季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

犬学 3

2009年03月31日 | 
ミケがたまと一緒に生活しなかったらどうなっていただろう。このような仮定はもともと意味を成さないのだが、ついつい思ってしまう。

ドイツで羊飼いが牧用犬を訓練しているのを目撃したことがある。大変面白かった。これから訓練しようと思う若い犬はじっと自分の横に付かせているのだ。現役の犬にてきぱきと命令する。現役犬はみごとに仕事をこなしていく。羊の群れをあちらのほうから、こちらの方から吠え立てたり、尻に軽く噛み付いたりしながら望む方向へ追い立てていく。若い見習い犬はそれを見ているだけである。

でも表情はきりっとして、わき見もせず、先輩犬の一挙手一投足を追いかけているところからも、これが集中しなければならない時間であることを承知しているのだ。

こうやって羊飼いの命令と犬の動作を覚えさせるのか、とビックリしたものだ。犬が他の犬の動作を見ているだけで学習するなんて思っても見なかったから。

そういえば友人が犬を飼っていて、自慢する。うちの犬は何でも分かっている、と。彼の家をしばしば訪れる人によると、どこにでもいる躾がされていない犬だそうだが。

しかしここは友達を信じてみよう。曰く、うちの子は頭が良い、こちらが何かを命じるとしばらく小首をかしげてから従う。すぐに従わず、考慮してから行動する。そこが普通の犬とは違うという。

そこで僕は思う。これは少なくとも牧羊犬には無理だなあと。ピーッと口笛を鳴らしたら間髪を入れず走り出し、忙しく右に左に走り回る。これは牧羊犬に必須であろう。その後の判断は犬がしていたものの走り出すのは羊飼いの合図で、そこでグズグズしていたら務まらないなあと思う。

さらに警察犬にも無理だなあと思う。犯人に襲われる。「かかれ!」「えっと・・・」これでは間に合わないものな。

待てよ、あの犬は猟犬じゃないか。羊飼いのものでもなければ、警察捜査のものでもない。打ち落とした鳥を運んで持ってくるのが使命だったはずだ。ひとつシュミレーションしてみよう。

「持って来い」「えっと・・・」のそのそ歩いていったら他の動物がとっくにさらっていってしまうな。仮に間に合ったとしたらどうなるか。「食べ物のことなんかものすごく理解しているんだ」という食欲旺盛な犬だ。持って帰らず食べちまうだろう。

となると、友人宅によく行く人の言うことのほうが正しいのかもしれない。

自慢話を聞いたのがつい先ごろのことで、おもしろく、脱線してしまった。リアリズムは思い出よりも強いね。

ミケはたしかに母性本能が強かったけれど、他の動物を追い回す本能だってあったはずだ。それが見られなかったのは、たまと一緒になって子猫を舐め回したりしたためだろう。

いったんそういう経験をすると学習してしまう能力が犬はとくに高いようである。むつごろうさんのところを見ても分かるように、違う種類の動物でも平和にやっていけるものだ。その点が人間とは大違いだ。

ミケは一歳になったころ、買った時の約束で訓練所に7ヶ月預けた。これはあまり意味がなかったといってよい。

僕は躾は自分でできるし、何よりたまから習うことが途絶えたのが大きかった。訓練所に入っている間にたまは死んでしまったから。

ミケは一人で留守番させるとよほどいやだったのだろう、悪さをした。人が嫌がること、それと物の価値が分かっているとしか思えない、絶妙な悪さをするところが犬の面白いところだ。

帰宅してみると生ごみが床に散乱している。食べたのではない、撒き散らしてある。捨てるべきものだから、かたづけるだけでよいと分かっているとしか思えない。金目のものを壊されたことはない。いつも三角コーナーが床に転がっていた。

叱られると知ってはいるのだ。帰宅したとき部屋の隅にうずくまって、上目遣いにこちらを見ているときには生ごみか、紙くずが散乱していたものだ。

たまができなかったというか、できてもしなかったのがドア開けである。ミケはこれが上手だった。押し下げ式のドアノブなのだが、ここに前足をかけて体重を移動させる。

特筆すべきは、押して開くだけではなく手前に引いて開くこともできたことだ。これは犬にとって難しい。教えることは簡単だが、自分で発見するのはめずらしい。家内の実家に行ったラブラドールも(最初の躾は大切なので我が家でした)実子のアイも、見ていてすぐに押して開くようにはなったが、引いて開くことはできなかった。
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マージャン 2

2009年03月23日 | その他
初めにイメージありき。夜半寝による腹音書にはこうある。

最近の若い人はコミュニケーションが取れない。そもそもこれを疑ってみる人はいないのか。

いや、確かに上手くないように見える。だがここで、では年長者は?と反問してみたらよい。腹芸とかいう言葉が立派に成り立つ国だ。コミュニケーションがスムーズにいく国でそんな言葉が成り立つかい。

僕が子供のころ、それこそ文字通り外で真っ黒になって遊んだものだ。当時は車も少なく、事件も少なかった。

と書いたらたいていの人がそうだったなあ、とうなずく。僕がちょっと前に凶悪事件は僕たちが子供のころこそ今の7倍以上あったと書いたのにもかかわらずね。ここでもイメージだけが先行する。僕は日がな一日外で遊び呆けていたにもかかわらず、なんの事件にも巻き込まれずにすんだ、とややこしい言い方をするべきなのか。

僕も今の子供たちに違和感があることだってある。なんでも物分りよくしようとは思わない。

ただ、僕の世代もその上の世代から違和感を持たれていたであろうということを忘れたくない。

ゲーム機を手にして夢中になっている子供を見ると、つい外へ行きなさいと言いたくなる。

しかし、外へ出て何をさせるというのか。それを考えると黙り込むしかない。公園には野球やサッカーをしないように、と注意書きが掲げてあるし、学校の校庭すら、あれはだめ、これはだめの諸禁止事項だらけではないか。僕たちの主要な遊び場のひとつは道路だったが、今そんなことをしたらどうなる?

僕はただ黙って自分が置かれていた環境を思い出すばかりだ。ここでも注意しておきたい。僕がその環境を懐かしむのは、単に僕が歳を重ねた結果である。繰り返すけれど、僕が何も知らずに遊んでいたころが一番凶悪犯罪が多かったのである。

そもそも外で遊ぶ子供は外に行かない子供より健全だという前提は正しいか。ひとりで静かにしていることが好きな人は、子供でもよい、コミュニケートができない人だろうか。そもそもコミュニテートとはなにか。

こうやっていくらでも問題を考え付くはずだ。

でもその前にイメージが立ちはだかる。認識しようという精神は働かなくなる。

平たく言ってしまえば、世間で今の若い人を指して言われるすべては単なるノスタルジーだ。ノスタルジーを感じること自体はおおいに人間的なことだろう。ただ、それはノスタルジーであることをよく知っておくべきなのだ。

ゲームばかりしている子供は学業が振るわないというデータが挙がった、なんていう記事があったりすると、僕以上に暇なやつがごまんといるのだと実感する。当たり前ではないか。何でも度を過ぎていれば害がある。朝から晩までピアノしか弾いていなければ学業に差し障りがある。サッカーばかりしていてもそうだ。パチンコでもそうだ。

この場合、ピアノを、サッカーを、パチンコを原因だと糾弾するだろうか。

この中でパチンコは僕の趣味に合わないけれどね。だから僕はしない。それだけだろう。そこですってんてんになる人もいよう。そういう人が出ないようにパチンコを禁止するべきだ、という議論にはなるまい。

禁止したところで濡れ手に粟を夢見る人は後を絶たぬからね。僕だってそういう気持ちがあるからこそtotoなんぞを買うのさ。競馬競輪チンチロリンといくらでもある。株だってある。余談だがtotoで6億当たってもここには書かないよ。見知らぬ親友がどっさり来ると困るから。

パチンコは品がなくてお年玉年賀はがきや宝くじは品がよい。株にいたっては経済活動であるから立派な行為だという「イメージ」は持たぬほうがよい。株なんて立派なギャンブルさ。ギャンブルを軽蔑もしない。パスカルの有名な賭けの理論を持ち出して正当化しようとも思わないけれどね。

僕は株やパチンコは好きではない、ただそれだけだ。余計な理由付けをしないことだ。

テレビゲームもしかり。自分や自分の子供にはさせたくないという人はそうすればよい。ただそれだけだ。

自分の趣味に合わぬものと、世の中の問題を(仮にそれ自体は正当だとしても)軽々に結びつけるのは正しくない。反証は幸いネットの中にいくらでもある。あっというまに見つかる。


初めてできるようになったからひとつ。関心のある人はどうぞ。
http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html
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マージャン

2009年03月20日 | その他
先日本当に久方ぶりにマージャンをした。まあマージャンに付き合ったといったほうが適切だが。

マージャン荘の閉店が相次いでいるのだという。なるほど、都心の大学が近くにあるマージャン荘だったにもかかわらず、客といえば我我4人だけ。以前この店に来たときはもっとたくさんのテーブルが埋まっていたなあ。報道が本当のこともたまにはあるんだと妙なところで納得した。

夕方近くに大学生のグループが5,6人来たから様子を伺ってみたけれど、他愛もない話をしながら淡々とゲームを進めて、あっというまに帰っていった。

僕たちのようなおじさんになると、どうしても話の方向が決まってくる。しかも僕も含めていずれも真面目な奴らだ。

自分の手に一喜一憂しながら、話が何かの拍子に若い人たちがコミニュケーションがとれない、とるのが下手だというところに行き着いた。

ひとりが「テレビゲームばかりしているから」と言えばもうひとりも「そうだよ、あれは良くない」と熱を込めて話し、直後にゲームが緊迫し、話し以上に熱を込めて頭をフル回転させる必要が生じたため、この話題はそのまま沈静化した。

僕はその場で異論を唱えることも出来たのだが、議論のためにマージャン荘に金を払うのも業腹だから、そのままにしておいた。今その時感じたことを言っておく。

誰にでもイメージというものはある。それにはある種の根拠すらあるけれど、これは結構物事を見るのに邪魔になる。

テレビゲームに熱中する子供たちというイメージは新聞、テレビでいやというほど植えつけられている。子供たちがゲームをする姿を見て、自分たちが小さかったころは外で駆け回っていたものだ、と情けなく思う大人が多いのだろう。

しかし、それとコミニュケーションをとるのがへただという「観察」を短絡させるのはいけない。

いくつか疑問点を列挙しよう。

テレビゲームがコミニュケーションをとることが苦手な人間を造るというのは本当か。

そもそもテレビゲームに熱中している子供がイメージどおり大勢いるものか。大いに疑問だ。

コミニュケーションをとるのが苦手なのは若い人に限られるのか。

テレビゲームがはじめて出来たころ、僕は面白くてずいぶんやったことがある。当時は機械の能力なぞ知れたもので、僕の能力ははるかに上回り、機械が止まってしまったことが何度もある。

でもすぐに飽きてしまい、それ以来していない。時折車のゲームをしてみると、まあ難しい。ある時期はパソコンでマージャンゲームもしたが、機械がいかさまをしているのでは、という疑念が晴れず(どうです、疑念なんて書くと偉そうでしょう?)今ではやらない。

マージャンはたしかに4人がワイワイ騒ぎながらするけれど、これをコミニュケーションというのは寂しすぎる。音楽家の集まりの中でコミニュケーションがあるのか、本気で話をしている人がいるのか?この問いになれば無いと答える他あるまい。

きっと会社に勤めていても同じだ。若い人がコミニュケーションをとるのが下手だというのも、僕の観察によると、おちゃらけた奴は所謂コミニュケーションをとるのが滅法うまいが、ごく普通の人ほど下手に見える。

ということは当り障りの無いことを喋り散らすことは上手くない人が増えたということだろう。少なくとも僕の眼にはそう映る。

何だか長くなりそうだ。マージャンと同じでダラダラ続きそうだ。いったん止めておく。もう半チャンいくぞ。
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シュヴァルツコップのレッスン

2009年03月16日 | 音楽
この人のレッスンは本当に素晴らしかった。彼女自身の歌ももちろんだが、引退後のレッスンも、おそらく演奏界全体を見渡しても比類のないものだった。

と言ったものの、残念ながら僕は実際に聴いたわけではないのだ。はじめて耳にしたのは(目にしたのは?)70歳の記念番組だった。

歌手シュヴァルツコップしか知らなかった僕は、教師シュヴァルツコップの偉さにはじめて接し、感動した。なんと言うか、音楽にかけるとてつもない熱意とでもいうものが、そこにはあった。

大きな声と響いた声とは違うのだ、と彼女は同じ番組のインタビューでも力説していた。それは僕自身がピアノで苦労していたことであり、また、現代の歌手に感心しないことも多かったので良く分かった。

それよりはるか以前、彼女が「美しい声というものは音楽の邪魔になる」と発言しているのは知っていたし、その意味はなんとなく呑み込めていたが、このレッスンを聴いていてそれを思い出さざるを得なかった。

美しい声を持っているとそこに寄りかかって、表現や声自体を磨くことに関心が向かなくなるということだろう。声自体を磨くとは美しい声を得ようと務めることであるから、自己撞着のように思われるだろう。

この場合、美しい声とはある曲、ある箇所を「適切な」表情で歌うという意味である。

所謂美声の持ち主はそれだけでもう表現しているような錯覚に陥る。シュヴァルツコップのいう真意は、こういうことなのだろう。

この人のレッスンはおよそ徹底している。映像を持っている人は時折映し出される姿を見てもらいたい。このような真剣な顔はそうかんたんにお目にかかれるものではない。

全身が耳と化しているようにさえ見える。そして指摘する正確さと執拗なまでの執着心。

ここまで厳しい耳を僕はそう何人も経験していない。その上で強調しておきたいことは、レッスン自体に高圧的な雰囲気はまったくないということだ。

僕が持っている映像はザルツブルグのサマースクールの模様である。こんな高名な人のレッスンというのに、生徒の質は決して高くない。有り体に言えば低い。聴衆も実に少ない。いったいどうしてだろうと訝しく思えるほどだ。

にもかかわらず、彼女は手を抜くということをしない。これに一番感動する。見るたびに「こんな光景は日本ではありえないな」という声が僕の中でして、これにはちょいと困る。

話が前後するようだが、厳しいのはシュヴァルツコップの耳だけであって、講習会の雰囲気自体は緊張感のなかに笑いや余裕がある。生徒が未熟なのにもかかわらず臆せず質問を発したりするのも羨ましい。

厳しいレッスンというのはこういうのをいうのだ。生徒にきつく当たることではない。書いてしまうと、またこれを読んだ人には当たり前すぎるように聞こえるだろうが、なかなかできないことなのである。

時々レッスンで大変辛い目に会ったとか、罵倒されたとかいう話が耳に入ってくる。僕は遠慮がちな人間だ。だから時々、と書いているけれどね。

かつての日本の有名教授が「何を言ってよいか分からなかったら怒鳴りつけりゃいいんだ」とのたまわった話も笑える。あまりに正直で笑える。

シュヴァルツコップは(と急に戻すのも彼女に失礼な話だね)怒鳴る暇なんか無いだろう。言わねばならぬことは次から次にやってくる。

ハンゼンだってそうだった。ふつうに傍からみれば機嫌のよい優しい爺さんだった。

この映像は市販されているはずだ。見たことの無い人はぜひ見るとよいと思う。日本語訳が時折ひどくて理解しにくいところもあるけれど、それでも凡その見当は付く。



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白洲次郎

2009年03月11日 | その他
若い人に今頃になって人気があるという。

白洲次郎という人は吉田茂の参謀、あるいは懐刀と言われた人だ。

そういったレッテルが貼られているということは、もう誤解された人であるといって構わないのである。

ただし、「今頃になって」この人に愛着を感じるのは若い人たちらしい。レッテルを貼って安心しているのはもっと年長者だろう。若い世代の支持者は、また新しいレッテルを貼って安心してしまうだろうが、どうかそうなって欲しくないものだ。

若い人たちが惹かれる理由は、格好良いからだという。カッコいいからと言ったほうが近いだろうね。それが浅薄だとは思わない。たしかに白洲さんはカッコいい。僕もそう思う。そうした単純な理由がいちばんさ。

もっともこれは誰かがアンケートでもした結果だ。こういうのも信用しすぎないほうが良い。白洲次郎が今も思い出される人だということ、僕は彼をカッコいいと思う、これだけは確実なことで、あとは噂話である。

白洲次郎という名前は以前から白洲正子さんの本や、河上徹太郎さんの本で知っていた。小林秀雄さんの著書の中では名前は挙げずに書かれていることが多かった。英語に堪能な知人とかゴルフに詳しい知人とか書いてあるのも白洲次郎のことかと思う。

白洲正子さんにとってはもっとも身近な存在だったわけで、著書の中で、生れ変ったとしたらもう次郎とはいいわ、なんて言っているけれどそんなのは当然なのでね、取り立てて話題にするまでもない。充分に魅力について書いているのだ、それをそのまま受け取ればよい。

他人の僕にとっては、その魅力だけで充分だ。この人のことを結構詳しく知ったのは「風の男」という評伝を読んでからだ。なるほど、正子さんが褒めるわけだと思った。

その後、彼自身の「プリンシプルのない日本」という、新聞雑誌への寄稿を集めたものを読んだ。

正子さんによると、芸術なんていうものに興味を持たない人だったそうだが、そうかもしれない。文章はお世辞にもうまいとはいえず、ナタで大根を調理しているような按配なのである。

しかし、彼の意見はいつも真っ正直で、読んでいてじつに気持ちが良いのだ。他人からよく「お前は青臭い」と言われることについて「その通りかもしれないが、僕はずっと青臭いままで行こうと思う」と述懐しているところがあって、評伝の通りの人なのだと得心がいった。

例によって書きかけて放っておいたら、何とNHKが彼の生涯をドラマにしたというではないか!いよいよあの放送局もヤキが回ったと見える。

因みに僕が色んな記事を書きかけて放っておくわけは、今思いついたことを忘れないためには、まずちょこっと、せめてタイトルとあらましだけでも書きとめていかないと、何を思っていたかも忘れてしまうからに他ならない。つまりメモ代わりに始めたブログであるから、忘れてしまっては何の意味もないからだ。

ドラマなんかに興味はない。気色悪いとさえ思う。そもそも白洲さんが上記の本の中でも、われわれの憲法はアメリカから押し付けられたものだから、早くそれなりの方法に則って改憲したほうがよい、と発言しているのをドラマの中でも言わせるものだろうか。そこの扱い方次第では僕はNHKを見直してもいいけれどね。

断っておくけれど、僕は改憲論者ではないよ。でも、改憲論者イコール平和を求めない人、といった見方は大変に不健康だと思っている。この種の「タブー視」が日本には多すぎると思っている。

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2009年03月08日 | スポーツ
ブリューゲルの「冬」について書いていて急に思い出したことがある。

僕が住んでいたのはハンブルクだ。ハンブルクは町の真ん中にアルスター湖という湖がある。横浜より少し小さいが、ドイツを代表する大都市なのに、大変住みやすかった。

今はどうなのか知らないが、当時は夕方5時にはすべての店が閉まる。アルスター湖畔には高級店が並び、ウィンドーショッピングするのも楽しかった。わざわざウィンドーショッピングのために家から出かけたことさえある。

何ていうと格好良いね。今はプロの立ち読みストだが、当時はプロのウィンドーショッピンギスト?だったのさ。進歩していないのがよく分かるだろう。

冗談はさておき、店が閉まっている時間帯に町をぶらついてウィンドーショッピングを楽しむというのはヨーロッパの人たちのゆとりある楽しみ方のひとつだ。

アルスター湖に町の明かりが映えるのはきれいだったなあ。

この湖は僕が住んでいたころには3,4回凍った。いや、凍るだけなら毎年凍ります。氷が充分に厚くなると市当局から湖上を歩いても大丈夫というお達しが出るのだ。

安全だと発表されると氷上に屋台が並び、市民が繰り出すのだ。ふだん岸辺から見ているところを歩く、これが楽しいのだ。たまと一緒に歩いたこともある。たまが氷に足をとられてやたらに転んで周囲の笑いを誘ったなあ。

一度は車が横断するのを目撃したことがある。これが許されているかどうか知らないけれど、それほどまでに氷が厚く張るのだ。

しかし上には上がある。これは当時テレビで見ただけなのだが、オランダでは国中に張り巡らされた運河が凍る。やはり安全だと判断されると、オランダ一周というとんでもないスケート大会が開かれるという。

国民はどうせ寒い冬であるならばいっそこの大会が開かれるくらい寒くなることを待ち望むらしい。

自分の国をスケートで一周するレース!なんだか血沸き肉踊ると思いませんか。いや、あんまり真面目に考えると、疲れるだろうから遠慮しますとか言いそうだから、ここは単純に童心に帰ってみよう。

ブリューゲルの絵にも大人が他愛もない遊びに呆けているのがあるね。オランダのこの大会はそんな血を受け継いでいるのだろうか。

レースは薄暗いうちにスタートする。みんな腰に弁当と飲み物をくくりつけている。子供もいれば(きっと)オリンピックに出ることを夢見る選手、もしくは選手の卵もいる。

オランダがスケートの距離競技に強いのはこんな下地があるからなのだろう。コースなどは決められているのか、僕は知らない。一位は何時間、とか報道していたように記憶するから、まああったのでしょう。

でも大抵の人は記録よりも運河巡りをすることが楽しみなようで、思い思いに勝手な場所で弁当を広げたりしている様子であった。もしかしたらアルコールも入っていたのかもしれない。

この情景は印象に残っている。たくましいというしかない。バッハの短調の曲のいくつかはふつう短調について「悲しい」「寂しい」「暗い」といわれる感じとは相容れないものがある。ここでたくましいと言っても差し支えないと思う。

たとえばインヴェンションのイ短調やニ短調を思ってもらいたい。これらに溢れるエネルギーを説明することは難しいのかもしれないけれど、僕はオランダ人の「寒さが何だ、もっと寒くなれ」というユーモアを思い出す。
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フルトヴェングラーかカラヤンか 2

2009年03月05日 | 音楽
この種類のテーマは僕にとっては大変重要なのである。ガキのころフルトヴェングラーを知ったのはまあ偶然に過ぎない。おかげで音楽家なんて割りの合わない職業に就く羽目になっただけである。

しかしいざ音楽家になってみると、執拗に究めなければならない問題がこの人の中にこそある、と感じないわけにはいかないのだ。ピアノという楽器に真剣に向かい合ったのは30歳近かったが、いざハンゼンから習うことを、体ごと自分のものにしようと思ってふと気がつくと、フルトヴェングラーはいっそう大きな姿で真後ろに立っていた。そんな感じであった。

そうしたことを直接書きたいのではない。

さしあたってテールヒェンの本を紹介するにあたり、偶然目にしたこの人の語り方を思い出さざるを得ない。

僕がまだドイツにいたころ「情熱のロマンティカー」と題したフルトヴェングラーのドキュメントを見た。その中でテールヒェンがインタビューに答えている姿があった。

今にして思えば「フルトヴェングラーかカラヤンか」はすでに上梓されていたのかもしれない。

色んな分野の人たちに混じって、この人の語る眼差しと口元はひときわ僕の注意を惹いた。ただのインタビューの受け答えとは違い、祈るような、訴えるような真剣さがそこにはあった。どういえばよいだろう、フルトヴェングラーという過去の大指揮者の思い出を語るのではない、これは私の今日の問題だとでもいうかのような。

このドキュメントは(たぶん)テーゲルン湖上からかつてフルトヴェングラーの住んでいた家を写し出すところから始まる。「ジークフリートの葬送行進曲」が流れている。シンバルが激しく、重厚に打ち鳴らされ、チューバが重く温かいハーモニーを奏でる。
悲劇的生涯を象徴するかのようで、以前「フィンガル」で触れたようにヨーロッパの番組は音楽の扱い方がじつにうまいと感心してしまう。

テールヒェンに対するフィルハーモニー楽員の反応は必ずしも好意的ではなかったらしい。そうだろう。人はどのような場合でも自分の置かれた立場を是認したいのものだから。

テールヒェンの本の特色はたとえば次のような点に現れる。

彼は言う、どんな人の中にもある程度のフルトヴェングラー的なものと、ある程度のカラヤン的なものとがある。

献身的に何かに向かうことと自己愛のことだと思えばよい。つまりテールヒェンはこの二人の指揮者の中に人が必ず持っている性質の象徴を見出したのである。フルトヴェングラーにも当然自己愛があった。いうまでもないことだ。

それを見逃さずに、つまりテールヒェン自身もただ精神的潔白さを主張しているのではない点を僕は公平な視点と呼んだのであって、公平な視点というのはどちらにも組しないということではない。

テールヒェンは何度も来日し、芸大などでも教えたりしたようである。これは僕がインタビューから知ったことだ。

今日でも日本の若い音楽家の卵がもっとも関心を寄せるのがフルトヴェングラーだそうで、彼の何が人の心を惹きつけるのか、にテールヒェンは気を配る。言外に心惹かれる人たちはもう一歩踏み込んで音楽への献身的な態度こそいつまでも人を捕らえてやまぬものの理由であることを知って欲しいと言っているのだ。

彼の願いは通じたのか?そうであることを祈る。ただ、芸大の中で話題になったのは打楽器科、良くて指揮科だけではなかったろうか。

他の科に話題が流れていたのならば僕の耳にも何らかの形で届いたであろう。もしもたいした話題になっていなかったのならば、テールヒェンの祈りは通じなかったことになろう。いずれにしても残念なことだ。
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フルトヴェングラーかカラヤンか

2009年03月02日 | 音楽
これは二人の指揮者の下で演奏したヴェルナー・テールヒェンというティンパニー奏者が、カラヤン存命中に書いた本である。著者は作曲家としても名を成して、来日もしている人だ。つまりベルリンフィルの一員としてではなく、個人として。(なんだか、政治家の靖国参拝みたいでおかしい。あなたが来日されたのはフィルハーモニーとしてでしょうか、一個人としてでしょうか?)

この手のタイトルの本にありがちなスキャンダルやゴシップめいた内容は皆無の、じつに立派な本だ。もちろん内部にいた人しか知らないエピソードがないわけではない。ただ、その扱い方はフルトヴェングラーなりカラヤンなりの本質を表すと著者が見做したものに限られる。それが所謂暴露本とはまったく違った性質をこの本に与えている。

じつはこの本、あるピアニストがわざわざ電話をかけてきて貸してくれというので貸したきり戻ってこない。オークションで見つけて再購入した。僕が立派な本だと力説するのを聞いて興味を持ってくれたらしいのだが。こんなことを書けば、どういう評価を僕がしているかお分かりだろう。

再購入したものも今は貸しているので記憶だけで書くけれど、例によってそれで構わないだろう。

著者は、はじめてフルトヴェングラーの指揮に奏者として接したときの記憶から書き出しているが、この部分の文体が全編を支配している。テールヒェンが記述する力量も兼ね備えた、すばらしい人物だということがすぐに見て取れる。

全編を通じて深い洞察に満ちているが、中でも一番正確かつ興味深いのは、カラヤンを行為の人と呼び、フルトヴェングラーを反応の人と呼ぶ件であろう。

カラヤンの指揮する姿は音楽好きならば一度は目にしたことがあるのではないだろうか。常に目を閉じ、動きはシンプルでゆったりとしていた。それに対してフルトヴェングラーの動作は一度目にしたら忘れられぬ、酔っ払いめいた激しい身振りで、頭は前後にガクガクと震え、ちょっと目には分かりづらい、それでも強烈な作用をもたらす、だれも真似できない、独特のものだった。

テールヒェンは二人の身振りについて一般の人の受け止め方をふまえた上で次のように言う。

フルトヴェングラーの指示は兵隊を鼓舞する将軍のように見え、カラヤンの身振りは敬虔に響きに耳を傾ける人のそれのように映ったであろうが、自分はそれと真反対な印象を持ったと。

カラヤンは行為の人であり、フルトヴェングラーは反応する人(Reakt)であったという。

分かりづらいかもしれない。

ある瞬間に響いた音が次の音を決める。そうやって音は持続していくのである。テンポを説明するとき次のような比喩を使ってみようか。

僕たちが跳ぶところを考える。右足が地面を蹴り出した瞬間を写真に撮るとしよう。次に左足が着地するのは今地面を蹴り出した右足の中にある諸条件次第である。それと無関係な距離、テンポはありえない。

チェリビダッケがどこかで書いていた。ある曲のテンポについて彼がフルトヴェングラーに尋ねたところ「それはその時の響きによる」と答えたそうだ。チェリビダッケはたちどころに演奏の真髄が分かったのだという。

上述の比喩は音楽的に言えばこのようになるのである。

テールヒェンがフルトヴェングラーを反応の人と呼ぶのはその意味においてである。彼は楽員が音を出すのを待っていると言ってもよい。楽員はもちろんフルトヴェングラーの合図を待つ。ただ、それは合図ではなかった。自分が楽曲から受けた感動を、衝撃を素直に身振りにして、楽員に共感を求める行為だと言ったほうが正確だ。

最初の音がこうして響き始めると、その響きが次の音を「規定」する。そこには計算されつくされたものはない。テールヒェンがフルトヴェングラーの指揮について「アンテナのようなものだった」と言うのも同じことなのだ。

フルトヴェングラー自身が「即興性」と呼ぶのもまったく同じことだ。即興性という言葉から、恣意的な思いつくがままの勝手な演奏を想像するのは間違いなのだ。

書き出したら何だか長くなってしまった。まだ続けようと思う。

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