、というところまで書いた。参考までに欅の古民具をウェブサイトから拝借しておく。少し探したのだがあまり格好なものが見つからない。どうも品がないのばかり出てくる。我が家にある刀箪笥を載せようかとも思ったが、生活を暴露するのは好まない。中では載せたものがましかなと思われた。(我が家のは立派ですぜ。載せなければいくらでも駄法螺を吹けるなあ。)


ストラディヴァリウスをはじめとする弦楽器において、ニスは秘伝中の秘伝だというではないか。家具にしても、歩を譲って、意味はそこまで強くなくてもニスで美しさは左右される。

あるいは漆にいたっては、塗る漆の質がそのまま器の質ではないか。

そう思いをいたすと、小林秀雄さんが「良い楽器は見ただけで分かる」と書いたのを冷笑する理由は果たしてあるだろうか、という疑念すら出てくる。

少なくとも気合が入っていない外観で素晴らしい楽器などはどこを捜してもないのだ。したがって良い楽器は美しい外観をしているということだけは言えそうである。

骨董の目利きである小林さんはそれを率直に口にしたのではないか。

ただしこれは楽器について決定的な判断を下す要因になるはずがない。

弦楽器奏者から、ストラディヴァリウス等名器といわれる楽器を凡庸な奏者が弾くとはじき返されると聞いた。

これはもちろん僕が実感するわけにはいかないけれど、感覚的には分かる。ピアノでも似たところがあるから。はじき返されるというのも感覚的な表現なのだと思われる。

サラブレッドも乗り手を選ぶという。仮に僕が馬に乗れたとしても、馬は乗り手の技量を見てしまうのだ。

器だってそうだ。以前都心の、とある骨董屋の店先で見事なペルシャの水差しを見た。しげしげ眺めたが好奇心に打ち勝てず、店に入って値段を尋ねた。店主はニヤニヤ笑って答えない。いや、買えるはずがないのは承知している。でもどうしても知りたいのだ、と重ねて頼んだら3億円!ということだった。

店からはじき返されてしまった。りゅうとした身なりで「ほほう、思ったより安いものだねえ」とでも言ったら気持ちよかろう。

過日どこかの大金持ちがレースサーキットを借り切って高級スポーツカーを見せびらかそうという映像を見た。さっそうと登場していざ走り出そうとしたけれど激しくスピンするばかり。件の金持ちは失笑を浴びとんだ失態を晒したわけだが、聞くところによればスポーツカーなどは普通の車を乗っている人くらいでは発進すらままならないのだという。

弘法は筆を選ばないかもしれないが、筆のほうは人を選ぶようである。

楽器の見た目から自然に扱う技量まで話が進んでしまった。

一度所謂目利きにただ外観から楽器を選ばせてみたら面白いだろう。大抵の奏者は楽器を選ぶことにある種の恐怖心を抱いているはずである。それは以上書いたことから察しもつくと思う。

名器は代々名手にのみ扱われることによってそのたたずまいの風格があがっているかもしれない。器と同じように。

そこは目利きの世界であり、凡庸な奏者より「正しく」判断するかもしれない。

日本のテレビのバラエティー番組ほど下劣なものはないが、このような、外見だけで楽器を判断する番組があったら見たいね。

ピアノは工業生産品だが、それでも古くなってくればくるほど、一種の工芸品としての性格を帯びる。面白いことだ。

もう少し続ける。書いているうちに面白くなってしまった。
コメント (2)
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