季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ブリューゲル

2009年02月27日 | 芸術
僕は絵の鑑賞において本物志向が薄い人間である。昔から、絵画展で満員電車の思いをするよりは家で茶をすすりながら好きな画集を眺めているほうが好きであった。いいなあという気持ちだけは本物なのである。

できることならば美術館で見たいという気持ちくらいはあるのだ。常設展などは行く。山梨県に白樺派の人たちゆかりの清春美術館という小さな美術館がある。ここには今も木工をする人たちの工房があったりする。小さな礼拝堂がありルオーの作品が取り囲んで架けられている。そのような小さいところで見るルオーは落ち着いていてよい。

でも正直に考えれば僕の眼なぞ知れているわけだから、本物を見たところで何かが違って見えるわけではあるまい。ずっとそう思ってきた。好きな画家は画集で見たって好きだと思ってきた。それは今でもその通りだと思う。

ただひとりだけ、本物を見て好きになった、いやそれどころか心底感心してしまった例外がいる。ピーター・ブリューゲルである。この人の絵を画集の小さな写真で見ていたころは、決して好きな画家とはいえなかった。

素朴な画家たちというのが流行った時期があって、それらの画家は素人くさい描きかたで細かく人物や風景を描きこんである。素人くさくどころか、正真正銘の素人や素人に毛が生えたようなのが好まれたのではなかったか。

それらのさきがけのような印象を持ってしまってそれ以上見ようともしていなかった。ゴッホが手紙の中で何べんもブリューゲルに言及しているのは当然読んでいたのだが。農民を描いたと言われたってそれが何さ、といった感じ。農民を描けというのなら僕だって描いてやるわい。下手だけどね。下手でいいんだろう?そんな気持ちが少しあった。

初めてウィーンの美術館で期せずしてブリューゲルを見たときびっくりした。まずその色彩の美しさ。

どう言おうか。パッと遠目に見たときの印象は、どんな絵でも一種の模様でしょう。その色調が落ち着いているのに鮮やかなのだ。

僕は古いペルシャ絨毯が好きだが、それはシルクではいけない。絶対にウールでなければ深みのある色彩は出ない。

なんだかそんなことを思い出させる目触り?感だ。ルーベンスのような鮮やかな色もなく、レンブラントのようなずっしりと心に響き渡るような重みでもない。何ともいえず心地よい落ち着き。

近くに寄ってみると、また本当に細かいところまで描き込んでいて、それにもびっくりする。

最も評価の高い(と思われる)「冬」の画面左手では女たちが焚き火をしている。左上方に吹き上がる火は、火の粉の音まで聞こえてきそうだ。北風の痛さも感じるようだ。

凍った池では大勢の人がスケートを楽しんでいる。狩人たちは今ようやく日常の風景を取り戻したのだ。いったい何人が描かれているのだろう、今度数えてみよう。

数えてみるで思い出したが、カラスもたくさん描かれている。これがじつに効果的である。冷たい風や張り詰めた空気を伝えている。うまいとしか言いようがない。

葉っぱが一枚もない枯れ木(実際は枯れていないのだろうが)も画面を分ける働きをしているだけではなく、村という存在を強調しているように思える。

もうひとつ、犬好きな僕が思わず笑ってしまうのが、左手前にいる犬の群れ中一番端にいる猟犬である。しゃがんで用を足しているのだ。その背中の曲がり具合といい、首の角度といい、よく見ているというのか、犬たちと狩人の関係までが見て取れる。

ブリューゲル自身も犬が好きだったに違いない。ユーモラスで、しかも心打たれる。
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漢字伝来

2009年02月24日 | 
大島正二さんという人の「漢字伝来」という本は面白かった。僕たちは生まれてこの方ずっと漢字と付き合っているにもかかわらず、それについて知らないものだなあ、というのが真っ先にきた感想だ。

今、僕たちはと書いたでしょう、これは本当は間違いだ。僕という漢字のことではないよ、言っておくが。パソコンの変換キイのおかげで書き間違いはなくなったよ。とんでもない見落としはあるけれど。

こういう場合「僕たち」と全員がそうであるかの言葉を使うのはマスコミやキャスターの常套句である。「私たちはこんな贅沢をしていてよいのでしょうか」などと使用する。

贅沢していると感じているのはあんただろう、自分まで一緒にしないでもらいたい、と思ったことならば大抵の人があるだろう。マスコミから広がった(多分ね)この手の責任を共有して気が楽になりたい人の言い草を僕は好きになれない。

だから本当はこう書かねばならない。僕は生まれてこの方ずっと漢字に付き合っているにもかかわらず、それについて知らない、と。

ただ、この場合はそこまで厳密に言う必要はないだろう。偶然そう書いたからその機会を利用してマスコミ用語に苦言を呈しておきたかった。

万葉仮名なんて漠然とは知っていても、いつこういった使用方法から漢字と仮名の混交文になったか、それはまあ分かってもどんな理由でそうした知恵に結びついたか、僕たちに、じゃなかった、僕に分かるはずもない。

慕久似輪巣辺手無津蚊詩意。度鵜陀身名査磨予目瑠課音。万葉仮名で用いられている文字は、各人が好みに従って使用したそうだ。今の絵文字を使うような感覚なのかなあ。私はこの字が素敵だと思うなってね。どうも基本的にはそんな風なのだ。
絵文字を僕は使わないし、白眼視している人たちがいるのも承知しているが、なに、こういったものだって日本の文化的な背景が垣間見られると思うとおもしろいではないか。

仲間内で絵文字を多用する若い子たちも、僕に送るメールはじつに丁寧できちんとしている。僕は世間で言われているほど若い世代のマナーが悪いなんて、これっぽっちも感じないね。

と脱線したところで。

漢字は日本にだけではなくベトナム、朝鮮でも使われたことは知っていたけれど、ベトナムでは漢字仮名混交文のような試みがなされて、結局破棄されたことはまったくの初耳であった。

ハングルも、戦後の発明のように思っていたが、というより何も思っていなかったが、何世紀も前に考案されて、そのまま半ば忘れられていたのを再び使い出したのだとはじめて知った。音楽の、それも演奏なんて日常の時間ばかりとられることに携わっていると、視野も狭くなるなあ、と改めて反省した。

それにしても万葉仮名の時代から漢字仮名混交文への変遷がかなり速やかに行われたのは驚嘆に値する。

その経緯について詳しく書かれた本も当然あるのだが、細かすぎて精読する根気がない。本屋でまず立ち読みするが(僕がプロのタチヨミストであることはすでに書いたことがある)買う気すら起きない。当然読む根気もないだろうと察している。

それでも言葉の成り立ち、字の成り立ちに関心があるのでこうして読みかじっては空想にふける。

漢字仮名混交文への移行期においてはいろんな議論や模索が盛んだったのだろう。居合わせていたらさぞ楽しかっただろう。

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サッカーを見て

2009年02月21日 | スポーツ
サッカーの番組を見ていて感じたことを。サッカーのバラエティー番組だが。

現在ドイツリーグで活躍する長谷部という選手がいる。ちょっとサッカーに関心のある人ならば知っている人気選手だ。

あるバラエティー番組に登場して司会者と歓談するコーナーを見ていたとき、長谷部選手の発言で、やはり日本のチームは強くなりきれぬはずだと改めて思った。

彼がある試合中、味方の年上の選手に「パスを出すのが遅いんだよ」と怒ったところ、年長の選手がマジで(ここは長谷部選手の言ったとおりに伝えておく)「その言葉づかいはなんだ!」と切れたというのだ。

長幼の序だかなんだか知らないが、じつに詰まらぬことである。

なにかい、試合中に「あのー、パスがすこーし遅いと思うんですけど、せんぱーい」とでも言えというのかい?

フィールドに入ったら歳もなにもない、正確なプレーと正確な指示、批判があるばかりだ。フィールドでは皆が対等だ。こんな当たり前のことが通用しない。

金田さんという解説者がいる。なかなかはっきりものを言う男である。というか感情を露わにしてしまうタイプだ。そんな彼が他の番組でだが、岡田代表監督と対談していた。現役時代、岡田監督が先輩にあたる。

金田さんは直前の代表チームの情けない敗戦に明らかに苛ついていた。それでも具体的に戦術を批判することもなく、ただ「岡田さん、大丈夫なんですよね?」と繰り返し訊ねるだけに終始した。

こうしたことが改まらない限り、日本チームは時々の浮き沈みはあっても強くはならないと思った。

と書くと年配の男性から嫌な顔をされると思う。しかしフィールド内では平等であるばかりではない。社会に出れば当然なことではないか。

年長者を敬えということは年長者が「要求」するべきことではあるまい。洋の東西を問わず、年少者は何らかの肯定的な感情を以って年長者に接しているものだ。

僕だって碌でもない奴には年長もへったくれもない、と痛罵しているが、ふつうに接しているときは一種の畏敬のまなざしを以って接している。

しかし普段の生活ではたとえバイトの若い女の子に対してでも対等に接するのが礼儀というものだろう。

店の若いアルバイト店員と思しき子に「オイ、これはいくらなんだね?」といった調子でものを言うおじさんやおばさんを見かけるけれど、あれはよくないね。これでは若い人に礼儀云々言う資格なぞあったものではない。

そもそも政治家が新聞記者たちに「君はなんだね、あーん?自分の質問の意味分かっているのかね?」とか言っていますね。言われるほうも言われるほうなのだが。それはさておいて、これだって不愉快なことだ。

普通の人同士の会話が成り立たない。これはどうしたことなのか。

以前、イギリスの番組でブレア前首相が、イラクへの派兵の是非をめぐって一般国民と公開討論をしていた。その是非はさておいて、僕はじつに羨ましく思った。ブレアは必死に派兵の重要性を訴え、国民は(本当は個人だけどね、国民という多数の意味ではないよ)それに同調する者、異を唱えるもの様々だった。

僕は英語が苦手なのは、自慢ではないがひとかどのものだ。それでもブレアが「君、反対というが、現地の政治状況を正確に知っているのかね、あーん?」「そりゃ君のような気楽な素人の言うことだ、もっと勉強したらどうかね」なんて調子で喋っていないくらいは分かった。犬だって怒られているか褒められているか、分かるんだ。つまり僕は犬と同じくらいには賢いのさ。

日本ではそのような当たり前のことすらついにあり得ないまま21世紀も10年近く経つ。

サッカーは複雑なチームプレー故に、世相をよく反映する。
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出まかせ

2009年02月18日 | 音楽
音楽関係の文章があまりにもお粗末なのはもう半ば諦めているけれど、次のようなものはいかがであろう。

ラン・ランが、音楽をじっくり弾いているのでなく、その技を展示したCDなのだ。

休まずに聴いてびっくり仰天するのが、正しい聴き方というもの。ピアノ音楽って、一体何なのだろう?と考えるのは、その後だ。考えたくなければ、スポーツ観戦に負けない、すっきり感を、心ゆくまで味わえばいい。


以上は、楽器店に置いてある小冊子の中のCD紹介コーナーにある紹介文だ。こんな文を書く奴が同じページでリヒャルト・シュトラウスのCDなどを紹介している。これをまともに信じていく人もいるからしょうね、謝礼を払って書いてもらうからには。

技を展示だって?この青年が何の技を持っているのか僕は分からない。ピアノを弾く技ではないことくらいしか分からない。CDで上手投げでも分かるのか。飛び膝けりの音でも入っているのか。

僕はCDを聴いてビックリすることは無いと確信しているが、この文章を読んでびっくりするね。

しかもそれを掲載する冊子があり、それをまた読んで何の感想も持たずにいられる人が大勢いるらしいことに又びっくりだね。

ランランという少年が数年前日本のある胡散臭いコンクールに出て、テレビでも彼を含むエントリーした子たちの記録を流していた。たしか同じ人物だろう。家が貧しかったかなにかで、紙鍵盤を使って練習している、そんな紹介ではなかったかなあ。

胡散臭いコンクールと書いたが、それはこのコンクールを特定しているわけではないよ、だいいちどのコンクールだか覚えていないのだもの。コンクールは何処も多かれ少なかれ胡散臭いものだ。横道にそれるが書いておこう。

受ける人は(僕の生徒だって受ける)練習は真面目にしたほうがよいに決まっているけれど、演奏もきちんと弾くように務めるべきではあるけれど、結果に過剰に反応することはやめたほうがよい。

さて話題を戻すが、僕ははじめて幼い?ランランを見たとき「こんな子はコンクールなぞに受かるとモンスターのようになるから受からせてはいけない」と言った。

結果は(どうやら)彼が優勝して、立派なモンスターに成長した。こんなことが的中しても自慢にもならない。ロトでも買った方が気が利いているなあ。

彼が紙鍵盤を弾く演奏会があったらその時は行ってもよい。音が出るときだけは願い下げだ。

ランランのせいではない。彼は評価されるからそんなものだと思っているだけだ。上述のごとき心ない、責任はもっとない評家たちが群がっている様は異様だと思う。

こんな評を書かれて平然とできるものだろうか?大人だなあ。読む人のすべてとはいわないが、かなりの数の人がほとんど何の関心も示さず、つまり文のでまかせさ加減に怒り心頭に発することもなく日常生活にいそしむのか。それはそれで恐ろしいことではないか。

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犬学 2

2009年02月15日 | 
ミケはたまがいなかったら我が家に来なかったかもしれない。

2頭目のシェパードを飼おうと決心してしまったのも、たまがいつかいなくなる、その時に少しでも気持ちを和らげてくれるのはもう一頭のシェパードだ、と思ったからだ。

いや違うな。たまがいなくなったら次のシェパードを飼う気力がなくなることを予感していたし、犬なしの生活がどれほど味気ないかを思うと耐え切れなかった、そんなところか。

ドイツであっさり新聞広告で買ったというのに、電話帳で調べて幾つかの繁殖者を訪ねたにもかかわらず、どうも勝手が違う。

「シェパードの子犬はいますか?」と訊ねても何やらむにゃむにゃした答えが返ってくるばかり。いないというわけではないけれど、とかね。

はっきりせんか!と思う。だって子犬はいるかいないかしかないじゃないか。僕は神様はいるかいないかと訊ねたわけではない。幽霊の存在を訊ねたのでもない。これ以上単純なことはあるまい、という問いを発したのだ。

また、値段を訊いても不得要領な答えしかくれない人もいた。じろじろ僕のなりを見られたりして、どうにも愉快ではない。まあ、見るからに貧乏そうではあるよ、それは認める。せめて友人たちのように肥えていたならば違った目で見られただろうが。

こんな単純明快な質問に答えることができないのにはわけがあると思ったが、後日わけはあるのだと知った。

シェパードを訓練所で買った場合、訓練に預けるのが一般らしい。また、由緒正しい血統の犬は大会に出して賞を狙うのが正統な飼いかたらしい。ミケは大変由緒のある子犬だったから、その後いろんなことを経験せざるを得なかった。

大会で上位になるためには訓練所に預けて訓練師と長時間一緒にいるようである。では飼い主はなぜ飼うのだろう、と素朴な質問が出ますね。

シェパードなど、警察犬に指定されている犬種を扱った雑誌が警察犬協会から発行されている。そこに○○氏様御愛犬、と大書されるのである。僕などから見れば、そこに名前を出すために飼っているとしか思えない。馬主の世界と似ているのかもしれない。僕は馬の社会を知らないからあて推量で書いているのだが。

したがって○○氏はお金持ちで、いっぺんに何頭ものシェパードを所有していることが多い。

そのような世界でミケがどうやって我が家に来たのだろう。ここにもわけがある。

シェパードの世界ではドイツから来た子と日本産の子では出来が違う。これはほんとうにそうだ。学歴なぞは人を欺くことばかりだが、こちらの来歴は信頼するに足る。たとえば、アメリカのシェパードは、いかにシェパード好きな僕でも可愛いとはとても思えない。なぜ姿かたちまで違っていくのか、じつに不思議だ。

大会では、そのためドイツから来た犬たちを「外産」日本生れを「内産」と呼び、ジャンルを別にして審査する。「外産」の持ち主(飼い主と呼ぶのに抵抗あり)はシェパード道の王道を行くお金持ちなのだ。

子犬を求めて、何番目かに信頼してよさそうな訓練所に行き着いた。雑談の折に、我が家にはドイツから連れてきたメスのシェパードがいると話したら「ほう、外産ですか!」と身を乗り出して、そこから一気に信頼を勝ち取ったような按配であった。

無論僕が裕福に見えるはずがない。ただ、シェパードに並々ならぬ情熱を持っていると思ったらしい。情熱といったって僕はただ好きなだけで、重松様御愛犬と書かれたいわけではない。

そんな事情があってミケは(本来裕福な家に買われて訓練所で飼われる代わりに)しみったれた我が家に来ることになった次第。
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犬学

2009年02月12日 | 
犬学ですよ。大学の間違いではないぞ。大学よりずっとましな学である。点がひとつ加わるだけでこんなにも立派なものになってしまうのはおもしろい。

そういえば、小さいころ僕の名前はよく間違えられた。大を「ひろ」と読むのがまだ一般ではなかったころだ、「しげまつしょうた」と呼ばれることがよくあった。これも点をひとつ付けたわけだね。

これがいやでね。時折アナウンス付の演奏会に出たりして「演奏は重松しょうたさんです」と言われると、もうカニ歩きして出て行かねばならぬような気になったものである。

さて犬学である。

ミケという子は見かけに似ずとても優しいシェパードだった。もっとも売られたけんかだけは買うタイプで、しかもとてつもなく力が強かった。

主人を守るという本能も強く、典型的なシェパードだった。大会、所謂品評会で良い成績を収めたり、犬の雑誌のシェパード特集に大きく写真と僕のインタビュー記事が載ったこともある。そんな子が実は母性本能のかたまりで、子犬や他の動物にはとろけるような表情で接するのだった。

ミケの母親はといえば、まったく母性本能がなくて、訓練所では5匹産まれた子犬たちにミルクをあげるので大変だったと聞く。所謂大会で日本チャンピオンになって、知らぬひとはいないような忙しい日々を送っていたからであろうか。いやいや、そんな心理学の教科書みたいな理由ではないだろうな。

犬だって性質はそれぞれだから、生まれつき母性本能が強かったのかもしれない。ただ、たまと一緒に暮らしていなかったらこうはならなかったのではないか、とよく思う。

たまだって子犬の頃は他の動物に関心を示したな。近くにお城(と言ってもドイツのなかでもまた小さく、まあ館といった風情)があって、そこのお堀に水鳥がいっぱいいてね。おっという感じで見ていたものだ。そのたびに鎖をグッと引いて「いけない」とピシッと言って、次に「おともだち」とやんわり言うのを何度か繰り返したら、すぐに何の反応も示さなくなった。

ドイツで犬仲間と森を散歩していて、他の犬たちはウサギが出ると追い回していたが、たまだけは追いかけず、ハリネズミが木の根元でうろついていても、クンクン嗅ぐだけで柔和な表情をしていたから、やはり生まれつきなのだろうか。

犬も人も、違った環境だったら、という仮定をしたところで空しいのは同じだ。それでもついそうしたくなるのが人情だなあ。

ふと死んだ江藤淳さんを思い出した。ドイツ時代、どうやって手にしたかもう覚えていないのであるが、江藤さんが飼い犬3代について書いている本を読んだ。まず意外だった。江藤さんが犬について書くなんて、と思いながら読んだ記憶がある。

きっとこれは誰かに借りた本に違いない。手許には無いのを知っているから。三代の犬との生活と別れが大変丁寧に書かれていた。それを感じながらもなお、江藤さんが犬についてねえ、と何か不思議な気持ちだった。

そういえば今思い出したが、小林秀雄さんとの対談の中でほんの少し犬について語っていたな。犬を飼うこと、それも所謂血統書つきの犬を飼うことが今ほど広まっていない時代のことである。

日本では犬を飼う文化がないから、社会のステータスでかう犬種がおよそ決まる傾向があるが、イギリスでは貧しい人が大型犬を飼っていてもいぶかしがる人はいない。ジョンはあの犬種が好きなんだ、そうかい、そんな感じだ、ということを述べていた。

江藤さんが遺書の中で奥さんの死後、生きていく気力が無くなったと書いていたときも素直にああそうなのだと思えた。僕がこの犬についての本で隠された江藤さんの一面を知らずにいたら意外すぎたかもしれない。奥さんの存在は孤軍奮闘する江藤さんの唯一の支えだったのかもしれない。子供がなかった江藤さん夫婦の中での犬の存在が非常によく出ている本であった。

思いもよらぬ転調になってしまった。続きはまた。
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指揮とピアノ

2009年02月09日 | 音楽
ちょっと前にクーレンカンプと若き日のショルティがピアノを受け持った録音があると書いた。ショルティのピアノが大変上手だということも書いた。

ショルティは何度か実際に聴いたことがある。一度は耳慣れた北ドイツ放送管弦楽団を振ったものを聴いた。

この人を僕はまったく評価しないのである。身振りも爬虫類めいて、赤い舌をチョロリと出したら似合いそうであった。

演奏はただ圧しつぶしたような音を好んだのであろうか、やたらうるさく、音が持続しないのであった。

所謂クラシック音楽の演奏において音が持続しないのは致命的である。音楽はリズムによって分割されているのではない。時間の流れに沿って行くだけだ。

そもそも時間は流れているのか?こういった議論も当然ある。時間は得体が知れない。でもここではそんな面倒なことが言いたいのではない。

要するに音楽はただ「体験」できるだけのものだ。イン・テンポだろうが付点音符だろうが、すべては弾き手の中にあるので、外側から計れるものではない。トスカニーニを間抜けという理由はそこにある。

ピアニストとして立派な技量を持ちながら、ショルティはなぜ指揮者としてはあんなことになったか。あんなことというのは、もちろん世評とは違った評価だけれど。なにしろサーだからね。サーといっても卓球の愛ちゃんじゃないよ、サー・ゲオルク・ショルティだ。

先日紹介したクーレンカンプとの競演CDだって、今なお売れ筋なのは「あのショルティがピアノを弾いている」という触れ込みなのである。

昔から、たとえばブルーノ・ワルターもピアノの名手としてデビューしたのだし、そういう経緯で指揮者になったひとは少なくない。

ピアノをあまり上手に扱えずに指揮に転向したひとも当然いる。エッシェンバッハなどは指揮者になってからのほうが(少なくとも)自然になった。

僕はショルティがピアノを美しく弾くのにオーケストラになると別人のようにただアグレッシブで威圧的な音しか鳴らさないところに興味がわく。

ショルティはピアノというひとつの楽器の中に「可能性」が留まってしまうように感じたのではないだろうか。彼が指揮者に転じたのはそういう理由だったのだろうと推察する。

オーケストラを前にして彼は無限の可能性だけを求めた。有限の中にこそ無限が秘められていることを忘れ果てた結果、意志のごり押しのような演奏が出来上がったに相違ない。

オーケストラといえどもひとつの楽器のように、響き全体を聴かなければならない。それは割れてもいけないし、かすんでもいけない点で単独の楽器となんら変わるところがない。

各奏者が立派な弾き手であっても、その集まったものが立派なオーケストラとは限らない。

北西ドイツ放送管弦楽団は僕がいた当時常任が何度か代わった。テンシュテットが鳴り物入りで就任した時は失望した。カサカサ乾いた、それでいて押し付けがましい音がする集団にすぎなかった。後にギュンター・ヴァントが常任になって引き締まって表現力のあるオーケストラにようやくなった時、指揮者によってオーケストラは育ちもすれば衰退もすると身をもって(楽員でもないから変な気もするが)知った。

ヴァントを介して初めてひとつのオーケストラが音から変化するのを体験した。これは幸運だった。

ヴァントは所謂超人的な指揮者ではなかった。あえて言うなら二流の指揮者。そのかわり本物の二流だ。一流めいた指揮者ばかりいる昨今では分かりにくいかもしれないが、本物の五流の方が似非一流よりなんぼかマシなのである。

ショルティに関してある楽員が(どこのオーケストラか忘れたが)彼の肘の動きがすべてを台無しにすると言っていた。同感だ。あんな身振りでピアノを弾いたわけではあるまい。
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ベートーヴェン研究

2009年02月06日 | 音楽
吉田秀和さんの演奏評に異議を唱えてばかりいるが、以前この人の作品論は立派だと書いたことがある。

ベートーヴェンを求めてという本はその代表的なものである。演奏に手を染めている人たちは一度きちんと読むべき本であろう。ひとつの曲をこうやって「読む」のか、というお手本になる。

リーツラーというベートーヴェン研究家やロマン・ロランのベートーヴェン研究がなかったらなされなかった仕事だと思うけれど、それは吉田さん自身も書いているけれど、とにかく良い作品である。ロランのを改めて読み返してみた。以前、それもはるかな昔読んですっかり忘れていたが、シェンカーにまで言及しているのだ。シェンカーというのはウィーンの理論家で、聞くところによると今でもアメリカでは読まれるそうである。

吉田さんの粘り強い楽曲分析は、演奏にかかわっている人ならば本当は誰でも読まなければいけない。と言うより自身でできなければいけないことだ。

彼はベートーヴェンのさまざまな曲を取り上げ、それがたとえどんな複雑さを含んでいるように見えようとも、実は大変に単純な音型の徹底的な使用によるのだ、そこから統一感が生じるのだと言葉を尽くして語る。

ひとつの楽曲が分析されるだけではない。初期の作品、たとえば「悲愴ソナタ」で提出されたアイデアが晩年の作品にいたるまで活き続けていたことが説かれている。

ベートーヴェンのスケッチブックが多く残っているのは有名だが、あんな引越し魔が肌身離さず持っていた、若いときからのすでに完成した作品のものまで持っていた理由を憶測する手段はとても説得力がある。

乱雑をきわめたベートーヴェンのスケッチ帖を丹念に読み解いていく作業は、よほどの情熱がなければできることではない。

パソコンでグラフを書き込んだり、楽譜まで記入できるそうだが、僕はまるで不案内である。吉田さんのベートーヴェン研究は譜例がとても多いからここで具体的に紹介はできかねる。面倒くさがらずに読んでみることをお勧めだけしておこう。

さて、吉田さんの本とロランとの差異は、誰でも気づくことであるが、吉田さんのは演奏の分析によって、記述した事柄を補っていることであろうか。人によってはそれにより、より説得力を増したというかもしれない。人によりどころか、ほとんどの人がそう考えるだろう。

僕はまったく反対のことを思う。この本から後半に頻繁に出てくる演奏分析によって楽曲分析を裏打ちする箇所、これらが無かったならばどんなに良かったかと残念なのである。

もっとも、そうなった場合、吉田さんはロランの仕事をなぞったことが多すぎて、新たに自身で書く気にならなかったかもしれないが。

ただし、この本を読んでいない人のために言っておくが、吉田さんはロランの考えを踏襲しながら、結局ベートーヴェンという男は生涯ただひとつのテーマだけを追い続けた人だ、という地点まで考えを追い詰めている。ロランを土台にして発展したと言ってよい。

読み返してあちこち持って回っているうちに行方が分からなくなった。外出は犬の散歩以外ほとんどしないから、家中のどこかにあるはずである。家が広すぎるのかも知れない。鴨長明を見習いたいものだ。

見つけたらこの続きを書こう。演奏論が無ければよかったという例をきちんと挙げておきたいから。

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ユダ

2009年02月03日 | 
河上徹太郎さんの全集の中にユダについて書かれているものがある。

河上さんは狩猟が趣味だった。今では宅地開発が進みきって山の陰すらなくなった東京町田市の近くに山小屋のような自宅を持っていた。

ある日の夕方、若い友人と囲炉裏の火をくべながら歓談していたとき、一本の薪が火がつかずにくすぶっていた。河上さんは口数の少ない人だったらしいが「まるで左翼だ」とつぶやいた。「なるほど」と相槌を打つ友人に対し「いや、僕は今ユダのことを考えていたんだ」と言ったという。

通常ユダは裏切り者として理解されているのであるが、河上さんはそうではないと言う。いや、もちろん彼は裏切り者なのであるが、イエスを裏切るのであるが、その裏切る理由を解き明かすのだ。

ユダはイエス一行の財布を任されていた。実務能力に長けていたわけである。ユダはイエスを真理の体現者と信じ、エルサレムには人々の歓喜の中を凱旋するように思い込んでいた。

実際はロバに跨り、惨めな、人々から嘲笑される小さなグループであるに過ぎなかった。彼らはそうやってエルサレムに到着したのだ。

ユダはまずそれに大変失望した。

マグダラのマリアが高価な香油をふんだんに使ってイエスの足を清めたときのこと、ユダは女をとがめる。そのような贅沢を神の教えでは禁じているではないか、と。それだけの金があったら何人もの貧しい人に施しを与えることができるだろうにと。

イエスは、この女はイエスにあいまみえることがもうないことを知って、最上のもてなしをしたのであるから良いのだ、とたしなめる。

河上さんはこの場面、ここでのユダの心の動きに着目する。

ユダは誰もが知るとおり、イエスを裏切るのであるが、「成果」に失望しただけではなく、「教義」を無視したイエスにも失望したのだと河上さんはいう。ユダは「合理的」に教義を信じて、イエスという人(僕は信者ではないからイエスという人と言うけれど)を信じなかったというのだ。これは深い洞察である。

聖職にある、または信者と思われる人のサイトでは、この場面はどう扱われているのだろう。

ほんの少し垣間見ただけだから、当然いろいろに解釈されているはずだが、ある人は、ユダがすでにイエスが処刑されることを知っていて、そのイエスに高価な香油を使うのを惜しんだ、と言っていた。

こうした解釈というのは教徒の間では一般なのだろうか、僕は知らない。けれども、週刊誌のすっぱ抜きを思い出して思わず笑ってしまった。ご本人はいたって大真面目な感じのサイトであったが。ただ、この笑いは僕を楽しくするものではなかった。憂鬱になってしまった。

河上さんの説は文学者の中では有名だ。もっとも昨今の文学者たちのことは僕はまったく知らないけれど。

僕は文学者たちのような精緻な理論でこれを読んだわけではない。あまりそういう読み方はしたくないのである。ただ、イエスを信じないで彼の理の方を信じた、という河上さんの説に共感する。音楽の世界で、音楽学というものがこれほど盛んで、しかも行き詰まりを見せて、演奏理論、解釈といった面でも行き詰まり感が濃厚だと、自然と河上さんの言葉を思い出すのである。

音楽など芸術分野に限ったことではない。僕たちの日常生活でもいくらでも目にするはずである。人の情で汲み取らずに理屈だけを信じて行動していく人がたくさんいるはずである。ただ、情といっても、日本人は情で動くとか、土下座して情に働きかける政治家の考える情とはまったく違うのは断るまでもなかろう。
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